元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ペリカン 花火

2010-06-28 | 仕事について
蒔絵の題材として、日本の風物を描くべきで、海外市場でのうけを狙ったようなモダンなものは私の好みではありませんでした。
先日発売されたペリカンの花火は、日本の夏の風物詩を描いていて、それが研ぎ出し蒔絵の技法とマッチしていて、とても良いと思いました。
豪華で分かりやすい高蒔絵の迫力もいいですが、花火などの夜の風景は漆黒の中から絵柄が浮かび上がってくるように仕上げる、この研ぎ出し蒔絵の技法が向いています。
蒔絵の万年筆は高額ですが、その工程などを知るとそれも納得できるのかもしれません。
蒔絵は、日本を代表する装飾技法ですので、その技法に合った正しい題材を扱って描いてほしいと思っています。

294,000円 世界限定88本 M1000ベース

旅日記 ボローニヤ

2010-06-27 | 仕事について
朝、ホテルでタクシーを呼んでもらったら、白タクが来て大いに驚きましたが、私たちは結局体裁を繕わない実利主義的なチェコ流に馴染めずに、イタリアへ移動することになりました。
皆のプラハの印象が悪かったのは、他にも原因があって、食事が高い割りに美味しいものではなかったことと、チェコの貨幣コルナを用意していたにも関わらず、ユーロいたるところで要求されたこと、ホテルのWi-Fiが繋がりにくかったことも原因になっているような気がします。
松本さんが金属探知機を何度通っても、ブザーが鳴り、映画「タクシー」の刑事の上司のような人が「コンニチワッ!トケイ、トケイ、ベルト、ベルト」と現れた時は可笑しかったですが、空港の設備は良く、Wi-Fiはつながりましたので、各人プラハ空港内では快適に過ごしたようでした。
ボローニヤへは、チェコ航空のプロペラのとても小さな飛行機で、すぐ下に残雪の山々が続くアルプスを越えて行きました。
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どんより曇って、蒸し暑いプラハでしたが、ボローニヤは気温こそ高めでしたが陽の光が明るくカラッとしていました。
松本さんのイタリアを長めにという希望、オマス工場見学などもあって、今回の日程の中で一番滞在日の多いのがこのボローニャですが、旅も終盤に差し掛かっていると思うと、とても寂しい気分になりました。
日程は早く過ぎ去っていきましたが、あまりにも多くのことを経験していて、ベルリンを歩き回っていたのが、とても前のことのように感じられました。
タクシーでホテルへ向かい、チェックイン後早速街を歩き始めました。
お昼の休憩時間中で、目当てに行った多くの店が閉まっていました。
イタリアは、12時から4時頃までの非常に長い昼休みが厳格に守られていますので注意しないといけません。
日本人の感覚で考えると、人が一番活動している時間帯で、大きな機会損失のような気がしますが、イタリアの人たちはそれに合わせて活動しているのだとすぐに分かりました。
夕方になると、街中のそこここから、暑いのにキチンとジャケットを着て、たばこを指にはさんだマルチェロ・マストロヤンニのような伊達男たちが出てきました。
年配の男たちは、髪を濡らして後ろに撫で付けるマルチェロ風、若者は坊主頭にティアドロップ型のサングラスという(誰?)のがイタリア定番のスタイルでした。
イタリア通のル・ボナーのお客様Fご夫妻から聞いていた、ホテル近くの食堂トニーの店で夕食にしました。
今回の旅の中の食事で、一番美味しかったのは、このトニーの店で、それは皆同じ意見でした。
本当に、あんなに美味しい料理はそうそう食べられるものではなく、トニーの店に行きたいからボローニヤにまた来たいと思うくらいでした。
その後食べた、ボローニヤ料理はどこも美味しく、イタリアの友人曰く「ボローニヤは食べに行く街」というのは本当でした。
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旅日記 プラハ

2010-06-26 | 仕事について

夕方、ニュルンベルクからバスでプラハへ向かいました。
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とても快適なドイツDBの2階建てバスでアウトバーンを通っての3時間の旅はあっという間に感じられました。
ドイツの広い田園地帯の真ん中を通るアウトバーンは真っ直ぐな滑走路のようでした。
国境の警察による入国チェックを得て、すぐにプラハに着きました。
バスから降りると、そこはプラハ中央駅でした。
古く重厚な駅舎は、暗く、黄色い電灯が点り、歴史の重みを感じさせました。
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タクシーでホテルへ行きましたが、夜遅いせいか、街中が暗闇に包まれていて、通りの影から何かが飛び出してくるような気にさせる油断ならない街、それがプラハの第1印象でした。
早朝、松本さんと散歩に出掛けましたが、地下鉄の駅にたむろする若者たちの中から女の子がこちらに向かってきて、松本さんに付きまとい、お金をせびりましたが、ドイツでは驚いたかもしれませんが、二人ともプラハではありそうなことだと、気にも掛けませんでした。
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翌日、世界遺産の町チェスキークロムロフへの3時間のバスの旅に出掛けた仲間たちと別れ、一人プラハの街に残りました。
仲間たちとの旅も楽しいですが、単独行動も好きで、ささやかな一人旅ができるプラハでの時間を楽しみにしていました。
まずはウォーミングアップとして、世界の観光地プラハ城に上りました。
ホテル近くの地下鉄の駅で市内交通1日乗車券を買って、路面電車に乗りました。
どこへ行けばチケットが買えるか、チケットを買ってどのように乗るのかなど、ベルリン、ニュルンベルクでヨーロッパの勝手が分かってきているようでした。
行き先表示やインフォメーションなどの文字が読めなくて理解できないことも慣れてきていました。
車内放送が分かりませんので、間違えて1つ手前の停留所で降りてしまいましたが、プラハ城に着き、有名な勤務時間中全く動かない衛兵を見ました。
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世界中から観光ツアーの団体が来ているようで、皆遠慮なく衛兵との記念撮影をしていました。
敷地内の教会や店などを見ましたが、やはり一番素晴らしいと思ったのは、丘の上にあるプラハ城から見るプラハの街の眺めでした。
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プラハに来た人たちが、口々にその素晴らしさを語るのは、この眺めが見たからなのだと思いました。
カレル橋やマラー・ストラナ地域は観光客相手の場所で、ものすごくきれいに整備されていて、お店はどこも元気に営業しているようでした。
しばらく観光地区を歩いた後、文具店を巡ってみようと街中へ出て行きましたが、個人のお店で文具店やペンショップなどは、見当たらず、ドイツにもあったデパートなどに入ってみました。
どのお店も万年筆は扱っていて、きれいに陳列していましたが、1階の化粧品売り場に隣接した場所にあり、全て女性のお洒落の小物といった扱いのお店でした。
万年筆、文具関連でチェコらしさを感じることができず、気持ちが少し焦ってきました。
せっかくプラハに残り、単独行動する機会を得たにも関わらず、何も見ずに1日が終わってしまうのではないかと、心配になり始めました。
このまま街中を探してもラチが開かないと思い始めて、街外れにあるショッピングモール ノヴィスミホフへ地下鉄に乗っていきました。
そこは西宮ガーデンズのようなショッピングモールで、地元の人しか来ないような場所でした。
ショッピングモールの中のスーパー  テスコに文具コーナーがあり、ここはチェコの文具メーカーコヒノールの製品でいっぱいでした。
ノヴィスミホフ裏手の小高い公園に登りました。http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/eb/9c69a6b8ae54cc3c704448fbc7f5be82.jpg
この場所からは、とても美しく見えるプラハを眺めながらいろんなことを考えました。ノヴィスミホフでは、プラハの人たちの日常に接することができたような気がしました。
神戸から遠く離れた国でも、人々の暮らしはそう大して変わらない、特別な人などどこにもいなくて、私たちのような平凡な家族がたくさんあって、それぞれが短い人生の中で、自分たちの暮しを一生懸命守っているのだと思うと、ここプラハに住む人たちに親近感のようなものを感じます。
でも私が仕事として選んだ万年筆は今、そのような平凡な家族にとって必要なものではなく、特別な人だけのものになっていることを少し寂しく思いました。
路面電車をたくさん乗り継いで、方向を修正しながら、TV塔にたどり着きました。
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朝、松本さんと散歩した時に遠くに見えたこのテレビ塔に上ってプラハとその周りの町を遠くまで見たいと思っていました。
TV塔周辺は、かなり荒んだ雰囲気を醸し出している地域でした。
壊れた車、落書き、たむろする若者、人通りの少ない路地、さっき観光地区で見た美しいプラハの影を見たような気がしました。
87階というタワーの展望階に上っても、誰もいませんでした。
でもこの展望階からは、郊外まで続く家々が見えました。
遥か向こうまで街が続いていて、郊外には別の街が全ての方向にできているようでした。
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ものすごくたくさんの家があって、それぞれの人生がある。
私が胸を打たれるのは、きれいに整備されたお城や教会ではなく、こういった人の暮しを想うことのできる光景なのだと思いました。
夜、仲間たちをバス停まで迎えに行き、歩き回りすぎて詳しくなった、プラハの繁華街を案内しながら、観光客相手のレストランで今日1日の話をしながら夕食をしました。


旅日記 ニュルンベルク2

2010-06-24 | 仕事について

ニュルンベルクの街中を歩き尽くしたため、翌日は周辺の街へ出掛けましたが、忘れられない美しい風景をいくつも見ることができました。
ニュルンベルク中央駅からのローカル線の旅は、ドイツのさらに深くへ入っていくような感じがして、楽しめました。
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分かりにくい表現かもしれませんが、諏訪市から小淵沢で乗り換えて、小海線を入っていくような感じでした。
朝の通学時間帯よりも少し遅く、市街地へ向かうのと反対方向ということもあって、電車の中はガラガラに空いていましたが、周辺の駅の感じ、駅に止められて車の数などを見ても、この電車が満員になって、ラッシュ時間帯があるようには思えませんでした。
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牧草地を家畜が草を食むような、本当にのどかな田園風景を見ながら列車は進んでいきました。
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途中、家庭菜園が集まっている所がありました。どの菜園も程よい大きさの畑と小さな小屋がありました。
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小屋は大きめの部屋1部屋とキッチンくらいはついているのでしょうか、その中で休んだり、菜園で作ったものを料理して、皆で食事したりするためのものだと連想され、ドイツの人の週末の過ごし方をイメージしました。
仕事の疲れを引きずって、ただ休息をとるだけの休みの使い方とは違う、家族との時間のようなものを家庭菜園から見て取れました。
ニュルンベルクから40分ほどの所に、スタビロの工場があるウェイベンバークという小さな町がありました。
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駅に降りると、どうしていいのか分からないくらい、何もないところで、小さなバス停に小さなバスが1台停まっているだけでした。
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少しだけ歩くと、市街地らしき集落に入りましたが、人がほとんど歩いていません。
イタリアで気付きましたが、人が外で活動する時間は皆同じような時間帯で、たくさん人が街に出ている時と、いない時の差がものすごく激しいのです。
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町は中世の城塞都市の面影が残されていて、とてもきれいに整備されていました。しばらく歩き回って、比較的人が歩いているメインの広場にたどり着き、そこでコーヒータイムとしました。
ドイツでアイスカフェと注文すると、生クリームとアイスクリームがたくさん乗っかったコーヒーが出てきますが、私は何度かこれを注文しました。
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またしばらく町の中を歩き回っていると、書店兼文具店のような小さくはない店を見つけました。店の佇まいから、何かありそうな雰囲気がする店で、入っていくと、とてもきれいにしてあり、お客さんの出入りも頻繁にありました。万年筆もいくつか置いていました。
ペリカンベルリン、上海、ラミーサファリツイン、廃版色などお店の人にそれらを欲しいことと在庫は他にないですかと伝えると、年配の店主らしき女性が私と同じくらいのレベルの英語(幼稚園レベル)で他にもこんなのもあると、次々と教えてくれました。和やかに買物をして、店を出ると町の広場には人がたくさん出ていました。
後で分かりましたが、この町は近くに湖があって、ドイツ国内の小さな保養地のような存在であることが分かりました。
神戸周辺で言えば、東条湖のようなところなのかもしれません。
本当に小さな、城塞に囲まれた町でしたが、とても美しく、居心地の良い感じがしました。
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ウェイベンブルクに来る途中、比較的賑やかそうだったという理由でジョージェンズグムンドで下車しました。
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駅前には何もなく、どちらが市街地か分からないほどで、そもそも市街地などがあるのかも疑わしいくらいののどかな田舎駅でした。
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気を取り直す意味もあり、駅前のベーカリーで昼食をとりました。
駅前にあることもあって(来る人は皆車でしたが)、そのベーカリーは人の出入りが多く、繁盛していました。
だれもが持ち帰りの時に決まって買って帰るのは、大きな円盤状のとても硬そうなパンで、それをそのまま手で持って、そのまま後部座席に置いて持ち帰ります。
ベーカリーで聞いた、ステーショナリーショップ方面へ歩いていきました。
小さな田舎町なのに、日本のように埃っぽくなく、とてもきれいに整備されています。ディズニーランドにある町の本物がドイツのいたるところに存在しています。
この町の場合は観光などお金を集めるための町作りではなく、自分たちの町を美しくしたいという地元の人の努力とプライドで維持されているように感じました。
ドイツの地方の町をこうやって歩いていると、ドイツという国は町それぞれが国の行政から自立していて、住んでいる人たちの意識の高さ、堅実な考え方を感じます。
小さな家だけど、きれいに整備して、毎日の生活を大切にするという、地に足の着いた暮らし振りに感動すら覚えます。
夕方、ニュルンベルクからプラハに乗るバスに乗るために、私たちは美しいドイツの田舎町を巡る小旅行を終え、またローカル線に揺られてニュルンベルクへ戻りました。
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ヨーロッパ旅日記 ニュルンベルク1

2010-06-22 | 仕事について

ベルリン中央駅は、鋼材にガラス張りの非常に近代的な建物で、日本から見るとドイツの機能美らしいと思いますが、ベルリンの他の駅と比べるとかなり先鋭的で、異色に感じられます。
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後で分かりましたが、2006年にできたばかりで、道理でその周りが殺風景なはずでした。何階層にも列車のホームが重なっている地下ホームからICEが発車します。
ベルリン中央駅は、なるべく多くの陽光を取り込んで構内を電気を最小限に明るくしたいという狙いがあるのだと思います。
しかし、どのタクシーにもサンルーフがついていたり、公園で水着で日光浴をする人でいっぱいだったり、オープンカーが多いのと同じように、夏が短く、天気の良い日が少ないドイツに人たちの陽光への執着を感じました。
滞在した3日でとても好きになったベルリンをICEで後にして、ニュルンベルクへ向かいました。
しばらく走ると車窓は広大な田園風景に変わり、延々と続く野原や、黒々した深い森を見ながらの5時間の列車の旅でした。
ドイツ南部に差し掛かったあたりから、古城街道というところになり、車窓から古い城がいくつか見え始めました。
どの城も周りに何もない小高い丘の上に孤立したように建っていて、昔の城主の孤独な生活が想像されました。
私たちが喜んで城を見ていると近くの席のドイツ人のビジネスマンが、次は向こうに見えると静かに教えてくれました。
ドイツ国内で、こうしたドイツ人の素朴で生真面目な感じのする暖かさに何度も触れることがありましたが、それが今回の旅で感じたドイツの一番の魅力でした。
ニュルンベルク中央駅は、さすがに大都会ベルリンと違って地方都市という感じがする、少しのどかな駅の風景でしたが、夜遅くの到着にも関わらず、駅は多くの人で賑わっていました。
地下鉄でマキシミリアン通りまで行き、歩いて少しのホテルはすぐに見つかりました。ニュルンベルクの宿、ホテルハンブルグは今回の旅の中で一番よかったかもしれません。
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2部屋仕立てになっていて、ベッドルームとリビングルームに分かれて、リビングのソファがエキストラベッドになっていました。
ベッドが3つありますので、ジャンケンで負けた谷本さんと私が同じベッドで寝るベルリンのホテルのようなことはありません。
ジャンケンで勝った私は迷わず個室を希望しました。
朝食も焼きたてのクロワッサンやスクランブルエッグ、ハムなど充分満足できましたし、ホテルの人たちも親切に声を掛けてくれました。
ドイツ国内からの旅の人が多いようで、ある年配のご夫婦からどこから来たのかと聞かれて、日本だと言うと驚いていました。
そんな暖かい交流があったニュルンベルクを街歩きではかなりハードに歩きました。ニュルンベルクは城壁に囲まれた城塞都市で、その塀の中にたくさんの古い建物が建っています。
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デパートや小さなお店、住居があり、普通の街のようになっています。城壁の中の一番高い場所にある塔に松本さんと汗だくになりながら、螺旋階段を上がり、登りました。
街の中で一番高い所から見るニュルンベルクの街は遥か遠くまでオレンジ色の屋根が続いていて、いつまでも見ていられる風景でした。
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予め調べておいた文具店は閉店しているか、あてが外れて学校前の雑貨屋さんだったりなど、リストの全てが空振りに終わり落胆していた私に、デパートに入ろうと松本さんが提案してくれました。
あまり期待していなかったデパートには、かなり大きな文具売り場があって、日本にはない文具を見るだけでも勉強になりましたが、小さな筆記具カウンターの中にも、日本未発売や、廃版になって手に入らなくなってしまったものが普通に売られていました。
収穫のあった2つのデパートを後にして、城塞の街や城塞の外も歩きつくしました。乗るバスの進行方向を間違えたりして、疲れきっていました。
付き合わせて、無駄に歩かせてしまって、松本さんには申し訳ないことをしましたが、いつもの調整で一緒に歩いてくれました。城塞の中で夕飯にしましたが、かなり古典的なビアホール風の店で食べたソーセージの格別の味は忘れられないドイツ料理になりました。


ヨーロッパ旅日記 ベルリン2

2010-06-20 | 仕事について

蚤の市の後、今回の旅の中で出会った中で1,2を争うしっかりしたお店Heinrich Kunnemanへ行きました。
ドイツ、チェコなどの他のお店でもそうでしたが、ファーバーカステルが目立つお店だとは思いましたが、手紙、紙製品、革製品、机上用品もちゃんと品揃えされていて、万年筆は座って試し書きできるようになっていました。お店の人も対応もとても良く、親切にしていただきました。
Uhlandstraβeという高級ブティックが並ぶセレブ通りで、表参道のような雰囲気の通り近くにあるということも関係があるのかもしれません。
Uhlandstraβeのような街が旧西ベルリン地区にあることは、何か歴史的な背景があるのか考えてしまいます。
言うまでもなく、ベルリンは21年前まで壁によって東西が分断されていました。市内の再開発がかなり進んでいて、旧東ベルリンだった地区にも商業施設などが積極的に作られているようで、旧東西差はないのでしょうが、中心の繁華街から外れる旧東ベルリン地区には荒れた感じの街が多く存在することに気付きます。
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旧東ベルリンの社会主義体制の元での人々の暮らしが貧しくて不幸だったとは思わないですが、物質的には旧西側の方がたくさんのものに囲まれていたかもしれません。
物が少なくても幸せな暮らしはあると思いますが、もしかしたら壁の崩壊で旧東ベルリンの人たちはたくさんの物を手に入れる自由を得た代わりに金銭的な貧しさを感じたのではないかと想像したりします。
いずれにしても、たった21年前まで、それを越えようとした人の命を奪うこともあった壁という馬鹿なものがあったことが信じられないことですが、その姿形が無くなっても、不自然に帯状に続く跡地や地面に埋められた BERLINER MAUER 1961-1989 というプレートによって、展示された壁や保存施設よりもリアルに壁があったことを思い知らされます。
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街中の賑やかさや、スラム地区での怖いくらいの静けさ。お店や露天で働くいろんな国から来た移民の人たち。そして壁の痕跡。ただ楽しいだけでなく、旅行者にも考えさせる暗いところもベルリンの魅力で、私はこの街がとても好きになりました。


ヨーロッパ旅日記 ベルリン1

2010-06-19 | 仕事について

ベルリン気が遠くなるほど飛行機に乗って(12時間)やっとの思いで、ベルリンに降り立ちました。 20年振りの海外旅行、初めて訪れるドイツという感慨が少ないのは、空港の作りが世界中あまり違わず、ドイツの来たという実感が沸きにくいからでしょうか。
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 でも空港からタクシー乗り場へ行くとほとんどのタクシーがクリーム色のベンツで、荷物をトランクに積み込んでくれたドイツ人運転手を見てドイツに来たのだと実感してきました。 
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電話やEメールをする気になればすぐに日本に連絡を取ることができるので、1万km近く離れた場所にいることを忘れそうになります。私たちがベルリンで2泊した宿はミッテ地区というベルリンの中心街にあって、人通りも多く、比較的きれいなアップタウンの感じのする所でした。 
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近くの川沿いのオープンカフェは、金曜、土曜は週末の夜を楽しむ人でいっぱいでした。ヨーロッパの人たちは皆、店内の席よりも屋外のオープン席を好み、店内はガラガラでも、オープン席は満席ということがよくありました。それは屋内は禁煙、屋外は喫煙可能というルール(今回訪れた国は)があるからで、実際ドイツの人もイタリアの人も皆さんよくタバコを吸っていました。
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小ぎれいな街、小ぎれいで小ぢんまりしたホテルで、ベルリンでの時間が始まりましたが、ホテルの部屋にはシングルベットとダブルベットが各1つしかなく、ジャンケンで負けた私と谷本さんが同じベットで寝ることになりました。結果的に年長の松本さんを立てて、ゆっくり休んでもらうことができてよかったと思いました。
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http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7e/6b1c9428dccdbda1bbbb99b0bfb3d11a.jpg下調べでは、ミッテ地区にペンショップや文具店はなく、もう7時を過ぎていましたので、ポツダム広場などを観光してまわりました。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1c/fd82945ef09354b27d747c7f312ccd0d.jpgすぐに慣れましたが、ドイツの地下鉄(チェコ、イタリアもそうでした)は降りる時にボタンを押さないと扉が開かないようになっていたり、改札がなかったり、自転車でそのまま乗り込む人がいたり、かなり勝手が違いました。サマータイムが導入されているとはいえ、夜9時半まで薄明るいのは、こちらが日本よりも北の緯度に位置するからだと思います。 1日の長さは松本氏の早起き癖(初日3時半)のおかげでさらに長く感じられて、毎日精一杯動き回ることができました。
ベルリン到着の2日目は、蚤の市と文具店まわりでした。ベルリン中心部にある大きな公園近くの蚤の市では万年筆をたくさん扱っている人がいて、それを見つけて有頂天になってしまいました。メインの通りはドイツ系の人たち、その外側に移民だったと思われる人たち、と分かれていることは後で気付きましたが、今回の旅でドイツ以外の国、西アジア、中央アジア、アフリカ方面出身だと思われる人をたくさん見ました。私たちは言葉ができないから、他所の国へ仕事に行ったり、住んだりすることが難しいだろうと思ってしまいますが、彼らはドイツ語が始めから話せたわけではないと思います。日本人もそのたくましさを見習わなければならないと思いました。ちなみに蚤の市は、その場所が一番収穫があって、他の場所はゴミの市だったことに後で気付きました。
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ヨーロッパ旅日記 まえがき

2010-06-18 | 仕事について
谷本さんは始めからこの旅を文房具を見つける旅として、目的を明確にしていて、その通り各都市や町で文房具屋さんを探しては日本で手に入れることのできないものを見つけていました。
そこには文房具への熱い情熱と分度器ドットコムのお客様への愛情があって、私は谷本さんの情熱について行きながら、自分の目的は何かとずっと自問していました。
旅に同行させていただくことを決めた時、理由は分からないですが、この旅に出るか出ないかで、その後の私を決定するような気がしました。
目先のことや、その他の細々したことに囚われずに、思い切って旅に出ることにしたのは、私にとっては、ものすごく大きな決断であって、ちょっとした進歩だったのです。
長年この業界に携わっていて、商品知識はそれなりにありますので、日本で手に入らないものや面白いと思うものを見つけることは、万年筆を置いているお店があればいくつか見つけることができて、そういう意味では収穫のあった旅でした。
しかし、そういったものを目にして、手に入れて、有頂天になりながら、自分の目的はこれではないと、すぐに冷静になることを繰り返していました。
私の旅の目的は、谷本さんのそれよりも、もっと個人的で、自分自身の頭の中の、心の中の整理のためだったのだと思います。
行った先々では、スケジュールをこなすのに精一杯で、それほど深く考えさせられることはなかったかもしれませんが、私なりに考えて、感じたことを何回かに分けてまとめていきたいと思います。
私の話は、文房具の話ではないこともあって、皆様のご期待に答えることのできないものかもしれませんが、旅の夜、宿で落ち着いた時や移動中の列車や飛行機の中で、眠気と戦いながら愛用の万年筆でつけた旅日記なのだと感じていただけたら嬉しく思います。
旅立つ前、各都市の万年筆店、文具店の所在について調べていて、思った以上に見つかりましたので、やはりヨーロッパで万年筆は人々の暮らしに溶け込んでいて、万年筆はなくてはならないものになっているという結論で締めくくるつもりでいましたが、リストアップしていたお店の中ですでに無くなっていたところがいくつもありました。
個人文具店が潰れていっているのは、日本だけではなく、ドイツでも同じで、もしかしたら世界中で起こっていることなのかと思いました。
文具店が営業できなくなっていったのは、文具業界の体質が古くて、新しく参入してきた業種に簡単にそのシェアを譲ってしまったことが最大の原因で、文房具が使われなくなっているのではない、文房具は必ず使われていると思っていましたが、その自信も揺らいできました。
今回の旅のご報告をペン関連はホームページで、それ以外はブログでそれぞれ小出しにさせていただこうと思っていますので、しばらくの間お付き合いいただきたいと思います。

緊急のご連絡 神谷利男さんの万年筆画教室延期のお知らせ

2010-06-17 | 仕事について
6月17日(金)19時~21時に予定しておりました、FridayWorkshop“万年筆で描こう”教室が中止になりました。
ご参加予定されておりました方々には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
7月16日(金)19時~21時が最初の講座になり、題材は“万年筆で万年筆を描こう”です。
ぜひご参加ください。

ちなみに6月17(金)の延長営業日は万年筆画教室の自習時間とします。
19時~21時まで万年筆でそれぞれが自由に絵を描いていただく時間とさせていただきます。
こちらもぜひご参加ください。