元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

自分流のコーディネート

2021-05-31 | 万年筆

決まったブランドに凝ったり、誰かの服装をお手本にしたりということはなくなったけれど、自分が持っているものを好きに組み合わせて着ることを考えることが好きで、毎日のささやかな楽しみになっています。

ファッションの専門家が見たらメチャクチャなのかもしれないけれど、好きなものを自分の好きなように着ようと思うようになってから、服装を考えることがさらに楽しくなった。

服装と言っても、真夏以外は革靴を履いて、ジーパンにジャケットが自分がしたいと思っている服装なので、毎日あまり変わり映えはしないのだけど。

でも、どのブランドのジャケットとか、どこのジーパンだとか銘柄に捉われなくなって、自分流の選び方ができるようになったのは、齢をとって様々な情報が気にならなくなったからなのだと思います。

服は私の着方だとインクが飛んだり、擦り切れたりして数年で着られなくなってしまって、その悲しみは金額に比例する。しかし、靴はしっかりしたものを買えば直しながら、長く履き続けることができるので、なるべく良いものを履きたいと思います。

それに靴さえちゃんとしたものを履いていれば、服が安物でも割とそれなりに見えるような気がします。

靴と同じように、万年筆はステーショナリー、持ち物の中心だと思います。万年筆や筆記具はしっかりした、長く使える良いものを選んだ方がいいということは、万年筆がまだ仕事道具だった時代に、池波正太郎さんも語っていたけれど、私たちの中ではそれは今も変わっておらず、こだわりどころである万年筆だけは良いものを選ぶべきで、それに合わせてペンケースや手帳をコーディネートできるように選べたら、なお楽しいのではないか。

服装と同様に、その組み合わせはこうでないとダメだというものはなく、自分の好きなように組み合わせることが楽しいのだと思います。

私自身そういうことが好きなので、当然ご提案はするけれど、自由に、ご自分の好きなように楽しんでいただきたいといつも思っています。


オプティマ365

2021-05-25 | 万年筆

 

イタリアトリノの万年筆メーカーアウロラが、キャップリングに懐かしさを覚える旧型オプティマをベースに、ペン先を18金に、ボディを限定カラーにした限定365本のオプティマ365というシリーズを発売しています。

1年を通じて手元に置いて、日常で使って欲しいという願いを込めたアウロラの限定万年筆シリーズは、ボディカラーを変えて3年ほど継続して発売されていますが、なかなか渋い逸品揃いだと思って見ています。

昨年は閏年で、どうするかと思っていたらさりげなくアウロラ366という名前、限定本数366本で発売されました。
昨年発売されたオプティマ366ジャーラのみ366本で、今年発売されたリッラからまた365本に戻っています。

アウロラがオプティマ365でイメージした、以前の制約のない私たちの生活が日常と言うなら、その日常は戻ってくるのだろうか。

多少その形は変わっても、今の状態は変だと思うので、いつか戻るのだとは思うけれど。

後から振り返れば、それぞれの人が感じているその時代の雰囲気のようなものがあって、それを感じると大抵懐かしいような気持になります。

その時手に入れた万年筆を手に取ったり、使ったりすると、その時代のことや考えていたこと、心の様子を思い出して、懐かしい気持ちになる。

昨年と今年で終わるのか、来年も続くのか分からないけれど、今の時代のこともなるべく覚えておけるように形にしておきたい。

そして早く振り返って、あの時はあの時で懐かしいなと思いたい。それが未来に向くということなのかもしれない。


同い年の万年筆

2018-09-17 | 万年筆

万年筆の歴史について考えることがあって、それぞれの国においての万年筆のゴールデンエイジについて改めて認識しました。

ゴールデンエイジを過ぎると、その国の万年筆は途端に魅力を失っている。
当時売れていたものの真似のようなものが多く出始め、チープになっていきます。

そんな取り組みの中で、人は自分と同い年の万年筆を持ってみたいだろうかと思い始めました。

まず自分と同い年、1968年に作られていた万年筆について調べてみました。

もっと上の世代、1950年代までの人ならすごい万年筆がいくらでもあります。

しかし、1960年代後半は、世の中はボールペンが一般化していた頃で、60年代初頭までのドイツ万年筆のゴールデンエイジも完全に終わっていた。

1966年のラミー2000の発売というのは、かなり特殊な例だけど、ゴールデンエイジが終っていたから、あのような万年筆ができたのかもしれません。

1968年の万年筆なんて、ロクなものがないと思い始めていましたが、日本の万年筆について考えることを忘れていました。

その頃、なぜか日本は万年筆全盛の時代を迎えていて、パイロットのエリートの大型と爆発的に売れたと言われるポケットタイプのエリートSが1968年発売でした。

1967年になるけれど、継ぎ目のないスターリングシルバーのボディにプラチナペン先のプラチナプラチナが発売されていますが、これも同い年である可能性が高い。

世界は、実用のものとしてはとっくに使われなくなっていて、趣味のものとしてさえ万年筆から離れている時代。日本はなぜ万年筆全盛の時代を迎えていたのだろう。

当時、欧米のものへの憧れは変わらずにあったけれど、日本製でも良いものが出始めたことを日本人が認めて、誇りを持ち始めた時代だったのか。
そして、日本人がもともと持っている書くことを大切にする性質が万年筆をギリギリまで見放さなかったのではないか。

日本の万年筆もその後、世界の万年筆から遅れて冬の時代に突入して、それは80年代始めまで続いたはずです。

今回、今までペン先が硬くて、インクの出が一本調子で丈夫さだけが取り柄のプラチナプラチナ。
自分と同い年ということを改めて認識し、愛おしく思えるようになりました。


インクと紙の相性

2016-08-21 | 万年筆


相変わらず暑いですが、空気がカラッとし始めたような気がします。光も秋っぽくなってきました。

 

なかなか上手くならないので、家にいる時はなるべく小筆を書くようにしています。

筆のためにはその方が良いと聞いたんで、その都度墨を硯で磨っています。

書くまでに時間がかかるけれど、墨の匂いも良いし、今使っている硯と墨も気持ちよく磨れてくれるので楽しみなができる作業です。

墨は磨れば磨るほど濃くなって、粘度を増していきます。

妻が使っている紙は全くにじみのない、墨が表面で止まるような、にじみ止めが強力に効いた紙でその方が好みだと言います。

しかし私は少しくらいにじんでも、墨が気持ちよく伸びて、気持ちよく書かせてくれるものの方が好みなので別々のものを使っています。

にじまない紙はあまり気にしなくていいけれど、にじむ紙は墨を濃く磨って粘度を高くしないとにじみが多くなってしまいます。

なるべく濃く磨ろうと思っていますが、あまり濃く磨って粘度を上げ過ぎるとなかなか乾かなくなります。

粘度を上げた墨で、にじみ止めの効いた紙に書くといつまでも乾かないということになります。

万年筆のインクも同じことが言えると思います。

ペン習字をよくしますので、黒インクを使うことが多く、黒インクの色の濃さについてよく考えていました。

色が黒い方が文字が立って、揃ったような文字が書ける。薄目の黒は文字に濃淡が出て、筆致のようなものが表現できるなどと思っていましたが、色が黒くなればインクの粘度が高くなることがほとんどです。

そして粘度が高くなると乾きが遅くなり、サラサラとした粘度の低いインクは紙に入っていくスピードが速いので乾きが早いということになります。

パーカーの黒インクは粘度が低いので乾きが早く、紙に入っていきやすのでにじみやすい紙ではにじんでしまう。

ローラーアンドクライナーは粘度が高めなので、にじみやすい紙でもにじみにくいけれど、表面でインクが止まるような紙では乾きが遅くなるということになります。

使わなければいけない紙があって、それがにじみやすければ濃く粘度の高いものを使い、表面で止まるようなにじまない紙であれば粘度の低めのインクを使うと良いのかもしれません。

趣味の文具箱vol.36にインクの粘度を比較した記事がありますので、ぜひ参考にしてみて下さい。


限定万年筆

2015-07-28 | 万年筆

私が就職したのは1992年でした。
その年モンブランの作家シリーズ限定品第1弾ヘミングウェイが発売されて、限定万年筆ブーム幕開けの年とされていますが、万年筆メーカーの限定品への売り上げ依存は年々高くなっています。

しかし、同じやり方も20年以上続けると通用しなくなりますので、そろそろ他の仕掛けも考えないといけないのではないかと思います。
でも、当店も力の限り限定品を仕入れたいと思うし、大切な商売のネタだと思っている。

限定品という、もう手に入れることができない、人の弱い部分を突くような商品は販売において今も有効で、いつでも買えると思う定番品に対して、今買わないと手に入れることができない限定品は購入の踏ん切りをつけるためにも、背中を押してくれるものだと思います。

限定品を乱発すればいいというわけではないけれど、それの存在によって、私たちはそのメーカーが活発に活動しているかどうか判断しています。

年2、3回定期的に限定品を発売して、そのペースを維持しているのはペリカンで、ペリカンの万年筆の業界に対する貢献度は高いと思います。

ペリカンの限定品は、万年筆好きな方のマニアックな気持ちをくすぐるようなアプローチの仕方があって、いつも感心させられます。

イタリアのメーカーオマスは、限定品をとにかく多く発売していて、それを見ていると止まると死んでしまうという強迫観念を持ち続けている小売店主の心境に近いものがあるのではないかと思い、親近感を持っています。
オマスの限定品は、以前あった廃番になったオマスのペンの復刻が多く、定番品の販売の邪魔にならないことはよく考えられていると思いますので、当店もオマスの限定品に付き合いたいと思っています。

逆に限定品のペースが遅く、お客様方がまだかまだかと言いだしてからゆっくりと出してくるのが、アウロラです。
しかし、アウロラの限定品はとてもサマになっていて、いつもアウロラらしさと見る人を唸らせる美意識に溢れている。

限定品はとても魅力がありますが、パーツ交換が必要な修理などは本国だけでしか行わないメーカーが多く、日数も半年に及んだりすることもあります。

安心して愛用できたり、それ1本だけを使うということでは定番品、人に自慢したり(万年筆には大切な要素です)、その年を偲ぶメモリアルなものということでは限定品という選択になるのかなと思っています。

万年筆のメーカーにとって、限定品の存在は売り上げ的に大きく、限定品がなくては売り上げが成り立たないところもあるのではないかと思います。

売り上げももちろん大事で、それを無視しては存続はあり得ないけれど、希望としては限定品はロマンのために作って欲しい。
お客様はそこに共感するのだと思います。

 


当店のスター

2015-06-16 | 万年筆

当店に来られる方ならご存知の方も多いIW田様(男性)。
工房楔のスネークウッドのコンプロットといい、ル・ボナーのシャークの3本差しペンケースといい、その時しか買えないものをご自分の美意識に合えば逃さず手に入れている。
コンプロットの中に入っているこしらえの万年筆は、左から黒柿、ローズこぶ杢、花梨紅白。
この方のすごいところは、万年筆だけでなく持ち物全て、お家にあるものや車、バイクまで全てに美意識が貫かれているところ。

 

万年筆は日本中、世界中の人皆が使うものではなくなってしまったからこそ、より特別な、ただの筆記具以上の深いものになっていて、それは道と言ってもいいのではないだろうか。

もう少し使うべき人が使って、万年筆を使う人が増えればいいとは思い、それに対して努力をしていきたいと思っていますが、気付いた人は使っていて、そうでない人は使っていないし、理解できないという、今の万年筆の存在加減がちょうど良いのではないかと思っています。

その道に迷い込むきっかけはそれほど重大なものではなく、ただ何となく使ってみたかったというような他愛もないことだったかもしれないけれど、万年筆を使い出して、少しずつその道に入ってみると、それが全ての価値観を変えてしまったという人もいるのではないでしょうか。

私は万年筆のある生活とないものとでは全く違うと思っています。

万年筆で書くことはただ筆記具として選んだ(最初はそうだったかもしれないけれど)以上の何か、生き方のように思っていて、それを大袈裟だと言う人もいれば、大いに賛同してくれる人もいるかもしれない。

万年筆を使い始めてこの道に入ると、曖昧なことや思い通りにならないことを許す心と、強いこだわりを同時に持つようになると、自分の経験から思っています。

数値では表すことができない線の太さやインクの濃さ、書き味など、様々なことが非常に感覚的で曖昧で、何かを立てようとすると何かを譲らなければいけなくなる世のことわりのようなことも万年筆から教えられる。

持ち歩くもの、机に置くもの、身に着けるものへとこだわりが広がって行く中心には万年筆があって、この深まりながらも広がっていくのは、万年筆の特長で、私が茶道や香道などと同じような道と言っている理由です。

当店で「手帳のある風景」という写真冊子を発売していて、その中心には当然万年筆があるお一人ずつの写真を見ていて、その考えが裏付けられました。

お客様が強いこだわりを持って使っておられる万年筆や手帳を皆様にも見ていただきたいと思って、当店に来られるお客様のものを「Pen and message.のスター」としてご紹介したいと思い、これからも細々と続けていきたいと思っています。

 


組み合わせ

2015-06-14 | 万年筆

店がヒマになるとガラスケースの中の陳列の場所替えを狂ったように、大掛かりに始めることがあります。

不定期だけど、ずっと以前から同僚たちの都合も考えずにその時の店の雰囲気を見て、今だと思ったら一気に入れ替える。

陳列の入替えはやらなければいけないというものではなく、何か欲求に近い感覚ですが、お店だったらやはりやらなければいけないものです。

それまで頭の中で、これの横にこれを置いて、というふうに色々イメージしていて、実際にやってみておかしければ変更したりしています。

私の若い頃のトレンドは色別のディスプレイで、最近はシーン別の陳列とかディスプレイがトレンドのようで、そういう陳列、ディスプレイの仕方を他のお店でよく目にしますが、万年筆の場合そのモノの雰囲気がどうしても合わないものというのがあって、例えるとファーバーカステルの横にアウロラは合わないとかといったことです。

こういうふうに考えると、万年筆の陳列はどうしてもメーカー別、国別になってしまいます。

古くから万年筆店はそうやって陳列してきて、面白味がないと感じるかもしれませんが、私はこの自然な組み合わせのような感覚を大切にしたいと思っています。

それは個人の持つものでも同じで、その万年筆にそのペンケースは合わないというのは必ずあって、その感覚はなかなか伝えられるものではないけれど、一言で言うならば 「趣を揃える」という感覚です。

色とか、素材が同じであればそうそう間違いではないけれど、その他にも合うものはもちろんありますので、私はいろいろ合わせて遊んでいる。

服装でも、ハズシのような突拍子もないものの組み合わせは、女性の場合は許されるけれど、男性の場合余程の力のある服でない限り残念な結果になります。

それは服以外のモノの組み合わせでも同じで、ペンケースの革の色、あるいは木の色とペンの色を相性の良い色にするとか、ペン同士の組み合わせを考えてみるということで、誰もそんなところは見ていないかもしれないけれど、そんな楽しみ、嗜みのようなものも万年筆にはあると思っています。

 


万年筆への興味

2014-11-16 | 万年筆

書くことは自分の仕事の一部だと思っている。

ブログやホームページに載せる原稿はいつも手で書いているし、仕事の覚書、段取りなども手帳に書いている、

そうやって考えると書かない仕事は自分にはなく、書くことにおいても自分はプロフェッショナルと言っていいのではないかと最近変な自信を持ってきました。

書くことが仕事の一部なので、それで使う道具である万年筆には商品としてと同じくらい、道具として興味があります。

商品として万年筆を見る時と、自分の道具として見る時とはやはりその見方は違っていて、商品として見る時は自分の経験と今のお客様の動向などを照らし合わせてそれが売れるものであるかどうか考えるし、どうしたものがもとめられているのかも把握したいと思っています。

店の場合、お客様に直接お話を伺うことができるので、その気になればその感覚を研ぎ澄ましておくことはできるので、それはいつも磨いていたい。

売れるものは大好きだけど、生意気なことを言うようだけど、いくら売れると言われたり、売れると思っても気に入らなければ扱わないことも結構あります。

それはやはり、店という守るべきものがあって、それに相応しくないということもあるし、これはウチのお客様には使ってほしくないというものは扱わないようにしています。

道具として使う側の万年筆の興味としては、どの万年筆が自分の仕事をもっと良くしてくれるかということに尽きる。

自分の仕事を良くしてくれるのは、万年筆ではなく自分自身の心掛けしかないことは言われなくても分っているけれど、その心掛けを支えてくれるようなもの、仕事をより楽しませてくれるものを道具に我々は求めている。

最近、自分の仕事をより楽しくしてくれる万年筆を紹介すると(何度かご紹介しているかもしれないけれど)、当店オリジナルの万年筆用ボディこしらえにパイロットカスタム742のフォルカンというペン先をつけたもの。

万年筆をあまり使わない人ほど、柔らかいペン先に幻想を抱いていることが多いですが、フォルカンは見事にそれを打ち破ってくれます。

筆圧が低い私でも慌てると線が割れたり、書き出しが出ないことがあるくらい。

でもそれを使いこなすのに喜びを見出しています。

紙に当たるか当たらないかくらいの軽い筆圧で手帳に小さな文字を書き、手紙などには強弱をつけて太い線と細い線を織り交ぜる。

太い筆で細かくも、大きくも書くような感覚で、このフォルカンに黒インクを入れて書を気取っている。

実際は色々な万年筆を使い分けているけれど、フォルカンだけを様々な用途に使い分けることができたら玄人っぽくて素敵だと思っている。

 


ある日突然変わるペン先

2014-06-03 | 万年筆

よく使う万年筆は使い続けて2年くらいしたら、ある日突然書き味が劇的に良くなります。

私が使ってきたものはだいたいそうでしたので、わりと一般的なことだと思いますし、私の書く量でそういう感じなので、もっと書く人はもっと早いのかもしれません。

ペン先の初期状態で、食い違いなどの修正事項があれば修正しないといけませんが、私はほとんどの場合最小限の調整しかしないで使い始め、書くことで慣らしていくことを好みます。

最小限の調整なので、書き出しが出ないことや、インクかすれを気にせずそのうち出るようになるさと使い続ける。

普通に書けるようになるまでには、2年もかからずに書けるようになります。

きっと最小限の調整をして書き込んでいっても、完璧な調整をして使い続けても、ある日突然劇的に書きやすくなる時は等しく訪れるのだと思います。

使い始めたばかりの頃、ペン先が硬くて何てつかいにくい万年筆なんだと思っていたペリカン1931ホワイトゴールドは2年ほど使ったある日突然、インクが気持ちよく出るようになって、急に書きやすくなりました。

同じペリカンのM450も、書く時にいつも少し力を入れる必要があって、手紙などには使いたくないと思っていましたが、メモで使い倒すうちに、紙に置くだけでフワッとインクが出るようになって、とても気持ちいい書き味になりました。

アウロラ88はかなり使っているので、劇的に書きやすくなったのはだいぶ以前のことですが、最近では相性が悪かったペリカンのインクでも何の問題もなく、ヌルヌルとインクが出て書きやすい。

こういうことを経験すると、万年筆以外で文字を書きたくなくなるし、これを多くに人に知ってもらいたいと思いました。

お客様のペンを調整して、始めから書きやすい万年筆を使っていただけるようにしている私が、書き続けることで慣らしていくことを伝えることは矛盾しているように思うけれど、何も手を入れずに書き慣らすスタートラインに立っているペンもあれば、スタートラインに立てるレベルまで持っていく必要のあるペンもあって、これを見極めることができるのも、ペン先調整の技術のひとつだと思っています。

そして、始めから完璧に書けるものを求めるのならペン先調整で書き方に合わせるというやり方もあるということになります。

店でお客様とよく言い合っているのは、ある程度集中的に使った方が万年筆は書きやすくなりやすいということで、使い始めたばかりの万年筆があった場合、何本も使い分けるのではなく、それだけを持ち出して使った方が上手くいくのかもしれないということです。

万年筆を使い込む上でこれが正解というものはないけれど、万年筆を仕事道具として使っている人の話で、そう思っている人も多いのではないかと思います。


コサックの万年筆から

2014-05-25 | 万年筆

お客様と万年筆を交換して、デルタコサックが私の手元に来てから、

喜んで愛用しています。

しかし、コサックの万年筆は私が今まで持ちたいと思った万年筆のどれよりも派手で、交換するということがなければ、絶対に手に入れることのない万年筆だったと思います。

コサックを使い出してから、コサックの地ウクライナに興味を持ちました。

首都キエフはグーグルアースでたまたま見ていて、東ヨーロッパらしい美しい町並みに以前から何となく憧れを抱いていた気になる都市でしたので、何か縁があるのかもしれないと思いました。

ウクライナの歴史は常に他国からの侵略と分割統治される歴史の連続でした。

ウクライナ人という人たちは確かに存在するのに、ウクライナという国はポーランドであったり、ロシアとオーストリアだったり、ソ連であったりしました。

そしてウクライナに住む人たちは、いつの時代も虐げられ、搾取されて、苦しい生活を強いられてきました。

占領と介入のウクライナの歴史の中でもフメリニツキーがヘトマン(首領)として活躍していた時代がウクライナとコサックの黄金時代だったのかもしれません。

コサックの歴史は闘争の歴史でしたが、たくましく権力を利用したり、為政者を突き上げたりして繁栄していった。

コサックが活躍したのはわずか130年ほどの短い期間でしたが、その間ウクライナという国は確かに存在しましたし、そのパワフルな独立心はウクライナの人の精神として今も息づいているのかもしれません。

「自由の民」と呼ばれ、常に戦いに明け暮れたかなり好戦的な民族で、独特の風習を持っていたけれど、蹂躙され続けた祖国の扱いに怒り、自分たちの誇りを取り戻すために闘ったその精神がこの万年筆に宿っているようで、自分の精神的な支えとなる万年筆だと思えるようになりました。

1本の万年筆のテーマから好奇心が広がっていくのも、万年筆の楽しみで、こういうきっかけがないと私はウクライナのことを何も知らずに生きていたように思います。