元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

現場のバランス

2013-10-29 | 仕事について

レストランなどで出される料理にブランド食材が使われていると謳っていても、それが本当に使われているとは思っていないのは昭和の人間だからなのかもしれませんが、百貨店や名の知られたホテルは別で、まさかそれだけはないだろうと無条件に信じていました。

多少値段が高いけれど、食事の内容もサービスも信じるに値するものであるから、例えばお客さんと食事をする時に使ったりするのではないでしょうか。

腕は超一流でなくても仕方ないけれど、偽りだけは最もしてはいけないところがしてしまったと私は衝撃を受けました。

 

でも事実はどうか分らないけれど、私の経験だけで言わせてもらうと、実際に日々接客にあたっている現場の人というのは偽装などということをしようとはなかなか思わないのではないかと思っています。

サービスの現場でそれなりに経験を積んだ人はお客様の怖さも優しさも知っていて、お客様との間にある微妙なところで保たれているバランス感覚を知っている。

利益を出すために食材を安いものにしようと思うのは株主の顔色ばかりをみている経営者の考えることで、純粋にお客様のためにといつも考えている現場の人が考えることではないと思っています。

 

調理にあたる人が食材の見分けがつかなかったら、そのレベルが疑われるし、上層部が指示してやったことなら、その精神が疑われるので、なかなか釈明が難しい会見の様子を半信半疑でチラッと観ていました。

 


刺激

2013-10-22 | 仕事について

高校時代の友人が訪ねて来てくれた。

卒業してから会っていなかったので、27年振りに顔を見たことになりますが、すぐに彼だと分りました。

彼との高校時代の思い出は部屋でレコードを聞いてボーッとしていたとか、学校帰りに近くの店に寄って買い食いをしたとかというもので、時分の人生の最も生ぬるい時間を思い出させるものでした。

でも私もそうだったらいいけれど、彼は活気があり、シャープで、充実した生活を送っている人の物腰で、気遣いのできる大人の男性になっていた。

懐かしい名前を言い合って、彼らが今どうしているのかをほとんど知ることができたのは、彼が皆と連絡を取り合い、交流を保っているからでした。

彼のお店は地元にあって、同級生たちもよく出入りしているという。

彼は高校を卒業してからずっと美容師をしていて、30歳で自分の店を持って、それなりに挫折も成功も味わってやってきて、続いている。

80歳までは仕事をしたいと言っていて、70歳までを目標としていた自分のパワーのなさに少しひけ目を感じました。

長く仕事を続けてくることができた理由は、それがどれだけ好きかということに尽きると言った彼の言葉は、私たちの仕事について言い当てたすごい言葉だと思いました。

当店の近くで、ヘアカラーの講習があって、昼休みに抜けて訪ねてきてくれて、生涯勉強し続けて、腕を磨き続けないといけないと言う彼に刺激を受け、自分もそうでありたいと強く思ったのでした。


調和

2013-10-20 | 仕事について

万年筆のペン先調整においてのバランスの両端、相反する要件を知ることが基本です。

これを分っていないと相反するものを同時に追い求めることになってしまい、良いものにすることができない。

線を細くすることと書き味、ペン先の柔らかさとインクの出を抑えること、書き出しが出ないことと書き味の良さ、ヌルヌラの書き味とペン先の向きの自由さなどなど、全く別の要件に思えることですが、実はそれぞれのバランスをとらないといけない、振り子の両端に存在するもの。

これらのバランスがいいところで保たれているのが良いペン先のコンディションで、使う人の好みや書き方で変わり、このいいところに治めるのがセンスというか、腕の見せ所だと思っています。

極端に振れてしまっても良いペン先として成り立つものであれば、その面白さは半減してしまう。

このバランスの中に治めることがいつしかか快感になって、いまだにできた時には手応えと喜びを感じます。

 

人生にもバランスはつきもので、若い頃その甘えもあって、バランスをとることに気が回らないことがよくあったと後悔しています。

家庭と仕事、遊びと仕事、コレクションと道具、趣味と仕事、ひたむきさとスマートさ、環境と利便性など、相反するバランスの両極端を見極めて、いいところで維持することが調和させるということで、なかなか大切なことだと考えるようになりました。


スピーチ

2013-10-14 | 仕事について

ある高校で少ないけれど、生徒さんの前で話すことになって、話す内容について考えています。

妻や周りの人に言わせると話すのが苦手なくせに何で引き受けるの?ということになるけれど、苦手だからと逃げ回るのはつまらないと思いますし、声をかけて下さった先生の役に立ちたいとも思いました。

それにそういった変化のようなものがある方が人生おもしろいと思います。

高校生の人の役に立つ話が私にできる自信はないけれど。

学生時代無気力で、楽をして生きていければいいと思っていました。

就職活動で希望したのは、残業が少なく、休みが多い、仕事が楽そうなところ。

不労収入という言葉にも憧れていて、本当に何も分っていなかった。

若い頃の私は結局何も見つけることができずに20代前半までを終えてしまったように思います。

何もやりたいと思うことがなく、努力もしていなかったけれど、不安だけは一人前に持っていて、たった1年先でさえ自分が何をやって生きているのかもわからなかった。

もっと先の、例えば今の年齢である45歳の自分などまったくイメージできず、将来真っ暗に思えて諦めていました。

もし生徒さんの中にやりたいことが何もなくて、将来に不安しか持っていない人がいたら、その人たちの気持ちはすごくよく分って、もう少し人生を良くするのに役立つ言葉をかけてあげることができるけれど。

たぶん若い頃の私は楽と楽しいを混同していたのだと思う。人生を楽しくするコツが分っていませんでした。

今ならそれが分る。自分の人生を楽しくするためにスピーチを引き受けたと言うと先生はどう思うだろうか?


サービスの順番、そして美学

2013-10-08 | 仕事について

休みの日に出掛けて昼食に入った店で妻がビクビクしていることがあります。

水を出すコップがきれいでないとか、布のナプキンにケチャップが付いているとか、テーブルがきれいでないなどの、何か味以前のことができていないようなところを見つけると、私がお店の人を呼んで直させようとするからです。

気付いた時に妻に断りを入れるわけではなく、いきなり「ちょっと」と声を掛けるので、私が何か見つけないか戦々恐々としているのです。

夕方や夜ではなく、昼11時の開店直後なのに掃除ができていないことはおかしい、お店が気付いていない不備を教えてあげているような感覚。

自分もそれなりのいい齢をした大人なので、呼んで怒るということではなく、注意を喚起するつもりでいます。

そういう店が、食事以外のお客をひき付けるような仕掛けに工夫が凝らされていると、さらに腹が立つことがあります。

そういうことをするのは、まず基本を押さえてからだと、そのサービスの順番の逆転振りに腹が立ったりします。

でもそういうことはお店などで、よくあることで売上増加を目指してセールをしたりする前に、普通に掃除をした方が売上も上ると思うのは、私の肌感覚と45年間生きてきた経験によるものです。

サービス以前の基本的なところ、アピールできる要因以前のことをしっかりすることを美学として持っておきたいと、自分の店への戒めも含めて他のお店にも思います。

 

最近アピールする以前のことをテレビのコマーシャルで堂々とアピールする企業が増えているような気がして、変に思います。

お客様に誠実に対応します、というのはお客様商売をしている会社として当たり前で、お客様に誠実に対応せずに続いていける企業など存在するはずがないと思うのはキレイごとなのか。

それをあえて声高にアピールする美学のなさに腹が立つことがありますし、真面目にコツコツやってきたこともコマーシャルで言うことではない。

もしかしたら、それらは外のお客に言っているのではなく、内側で働いている人の啓蒙のために言っているのか?と思うことがあるけれど、でもそれを言わないといけないことも怖い気がします。

当たり前のことを言ってしまう、そこに美学を持たない企業が増えているのは、それをそのまま鵜呑みにしてしまう時代、我々サービスの受け手のせいなのかもしれない。


カンダミサコ神戸大丸出店中

2013-10-06 | お店からのお知らせ

万年筆屋になっていなかったら、きっと鞄屋さんか靴屋さんになっていたと思えるほど、革製品が好きで、どこかに出掛けた時に革製品を見掛けるとじっと観察したり、手にとったりしています。

当店に革製品が多いのも、そんな理由があるし、革製品の企画は以前からとても好きでしたので、自然と革製品を多く扱う万年筆店のようになってきている。

ル・ボナーさんが万年筆の話しをする鞄屋さんなら、当店は靴や革の話をする万年筆店なのかもしれません。

以前は国産の、あまりエージングしない感じの革が多かったように思いますが、最近は外国のタンナーの自然な色、良い匂い、しなやかな質感の上質な革が広く使われるようになってきましたし、国産の革も良くなっています。

私たちが若い頃は、本革というだけで何か良いものだということで通用していたような感じでした。

でももうそれだけでは通用しなくなったのは、より上質な革を多くの人が理解するようになったからだと思います。

私が革の質感の違いに目覚めたのは、きっと多くの同年代の男の子と同じだと思いますが、野球のグローがブやスパイクでした。

例えば、国産のものよりもアメリカ製のローリングスのものは明らかに革の感じが違いました。

やはり外国のものは違うという印象は、その時に抱いたままで、ローリングスの革の厚みや頑丈さを感じさせながらも、キメの細かな革の質感が今も忘れられず、ずっとそれを追いかけているのかもしれない。

昨晩のWRITING LAB.の会議でベラゴの牛尾さんが作ったB6サイズのノート/ダイアリーカバー見ていて、皆でその丁寧で、正確なミシン目に感心していました。

失礼な言い方かもしれないけれど、普段の彼の雰囲気とは違った仕事に対してのシリアスな姿勢が感じられました。

神戸には本当に腕の良い革の職人さんがいて、それぞれが持ち味を生かして何となく棲み分けができています。

ベラゴの牛尾さんももちろんそうですし、大御所のル・ボナーさん、そしてたった2,3年でビッグネームになったカンダミサコさん。

カンダミサコさんもやはりとても丁寧で安定感のある仕事をしているし、他の革職人さんにない独特の世界観を持っています。

カンダミサコさんは10月15日(火)まで神戸大丸に出店中です。

 

 


六甲山に上る

2013-10-04 | 仕事について

誕生日の前日が定休日でした。

あまり時間がなかったけれど、久し振りに六甲山に上りたいと思いました。

自宅から1時間もかからないのに、高原のリゾート地の雰囲気が味わえるこんなところがあることを忘れていました。

六甲山を上る曲がりくねった道で妻が酔わないように気をつけて上ってくると、下界とは違う世界がありました。

気温は5度ほど低く、とても気持ち良いですが、既にシーズンを外れたリゾート地の裏寂しさもありました。

車を駐めてすぐに見晴らしの良いカフェがあるガーデンテラスの駐車場に車を入れました。

駐っている車の多くが県外のナンバーで、そんなところもリゾート地らしくて好きです。

妻はきっと息子と3人で六甲山牧場で羊を追いかけて以来だと思いますので、六甲山に上るのは14,5年振りになります。


私は6年前、開業前にいろいろ相談に乗ってくれていたSさんと夜この場所を訪れたことがある。

Sさんは目が悪くなって、きっともう車を運転することができないけれど、当時はまだ運転していて、彼の愛車のベンツの助手席に乗せてもらってきました。

Sさんは私より5歳くらい若いけれど、大学時代に起業など私が経験した一通り以上のことは既に経験していて、その時は知人の会社の役員という立場で手伝っていて、その会社の業績を良くしようと奔走していました。

賢人といった印象のSさんがなぜその時、開業前の私をこの場所に連れてきて、神戸の夜景を見ながら話をしてくれたのか。

この場所からは神戸が足元に見下ろせて、遠く大阪湾の対岸の街々まで見渡せる。

このたくさんの人の暮らしがある街の中に埋没せず、高い所から全体を見渡すような仕事をしなさいというメッセージがあったのかもしれません。

当時の私には何も察することができなかったけれど、別の人が同じようなことを言ってくれた時にあの光景が目に浮かびました。

そしてあの店なら何円くらいの売上まではいけるはずと、目安となる目標を言ってくれたけれど、私はいまだにその半分のところをウロウロして、このたくさんの家々の中で埋没しそうになりながら同じ場所にいる。

ここから飛び出すのが目標ではないし、売上を王台に乗せることが目的ではないことも分ってきたので、それで良いと思っているけれど。

きっとこの気分が味わいたくて、6年振りにここを訪れたのだと思いました。

短い六甲山滞在だったけれど、見晴らしが良くて単純に楽しかった。また訪れたい場所を思い出した。

 


売り方

2013-10-01 | 仕事について

店を始めたばかりの頃から悩まされていることが、1日1,2度はかかってくる電話セールスです。

悩まされているというほど重大なものではないけれど、例えばこうやって何か書いていたり、大切な掃除の時間などがそんな電話で中断されると腹が立ちます。

売り込まれる商品は様々で、ホームページ関連のサービスの提供(これは当店のホームページの進化の具合で微妙に変化していった、高度な売り込みだったけれど)、携帯電話のキャリア変更を勧めるものなど、面白いところでは北海道からカニを買わないかというものも。
このカニを断ると、買わないことがとても意外だというように言われて電話を切られました。

それを電話で勧められて、本当に買うのか?というものが多く、そもそも電話で商品が売れるのか、これらの会社はこれで業績を作ることができているのか。
電話代しかかからないかもしれないけれど、この電話をかけている人に支払う給料などは考えられているのか?などと余計な心配もしてしまいます。

テレビショッピングで商品を取り上げてあげるというものも最近増えてきました。

いかにも万年筆に理解があるように話してくれて、万年筆がテレビショッピングでいかにウケるかを説いてくれますが、自分の店の名前がテレビショッピングで連呼されるのは嫌だし、メーカーでもない限り、そこに商品を出して利益が出るはずがありません。

それよりも何よりも、初めて電話をかけてきた会社の人と「じゃあ一緒に仕事しましょうか!」とその話に乗る人がいるのだろうか?

私が取った電話ではないけれど、あるテレビショッピング企画会社の担当者さんは「売りたくないのですか」という捨てセリフを残して電話を切ったそうです。

店をやっている限り、物を売りたいに決まっているけれど、方法は選びたいといつも思っています。

若い頃、上司の提案する売り方、同僚たちが邁進する売り方に対して何か嫌な気分になることがあって、でもそこに賛同しないと売ることに貪欲でなく、やる気がないと思われるのではないかと思ったことがありました。

その時はその嫌な気分になった理由が自分でも説明することができませんでした。

自分たちが好きでない方法で物を売らないことを売り方の美学だと思っているけれど、見る人から見ると私はとても甘いことを言っていると思われることも分っています。

不景気な時代に、生き残るだけでも大変な時代に悠長なことを言っていられるはずもないけれど、私はそれを捨ててまで生き残りたいとは思えないと腹をくくっているけれど、その美学を持ち続けることが、生き残るために必要なことだということは感覚で分っています。