元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ピッタリと合った靴が欲しい

2012-08-31 | 仕事について

いつも思っていて、その想いは数ヶ月前から急激に高まってきていました。

靴が欲しいと思いました。

ある程度の出算の好みや出せるお金の限度はあるけれど、細かな色やデザインの違いよりも、自分の足にピッタリ合ったものが欲しいと思いました。

私としては珍しく、ネットでかなり粘り強く、しつこいくらいに調べました。

私は足が小さいので、そのサイズを設定しているメーカーは限られていると、だんだん分かってきました。

日本のメーカーには小さいサイズがあるけれど、今回はそういうものを選ぶ気分ではなく、海外のものを中心に調べていました。

パラブーツは私の様々な条件に合った小さいサイズがあることが分かりました。

ネットで買うことができればとてもいいけれど、信頼できるお店がどこなのか分かりませんでした。

中にはとてもひどいお店がネットショップにはあって、オールデンを店頭で揃えている百貨店やセレクトショップなどのお店を北海道から九州まで挙げて、それらで試し履きしてから、電話やメールで値段や在庫を問い合わせて買って下さいとすすめている店もありました。

こういう店では絶対に買いたくなかったし、アフターフォローに興味がなさそうなお店も嫌だと思いました。

パラブーツに小さいサイズがあることが分かりましたが、それを在庫していて、履いてみてから買うことができる店を今度は探しました。

幸い三宮の東の外れに、ヨーロッパの服を中心としたセレクトショップであるそのお店がありました。

日頃、神戸に住む私たちでもあまり来ることがないようなところですが、ホームページや雑誌などを見て来るお客さんがほとんどで、通り掛かりのお客さんを期待していなければこの立地でもいいのだろうと思いました。

考えてみると当店も同じような立地なので、やっていけないことはないのだろうと、色々お節介なことを考えていました。

開店して2年半のまだ新しいお店とのことですが、いつまでも続いて欲しいと思いました。

小さなお店で、とても落ち着いて居ることができる。

私が、シャンボードがウイリアムか悩んでいる間、妻に椅子を勧め、紅茶を出してくれていました。

結局、実は駒村氏が履いているのを見てとても良いと思っていたウイリアムにしましたが、少しタイトで締めつけられるような履き心地のシャンボードも良かった。

モノとの出会いは、お店との出会いでもありました。

 


9月15日(土)、16日(日)イル・クアドリフォリオイベント開催

2012-08-26 | 仕事について

革小物、オーダー靴製作工房イル・クアドリフォリオのイベントを9月15日(土)16日(日)当店で開催します。

現在発売中のシガーケース型ペンケース「SOLO」をはじめ、新作の革小物もお披露目したいと思っています。

 

イル・クアドリフォリオはフィレンツェで革製品の製作の修行をしてきた久内さんご夫妻が兵庫区和田岬に開いた工房で、木型を使った絞り技法のシガーケース型ペンケース「SOLO」をWRITING LAB.ブランドで作っていただいています。

革とは思えないような精度の高い作り、透明感とムラ感のある美しい色付け加工など、イル・クアドリフォリオならではの作品だと思っています。

イル・クアドリフォリオのお二人とわれわれが出会ったのは、旧居留置の鞄工房ベラゴ http://www.bellago.jp/ の牛尾さんの紹介で、牛尾さんと知り合えたのは、ル・ボナーの松本さんに牛尾さんの存在を教えていただいたからでした。

昨年夏、WRITING LAB.として革製品を作って下さる職人さんを駒村氏と探し始めて、年末近くにたどりついたのがイル・クアドリフォリオのお二人でした。

その時は今のような活動ができるとは思いもしませんでしたが。

でも久内さんご夫妻の人柄の良さは初めから伝わってきていて、一緒に仕事がしたいと思いました。

WRITING LAB.もそんな感じで始まったとふと、思い出しました。

ただ駒村氏の人柄が好きで一緒に活動を始めました。

二人が共同作業をしなければならない合理的な理由は何もないけれど、二人で何かしたいと思いました。

そうやって勢いだけで始めたWRITING LAB.の活動が丸1年になります。

相変わらず、土曜日の夜の打つ合わせは欠かさず続けていて、久内さんご夫妻とペンケースに関して何ヶ月もに渡って話し合ったのもWRITING LAB.の土曜日の時間。

今回のイベントも、これがあるから仕事は楽しいと思える、その時間から生まれた企画です。

 


そうしたいからそうする関係

2012-08-23 | 仕事について

あることから2006年に始めてからのブログの記事を読んだり、ホームページのペン語りコーナーを見返したりしていました。

過ぎてしまうととても早い5年間でしたが、ひとつひとつの事柄に人とのかかわりが必ず存在する。

店の歴史はそれの連続だと改めて思いました。

昨日、大和座狂言事務所の千里中央での公演に行き、終了後安東伸元先生のご自宅兼お稽古場にお邪魔して、安東先生や大和座狂言事務所の皆様とまさに語り合いました。

こういう時間を安東先生は、芸の肥やしになると言われるけれど、私のような芸を持たない人間でも大いに刺激を受ける時間です。

ライティングラボの話し合いでも思うけれど、こういう話し合いから生まれるモノやコトは多いと思う。

公演後の皆様一息ついたところにお邪魔して、同席させていただいたことに感謝しています。

安東先生は、当店も大和座狂言事務所の一派だと思ってくれていて、

お互いのためになるなら、役に立ちたいと思える関係がとても嬉しく思っています。

 


「初めての万年筆」原稿募集締め切り迫る

2012-08-19 | 仕事について

9月22日(土)に配布開始を予定しております文集に掲載する、「初めての万年筆」の原稿を8月31日(金)まで募集しております。

9月23日(日)、当店は開店5周年を迎え、その記念の文集したいと思っております。

テーマは、初めての万年筆について。文字数は400文字前後、

メールでも承りますので、ぜひ penandmessage@goo.jp までお願いいたします。

 


過ぎ去った年月

2012-08-17 | 仕事について

私の実家は同じ敷地内にあって、お盆といってもちょっと行って線香を焚きながら、その前で世間話をして帰ってくるという簡単なものです。

母が亡くなって20年経つということは、私が仕事に行き出して20年経つということになり、その年月はあっという間だったけれど、20年前はみんな若かった。

お盆はいつもと違う何かを思わせる期間だと思います。

お正月は未来について考えることが多く、お盆は過去について振り返る時なのかもしれないと思っていて、このお盆の期間は以前のことを思い出すことが多い。

私くらいの年代の人間が思い出すのは普通に昭和時代のことが多い。

昭和と平成の境目のバブルはテレビや新聞の中での、どこか他所での出来事のような感じでした。

神戸で見ることはなかったけれど、東京に出た時に肩から大きな携帯電話を下げている人を何人も見て、それが私が垣間見たバブルでした。

バブル経済も東京も、携帯電話も自分がこれから生きていく道に全く縁のないものだと思いましたし、実際そういうものと縁のない生き方を臆病にも選んできました。

今から考えても、そっちの生き方を自分ができたとは思いませんし、今の方が自分に合っていると思っていますが、時々母の年齢に近付いていく自分の齢を考えると、過ぎ去ってしまった年月の重大さが恐ろしく思ったりします。


身近なローカル線

2012-08-14 | 仕事について

たまに叡山電車や嵐電などに乗った時に、電車が地元の人の生活のとても近いところにあるような気がして、独特の味わいを楽しめます。

River Mailのある四宮へ行く京阪電車京津線もそうですね。

地元の人にしてみると、それは路線バスのような日常の足で、見るべき車窓の景色もないし、駅の雰囲気を楽しむこともない。

それらの町中のローカル線が楽しいのは、日頃見ることができないような電車に乗ることができるということもありますが、私たちが子供の頃の駅や沿線の風景を思い出すことができるからかもしれないと思いました。

今朝、事故か何かで、いつも乗っているJRではなく、振替輸送の山陽電車で出勤しましたので、いつもと違う風景を見ながら来ました。

山陽電車は、阪神電車や神戸高速鉄道に乗り入れしながら姫路から大阪までJRと平行して走っていて、私の場合電鉄垂水から元町まで乗ることになります。

元町までの山陽電車の風景で味わい深いのは、須磨浦公園と東須磨の間だと思っています。(明石から西も良さそうですが、乗ったことがないので)

家の間ギリギリを通る線路、小さくて古い駅舎。特に夜通るとチカチカして薄暗い蛍光灯の光を感じる日本映画のワンシーンの中にいるような気分を味わえる。

たまに振替輸送に遭遇して乗ることになるけれど、これはこれで楽しんでいます。ローカル線なんて言うと地元の人に怒られるかもしれないけれど、なかなか楽しい電車の旅が味わえます。


多聞東中学校同窓会

2012-08-12 | 仕事について

今日北野で中学校の同期の同窓会が行われています。

私は店があるので、行くことができず残念ですが、こういう仕事を選んだので仕方ない。

中学の、特に3年生はいろんなことがあって、ものすごく思い出深い。クラスも仲がよかったし、私の知る範囲ではいじめもなか。

神戸市の中学校は、当時校則が理不尽に厳しく、男子は坊主頭、女子はおかっぱと決められていて、髪が少し伸びただけでバリカンで刈られることもありました。今では考えられないけれど。

坊主、おかっぱしか知らないので、きっとみんな分からないくらいに変わっていると思うけれど、それ以前に30年もの歳月が流れているわけなので、変わっていないわけがない。

当時好きだった女の子とか、どんな風になっているか会ってみたい気がするけれど、お互いに会わない方が良いかもしれないなど、複雑な気持ち。

 

中学の時自分がどんな夢を持って、何をしたいと思っていたかあまり覚えていませんが、きっと野球のことばかり考えていたのだと思います。

野球をずっとしていくことができたら・・。とその時は思っていて、それ以外の努力は何もしていなかったと思います。

野球が唯一好きなことだったので。

その時に自分が万年筆屋になると思わなかったけれど、遠回りしてきても万年筆に出会えてよかったと思います。

しんどくても、良い結果がなかなか出なくても好きなことだったら努力できるし、苦労を苦労と思わないところがある。

私は自分自身が意志の弱い人間なので、人間は皆好きなことしか努力できないと思っていて、高3の息子には既に見つけている好きなことを仕事にするようにいつも言っている。

好きなことを仕事にするには、それでやっていくことができるかという心細さを克服しなければいけないけれど、それを心細いと思わせるのは年上の大人たちの生き方にお手本がなかったからなのかもしれません。

若い時大真面目に好きなことを仕事にしなさいと言ってくれる大人は私の周りにはいなかったから、息子は幸せだと思う。

中学の同窓会の話から、かなり反れてしまいましたが、最近学校で起きている様々な事件を聞くと懐かしく思い出せる学校時代があるのは、恵まれている方なのかもしれないと思います。


皆様の手を借りて

2012-08-12 | 仕事について

お店はたくさんの人に知られていないと続いていくことができなくなると、いつも思っています。

その店がターゲットとする人が感じよく思って下さる方法で当店の存在を知ってもらえるようにするのはとても難しいし、お金をかけて効果があるかどうか分からない広告を打つ以外、自分の力だけではどうしようもないところがあります。

限られた人を顧客に持つ知る人ぞ知る店が続いていくのは、本当に難しいことだと思う。

お店は人に知られて「ナンボ」だけど、それは人に良い噂にのぼらないと意味がなく、お店がいくら声高にアピールしても仕方ない。

そういう意味でも、7,8月に取材して下さった、各情報誌の存在は、とても有り難く思いました。

関西をホームグラウンドに活動するアカペラグループ「Be in Voices」 http://www.beinvoices.net/ のリーダーの泉さんが、そのファンクラブ誌「Be in Club」で行きつけのお店として当店を詳細に紹介して下さり、既刊しています。

関西音楽界一(?)の文具好きで、古くからのお客様である泉さんが当店を取り上げて下さったことが、とても嬉しく思いました。

阪急電車の駅、阪急オアシスなど阪急電車の関連施設などで配布されている沿線情報誌「TOKK」 http://www.hankyu-com.co.jp/tokk/ の9月10日(月)から23日(日)まで配布する号で文具特集をするということで、大阪本町の「フラナガン」さん http://www.flannagan.biz/ とともに掲載されるということで、取材を受けました。
 
年40回程度以上全日空の飛行機を利用する方に全日空が郵送している「ANA AZURE」は、サンプル誌を見せていただきましたが、さすがお得意様にお送りしているものだけあって内容も充実していて、取材対象も豪華メンバーでした。
 
記者の方とともに来られたフォトグラファーYさんは万年筆を愛用していて、当店のことを知って下さっていて話が盛り上がりました。
 
8月9日に発売された趣味の文具箱への寄稿は、実は会心の出来で自慢ですが、万年筆に興味を持っていない人、知識のない人が当店のことを知ってくださるかもしれない、こういった情報誌に掲載されることもとても大切なことだと思いました。

線路脇の店

2012-08-11 | 仕事について

まだ3,4歳の子供の頃、武蔵境にある伯母の家から伯母に手を引かれて病院に通っていた時期がありました。

それがどれくらいの期間で、いつ頃の季節だったかなどは全く覚えていなけれど、家の中や武蔵境の駅、その周辺の商店街、井の頭公園の噴水、従妹のYちゃんと遊んだことなど、けっこう覚えています。

その家は国鉄の線路のすぐそばに建っていて、電車が通過する音や、踏み切りの音がいつも聞こえていました。

 

奈良の「くるみの木」の中で踏み切りを通過する電車の音を聞いていると、その時の気持ちを思い出され、懐かしい気持ちになりました。

余所のお店を訪ねるとお客様目線ではなく、お店の人の目線で何もかも見てしまう癖がついてしまっていて、このお店でもそれは変わらない。

開店して25年経ち、今でこそ超人気店になっているものの、開店当時は寂しい気持ちでこの電車の音を聞いた日も少なくなかったのではないかと想像してみたりします。

地元の人は通るけれど、国道から離れているためたまたまここを通り掛かる人は非常に少ないと思われ、近所に住む人がある程度来店すると、あとは客足が途絶えたのではないかということは自分の経験から推測できるし、創業者の石村由起子さんの本にも近いことが書かれていました。

一人の主婦が電車からたまたま見えたこの場所でカフェをオープンさせて、雑貨や服も扱うようになり、今では日本中の人が知る人気のある有名店となっていることに、お店をする人のストーリーが感じられ、買い物したり、お茶を飲んだりするいつも利用するお店と同じようには、とても見ることができません。

行きたいと思いながら2年も経ってしまいましたが、「くるみの木」をやっと訪ねることができました。


悠久の時に想いを馳せる

2012-08-08 | 仕事について

私が子供のコロは山越えのルートか、かなり南を通る西名阪道のルートしかなかったと思いますが、トンネルができていて神戸から奈良は1時間ほどで着く近さになっていました。

大阪から見る生駒山はとても高く見え、、その山頂にアンテナをたくさん立てた姿を小学校の教室から見た時の気持ちを思い出しました。

今も変わっていないつもりでいるけれど、あの時は目に入るもの全てが美しく、情感を込めて見ることができた。

生駒山をくぐったらすぐに奈良に入り、到着が早すぎると思ったら、左手に朱雀門が見えて、寄り道していくことにしました。

平城京跡は、朱雀門と大極殿、他小さないくつかの建物があるだけの大きな野原ですが、何もないところがかえって想像力が掻き立てられ、ロマンを感じることができます。

かっての都の中心を南北に隔てるように近鉄電車が横切りますが、その電車の存在が過去と現在の対比を面白くして、1300年という歳月について考えさせられますが、1300年という人間の行為でさえ地球の46億年という活動の中では点のように思える時間なのかもしれないし、さらに人間の一生はほんの一瞬にも満たないと思えます。

何もかも強い色合いに見える強い日差しの草の野原の中、そういうことを思うことができる時間を楽しみました。

妻も息子もこの平城京跡の意外な楽しみを感じていたようで、それぞれ口数少なく、野原を見渡して何かを考えている表情。

車の旅ならではの寄り道の楽しみでした。