元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

コラージュで手帳を彩る

2014-01-28 | お店からのお知らせ

「コラージュで手帳を彩る」という新しいワークショップを2月27日(木)14時~16時に開催することになりました。

ワークショップというと講師の先生がいて、その指示に従って作品を仕上げますが、今回のものは皆でコラージュを楽しむような感覚のものにしたいと思っています。

お客様の奥谷様が、コラージュ用のシール、スタンプ、マスキングテープなどの素材を提供してくださりますので、それを使って手帳のページにそれぞれの作品を仕上げる。

私は仕事と趣味が直結したもの、インスピレーションの源泉になるような、新製品の企画の助けになる、イメージパレットを作りたいと思っています。

言葉にするのは易いけれど、本当にできるかどうかは分らないけれど、楽しそう。

私もスタンプや付箋などを持っていきますので、参加して下さる方皆で持ち寄ったら、かなり多くの素材が揃うと思います。

最近、女性のお客様が様々な色の万年筆のインクを揃えていることを体感しています。

万年筆において、何か新しい動きが起こっているような感覚で、作品と肩肘張らないこの手帳をキャンバスにしたコラージュもそんな中のひとつなのかもしれません。

日々の中で、一人でこの時間を作ることは難しくても、ワークショップに参加してするのならできるかもしれないと、自分の日常にあてはめるとよく分る。

毎月継続できたらいいなあ、と思っています。

参加希望される方、のり、はさみ、ペン、手帳をご持参ください。特にご予約はいりません。

 


分かれ道に立つ

2014-01-21 | 仕事について

昨年から高校時代の同級生たちが会いに来てくれる機会が多くなっている。

同級生同士のネットワークで人伝えに聞いたり、インターネットで見て来てくれたりしていて、懐かしい想いをしています。

卒業した高校は進学校ではなく、皆きっと勉強はあまり好きではなかったのではないかと思うけれど、その時点で他の道を見つけている子はとても少なかったので、討ち死に覚悟の大学受験に多くの子が挑んで行った記憶があります。そんなことを言うと怒られるかもしれないけれど。

それから28年たって、友達の多くは結局自営業のような仕事の仕方を選んでいて、それぞれそれなりにやっているようだと人伝えに聞きます。

きっと皆学校の勉強が得意ではなかったので、大きな会社に入った子などいなく、失うものもないので思い切った行動に出ることができたのではないかと言うと、また怒られるかもしれないけれど。

これから自分で仕事を始めたいという話も聞きます。

会社を辞めて自分で仕事をするというのは確かに思い切りが必要で、失敗のリスクがないと言えなくもない。

もちろんリスクはない方がいいけれど、それを恐れすぎると現状維持ということになります。

私が店を始めたばかりの時、気付いて自分自身に言い聞かせていたことは、100点を取らなくてもいいということ。

何かを始めて0点の失敗ということはそうそうないのではないかと思います。

40点、60点ということもあって、100点に近い方がもちろんいいけれど、50点でも苦しいけれど生活することができると考えると少しは気が楽になるような気がします。

そして、仕事においては学校の勉強と違っていろんな正解があるということ。

正解は誰か他の人が知っているのではなくて、自分自身が決断して、それを正解にするように行動することだとよく思います。

何もしないよりも、後悔のないように行動を起こしてみる方がいい。

でもこれは私も最近忘れていたような気がします。


大寄せの茶会記

2014-01-19 | 実生活

先日4年ぶりに大勢の人の前でお点前をすることがありました。

茶道を教えてくれている先生が神社などの茶室を使って年に何度かお茶会を開いていて、その日程が私が丸一日参加することができる水曜日になるのが4年ぶりだったからでした。

今回も湊川神社でのお茶会でした。

9時から15時のお茶会で、300人以上のお客様が来られ、私たち門下の者は交代で、30人ずつ入れ替わるお客様の前で型どおりのお点前をします。

茶道教室の発表会のようなものです。

お茶の心と、大勢の人の前でお点前を披露するという行為が何となくそぐわないような気もしますし、上座のお二人だけにお点前さんがお茶を点てて、3人目からは水屋で流れ作業で淹れられたお茶が供されるのもあまりにも慌しく、お茶的ではないような気がしますが、私たちは茶道の型を演じる演者のように、それぞれの役柄になりきりました。

お点前は2回回ってきて、大勢の人の目が私たちの一挙手一投足を見逃さないと注目される中、もちろんそれに集中して精一杯するのだから気は抜けないけれど、それよりも水屋からお茶やお菓子を30人のお客様に配るお運びさん役がなかなかの重労働でした。

ちゃんと正座して、深々とお辞儀してということをお一人ずつにするので、言わば連続で前屈とスクワットをしているようなもの。

毎日のスクワットがここで生きました。

でもあまりに大変で、早く終って欲しいと思いながらも、大勢の人の前で魅せるお点前をする快感も味わいながら、勝手が分って楽しくなってきた時に終ってしまいました。

数年前に、先生が水曜日を引き当てたとキラキラする目で言われて、参加を義務付けられていて、それなりの緊張感と若干の気の重さを感じていたお茶会でしたが、終ってみるとまたやりたいと思ってしまう。

障子に遮られた天然光だけの、薄暗い茶室で静かに行われる、懐かしい感じのする日々のお稽古に戻って行きます。

 


茶会を前に

2014-01-14 | 実生活

先日、羽織、袴のサイズ合わせをして、いよいよだと思っていた湊川神社での茶会が明日に迫っている。

今回の茶会の日程は、2年ほど前から先生に言われて、お点前をすることになっていたので、準備万端整っていると言いたいところだけど、数ヶ月前に突然実はあまり日がないと、現実味を伴った焦りを感じ始めた。

お点前を箇条書きにしたメモを見返すことと、道具なしで手さばきを練習することくらいしかできることがないのに、それでも締め切りに追われているような感覚に襲われています。

当日どれだけ落ちついていられるかが、最も大切なことかは分っている。

少しくらい間違えても、平静を装っていればだれも気付かない。

昨年末、お稽古の時に茶会をイメージしてみようと思い、大勢のお客様がいるようなイメージでお点前をしたことがありました。

私が始めてすぐに先生から「あら、今日は何か肩に力が入っていて、不自然よ」と言われ心の中を見透かされて、驚きと恥ずかしいような想いをしました。

素直に考えていたことを話すと、「今まで通り、自然でいいのよ」と言われました。

それだけ見る人が見れば精神状態が表れているのが茶道のお点前なので、落ちつくことを心掛けないといけない。ただでさえ男性は少なく、目立つのだから。

茶道を始めたのは6年以上前で、この店を始めたのと同時期です。

仕事の仕方が変わって時間を作ることができるようになったのと、幸い店の近くで教室を開いている先生がおられたからスムーズに始めて、続けることができていると思っています。

千利休を知って店という仕事において、お客様をおもてなしする心を養うことができる茶道は必須の研修のような気がしていました。

朝店が始まる前に、お稽古に行くのは正直面倒だと思うこともあるけれど、続けていることで、仕事においても生活においても、お茶という背骨のようなものを持てていると思っています。

そしてそれ以上に、先生の言葉や態度から教えられる(それはほとんど無言の中にある)ことが多いのと、自分でも様々なことについて考えるきっかけになって、有り難く思っています。


今年もよろしくお願いいたします

2014-01-07 | お店からのお知らせ

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元旦、今年は京都今宮神社に初詣に行きました。

あまり大きな神社ではなく、地元の神社のような雰囲気がとても好きだったし、今宮神社のある紫野という土地の雰囲気が好きだったから訪れてみることにしました。

あまり信仰心の厚くない私たちには、その神社が何の神様かはあまり関係がないのです。

人出も他所の神社ほどは多くなく、夜店も少し出ている程度。地元の人たちが焚き火にあたっている風情もよかった。

紫野の雰囲気を作っているのは、千利休や戦国大名たちとも縁のあった、すぐ近くにあるとても大きな大徳寺で、何年かおきに大徳寺の中ある塔頭のいずれかを訪れていました。

枯山水の庭が有名な龍源院にも行きました。

大晦日の晩読んでいた本に龍源院の話が出てきて、もともと大徳寺方面に行くつもりでしたので、訪ねてみたのでした。

よく言われることだけど、枯山水の庭は墨絵の世界のようで、私の好みに合っている。

色彩がなく、石と砂、最小限の草木で表現された世界観はとらえどころがなく、作庭者がどのような意図を持ってこれを作ったのか、正解のない答えを想像したりするのが楽しい。

それはきっと観る人それぞれが感じたことが正解で、そういうところが自分の感覚に合っていて、私も伝えたいと思っていることを伝えてくれているような気がします。

枯山水の庭は、森脇さんが聞香会で供してくれる沈香の香りと似ているのではないかと思いました。

沈香も強く薫らない。その香りを強く聞こうとすればするほど分らなくなり、力を抜いて自然体になったときに不意に香りをとらえることができたりする。

枯山水の庭も、沈香も正解を強要しないところがいい。

堀谷先生のペン習字教室も臨書を基本としているけれど、自分らしさを否定しないし、全てどこかでつながっているような気がしています。

万年筆の楽しみも似ていて、万年筆で書くことの先にあるその違いを味わうことも、それらと似たところがあるように思っています。

禅の思想による枯山水の庭と万年筆。全く別々のものだけど、通じるところを感じることができた正月でした。

 

※堀谷先生のペン習字教室は、1月10日(金)19時~21時、森脇直樹さんの聞香会は1月25日(土)15時から17時に開催します。お気軽のご参加ください。