元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

東北旅行3

2006-08-28 | 万年筆
今回の旅で印象に残った街がありました。秋田県の角館です。
武家屋敷が立ち並ぶ通りを観光のメインストリートにして、地元の伝統産業や、土産物、飲食店が江戸時代の武家町という同じテーマで統一された、一体感のある街作りがされていました。
一軒一軒の店がバラバラに近隣の店と差別化するのではなく、統一感を出すことにより、街自体を魅力的に見せ、観光客を集めるという手法で、成功しているように思いました。
駅前の観光案内所も充実した資料を揃えていて、街ぐるみの取り組みであることが分かります。
地方都市へ行った時、その寂れた様子に暗い気分になることがありますが、こんな風に活性化している街もあることを知りました。
こんな街にペンの店があってもおもしろいのではないかと思いました。

東北旅行2

2006-08-28 | 万年筆
岩手県と秋田県の境に八幡平という山があります。国道沿いの駐車場から歩いて、20分くらいで山頂に着いてしまうので、人間に侵されていない自然というわけではありませんが、その山頂付近の2つの沼の神秘的な様子が印象に残りました。
八幡沼は周りを湿地に囲まれ、よく観光案内などに出てくる美しい景色の一部になっています。ガマ沼は水のきれいな静かな場所でした。
人がいなくなった夜、何かが起こっているのではないかと思わせるような、自然の力を感じずにはいられない場所でした。
平安時代征夷大将軍坂上田村麻呂が東北平定を祝って、この山を八幡平と名付けたそうですが、簡単に手なずけられない自然の気難しさを感じました。

東北旅行

2006-08-26 | 万年筆
東北をドライブしてきました。
青森からレンタカーで秋田、岩手をドライブする3泊4日の旅でしたので、何箇所か回ることができました。
その何箇所かの中で特に心に残っている景色についてふれておきたいと思いました。
 
飛行機の出発時間が2時間も遅れましたので、青森空港から3時間以上もかかる下北半島の先端中央にある恐山に行くにはかなり無理がありましたが、海沿いの片側1車線の道を車を飛ばして何とかたどり着きました。
途中の下北の風景は、寒村という言葉がピッタリの寂しげに見える土地でした。打ち捨てられた農家(これは東北ドライブ中何度も目にしました)、閑散とした街、それらと鋭い対照を成している風力発電の大きなプロペラや原発の施設を表示する標識。
そんな道を3時間かけてたどり着いた恐山は最果ての地という言葉がピッタリの場所でした。
だだっ広い土地にかなり殺風景に建てられた寺院、溶岩石のいびつな丘のいたる所から吹き上がる湯気と硫黄臭の大気。
不気味なほど透明感がある静かな湖。
こんな場所が日本の中にあったということにショックを受けてしまいそうな、異様な雰囲気を漂わせていました。

終戦の日

2006-08-15 | 万年筆
きっと61年前も暑い日だったのだと思います。
家が焼け、たくさんの人たちが亡くなり、身近な人たちが遠い土地で消息不明になっても、新聞の報道では日本は有利に戦いを進めていることになっていました。
何もしらない市民はそれを信じて、あるいは疑問を持っても口にできない空気の中で気付かない振りをしていました。
いつか勝利によって、この不便で飢えた暮らしが報われると思っていたのだと思います。
おかしいと思うことをおかしいと言えない、言ったら迫害を受けたり投獄されたりという、言論の統制が戦時下の日本で行われていたそうです。
敗戦の日を迎えた後、間違っていると思ったんだよと言った人はたくさんいたと思いますが、それ以前に間違いを指摘できる勇気のある人はどれくらいいたのだろう。
同じようなことが今の集団生活の中で起こっていないでしょうか。
終戦の日、日本は皆が見ないようにさせられている方向を見て、思ったことを言うことも大事だと学習したはずでした。
戦争の犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、二度と繰り返してはいけない過ちを思い出し、発言する勇気を持たなければいけないと思いました。

70年代後半

2006-08-15 | 万年筆
あるテレビ番組で70年代の日本のフォーク、ニューミュージック系のヒット曲がいくつも流れていました。
小学生でしたが、70年代も後半になると高学年になっていましたので、どれも懐かしい曲ばかりでした。
早熟なためにとても感受性豊かだった私たちは、そんな曲をとても切ない気持ちで聴いていました。
あの頃の曲はどれもひとつの時代が終わることを告げているような暗い曲ばかりでしたが、小学校卒業と同時に街を離れてしまうことが決まっていて、別れの日が決まっている私たちの心に滲みこんできました。
当時はもう一人前のつもりで、一日一日をとても大切に、特別な日のように思って、その街の日々を過ごしていました。
夏は昔のことをよく思い出しますね。

お盆の風景

2006-08-14 | 万年筆
お盆と聞いて、いつも思い出される情景があります。
母の実家が、群馬県、埼玉県との県境の長野県の山村にあり、夏休みは毎年そこで過ごしていました。
8月13日には、仏壇を盛大に飾り、家の前で迎え火を焚きます。
冷たい川の水で冷やしたスイカやサイダーも楽しみのひとつでした。
15日には送り火を焚いて、お盆様をお送りする。
暗くなった夏の夜、それぞれの家の前で焚かれる送り火が燃えるのを見ながら、夏の終わりを子供ながらに感じていました。
母が亡くなり、そこに行くことはなくなってしまいましたが、いつも思い出す夏の風景です。

銀閣寺

2006-08-05 | 万年筆
少し前に銀閣寺に行きました。
足利義政が上手くいかない政治を放り出して、現実逃避して作り上げたと言われる、美しい月を観るために全てが存在する施設。
500年以上の時を超えて維持されてきたものですが、とてもはかない、すぐに壊れてしまうもののように感じました。
とても美しく、計算されて造られたもののようですが、そこに正気ではとても造り得ない狂気を感じてしまいました。
本当に美しいものにこのような危うさはついて回るものなのかもしれません。