元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

原稿用紙で書く

2016-07-24 | お店からのお知らせ

(これはお手本ではありません。私の書いたものです。ご安心下さい。)

 

原稿用紙でできる遊びについて考えている。

万年筆を使う人なら誰もが使ってみたいと思って、原稿用紙に憧れるのは文豪のイメージがあるからだと思います。

私は、狂言師の安東伸元先生からいただくお手紙がいつも原稿用紙に、升目を無視したようにとばして書かれていて、かっこいいと思っていました。

それは憧れであり、原稿用紙のイメージになっている。自分も安東先生のように升目をとばしてカッコよく原稿用紙を書きたいと思うけれど、なかなかサマにならない。

でも夏の夜は蚊取り線香の匂いを嗅ぎながら、太字の万年筆で升目を埋めたいと毎年思います。

当店で扱っている原稿用紙は老舗の満寿屋(ますや)のもので、その紙は数種類の万年筆のインクでチェックしている万年筆のために作られた紙を使用しています。

紙の種類が2種類あり、クリーム色の紙はにじみがほとんどなく、白色の紙はインクの伸びがいい。

どちらも書き味は良いけれど、2つの紙の違いは使うインクの違いだと私は思っています。

もちろんそれぞれの紙の色に合ったインクの色もあると思いますが、インクの性質と紙質の相性で言うなら国産のパイロット、セーラーなどのインクを使うならクリーム紙、ペリカン、モンブランなどドイツ系のインクを使うなら白色のデラックス紙のものを使うと快適に使うことができると思いました。

原稿用紙での遊びに話を戻すと、私も使おうと思ってブログの下書きなどを原稿用紙に書いてみたけれど、自分の言葉はメモ帳に下書きする方がやりやすく、パソコンに入力できたら捨ててしまうというのが自分のやり方だと思ってすぐに諦めました。

先日城崎に行ってきましたので、「城の崎にて」を書き写ししてみました。

ただ写すだけだと思っていましたが、なかなか奥の深い、楽しみながら万年筆を使うことができるおのでした。これも原稿用紙と万年筆を使った遊びで、皆さまにもお勧めしたいと思いました。

もうひとつは写経でした。

毎月第1金曜日に当店で開催しておりますペン習字教室で堀谷先生がお手本として書いて下さった般若心経を書き写してみました。

文字の練習にもなるので、なるべく堀谷先生のお手本に似せるように書く。

漢字ばかりなので、何かサマになるような気がしました。そして心が落ち着く時間。

夏の間、当店では原稿用紙を皆様にもお使いいただきたい、原稿用紙と万年筆で遊んでいただきたいと思い、満寿屋の原稿用紙などで通常扱っていないものも揃えてみました。

9月23日(金)までの期間中に、当店で原稿用紙お買い上げのお客様に堀谷龍玄先生の書かれた般若心経のお手本を差し上げておりますので、ぜひ原稿用紙で書くことにお役立ていただきたいと思っています。

 

 


縁を感じるテーマのペン~アウロラフィレンツェ~

2016-07-19 | モノについて

私はまだ6年前のル・ボナーの松本さん、分度器ドットコムの谷本さんと行った旅の記憶の中にいるのかもしれません。昼頃着いて、翌日午前中に発ったので24時間も滞在していませんでしたが、フィレンツェも思い出深い街のひとつです。

郊外に出ると地元の人の普通の生活が営まれていると思いますが、中心部は赤い屋根の古くからある街並みで、街自体が観光地で、歩いている人皆が旅行者でした。

大聖堂のドームやポンテベッキオ橋などの名所も見て記憶に残っているけれど、行き交う人たちの姿、ここは街並みを楽しむところだと思いました。

何かを観たと言うよりも、仲間たちと他愛もない話をしながら、街をブラブラと歩いたことの方が記憶に残っている。


どうせ限定万年筆を手に入れるのなら、何か自分に縁のあるテーマのものを選びたい。

そう多くはないけれど、たまに思い入れのある土地をテーマにした限定万年筆が発売されたりして、普段頭の奥にしまってある旅の記憶を思い出すきっかけになったりして、時の流れを感じたりします。

アウロラフィレンツェ


気分転換

2016-07-17 | 実生活

ダメな時に、ダメな頭で考えても良いアイデアは浮かばない。空調工事による臨時休業はとても良いタイミングで、いい気分転換になりました。

前日、カメラを忘れて帰路についてしまい、垂水駅で降りてすぐに上り電車に乗って引き返して店まで戻るというアクシデントがありましたが、珍しく連休していました。

目的地はどこでもよかった。

車で普段は走らないところをのんびりと走ることができて、その土地について考えることができたら、一番の気分転換になると思っていて、今までずっとそうしてきました。

今回は出石で蕎麦を食べて、城崎でしか売っていない限定本を買いに行きました。

ドライブに目的地はあった方がいいけれど、あまりそれは重要ではないことも分かっていて、蕎麦と本は2時間半のドライブに充分な理由でした。

姫路から播但自動車道を北上して出石、城崎のある豊岡市に向かいました。

平坦な地形が少しずつ起伏が出始め、谷がだんだん深くなっていきます。缶コーヒーのコマーシャルでも有名な竹田城が自動車道からも見えました。

ドリームカムトゥルーの3枚組のベストアルバムが聴き終えることができるほど城崎は遠かったけれど、懐かしい曲を聴きながら、それぞれの年代のことを思い出していました。

前に城崎を訪れた時、息子は小さく仲居さんに女の子と間違われたりしていましたが、今では大学4年生になってしまった。

私も仕事においての立場が全く変わった。当時、今の自分を全く想像することができなかったけれど、ただもがきながら良くしようとしていたあの頃の気持ちを思い出しました。

大変な蒸し暑さで、休んでばかりだったけれど、シーズンオフの温泉街を歩き回ってきました。

兵庫県も瀬戸内海側は賑やかに人が集まっているけれど、北上すると家も減り、潰れた商店が目立つようになります。

新しい道ができて人の流れから外れてしまったり、旅行のしかたが変わり町自体に人が来なくなってしまったり。時間の流れはいつまでも変わらずに在りたいという人の営みを有無を言わさずに立ち行かなくさせてしまう。

時代の変化は、時間の流れがゆっくりだと思いがちなこういう田舎から変えていくということを、思わずにはいられませんでした。

私たちは都会という、多少守られた場所にいるからやっていくことができているのではないかと思いました。

空調工事で店内はとても快適になりました。

何か目に見えるリニューアルではないけれど、何とかしないといけないと思っていたことがひとつ片付き、少しだけ店が進化しました。


コピ・ルアクの味わい

2016-07-10 | 実生活

本当に久しぶりにル・ボナーさんを訪ねました。

毎年恒例になっているオリジナルダイアリーカバーの素材選びと、ル・ボナー松本さんの意向を伺うといった訪問です。

行くと奥様のハミさんも待っていて下さって、ハミさんの元気なお顔も見ることができました。

ル・ボナーさんを訪ねたのも久し振りだったけれど、どこかを商談で訪ねること自体久し振りで、店にじっと閉じこもっていたことに気付きました。

開店するまでも、してからも松本さんにいろいろ面倒を見てもらいました。店が始まってからもずっと、ル・ボナーさんという前を走る目標があって、その背中を追い続けてきました。

何かあった時に、松本さんならどうするか、どう考えるかというふうに考えてきたけれど、その背中は大きくなるどころか、まだまだ小さくしか見えず、これからも追い続けていくのだろうと思っています。

届いたばかりだというかなり貴重で高価なコーヒー豆コピ・ルアクを松本さんが挽いて、淹れてくれて初めて飲みました。

知ったような口をきくと、全ての味が控えめで、注意を向けないと感じることができない、でも感じようとするとバランスのとれた上品な味に思え、良いものとは何かが突出してインパクトがあるのではなく、全てのバランスがとれていてジワジワと良さが伝わってくるものだということをコピ・ルアクの味で思い出しました。

同じショッピングセンター内で、開島当初からあるのはル・ボナーさんだけになってしまい、空き手店舗もあるという六甲アイランドの静かな夜。

松本さんも、この昼間とはうって変わって寂しくなる夜の風景を不安な気持ちで見ることはあるのだろうか。

当店のある元町西口の夜も静かだけど、六甲アイランドはもっと人通りが少なく、イルミネーションだけがキラキラと輝いていました。


自立する

2016-07-05 | 実生活

世界の情勢が変わろうとしていることは、ニュースで報じられる様々な動きから感じることができます。

それらは何か明確な目標や向かう方向があって、変わろうとしているというよりも、今までやってきたことへの徒労感がそうさせているのではないかと勝手に思っています。

店にずっと居る仕事で他所に出掛けることが少ないこともあり、世間で起こっていることに関心を持っていたいと最近特に思うようになりました。

 

自分が日本国民として知っておかなければならないことを教えてくれる人の一人である青山繁晴氏の「壊れた地球儀の直し方」という本が新書になりましたので読みました。

自分に関係ないから知らなくてもいいと思うのは、本当に愚かなことだ。世の中で何が起こっているのかを知って、自分の国が、自分の身の回りがどのように変わって、自分はどうするのかを考えておかなければいけない。

安全だと思っている日本にも脅威は常にあるし、それは自分の身の回りも同様だと思っています。

自分の暮らしは自分で守らなければいけないという意識が多くの日本人には薄く、それが外交にも表れてしまっている。

この本を読んでいくうちに、中東で何が起こっていて、なぜ今のような状態になったのか知っておかなければならないと、ネットで引っ張ってノートにまとめただけですが知ることができました。

西側世界とイスラム世界の宗教的な戦いだと思っていましたが、それは欧米の欲とその支配から逃れようとする中東諸国の戦いがひたすら繰り返されたものだったと、恥ずかしながら今頃知りました。

そして今は欧米が利用したはずの反政府テロ組織が暴走して、誰にも止められない状態になっている。

争いをコーディネートしてそれを治めて世界の警察と自称していた国も、国民の多くはその役から降りてくれと思い始めている。

混乱し、疲れ果てている世界の中で日本はどんな役回りをすることができるか、自分は日常の中でどんなことを心掛けなければならないのかを考えさせてくれる本だった思いました。

 


書くための道具

2016-07-03 | 実生活

文章を書く仕事ではないけれど、仕事と書くことを結び付けて書くことを仕事の一部にしています。

私が書かないと店の仕事は成り立たないし、少数だとはいえ私が書いたものを読んで共感してくれる方もおられて、大変有り難いことだと励まされています。

どんなに下手だと言われても、私は書くことを止めないと思うし、それは話していることと同じようなものだと思っています。

話す時、言ってしまってからでは取り返しがつかないので、なるべく考えてから話したいと思っていますが、私にとって話すために考える時間は短すぎる。

将棋の対局のように十分考えてから次の言葉を発したい。

望むのであれば相手にも十分考える時間を与えてもいい。その間私はその次の何を言おうか考えておこうと思います。

腹を割って話すとか、思っていることを何でも話すというのは仕事においては良いのかもしれないけれど、日常生活においてはそれが良いのか、悪いのか分からない。

私の場合、言わなくてよかったと思うことはあっても、言ってよかったと思うことはあまりありませんでしたので、発言こそ慎重にしたいと思います。そして自然と口は重くなります。

話す言葉と違って書くことは考えてから発言できますので、私にはものすごく有り難い。

書くことでよく考えているのは、下書きをノートにしようか、手帳に書こうか、あるいは原稿用紙にして保存しておこうかなどということです。

しかし本当はどれを使おうが大した違いではなく、道具によって書けるものが変わるわけではない。それについて考えるのが楽しいのと、書くことがより楽しくなるだけだということも分かっています。

文章を書く時に、何に書こうかと考えている時と、どういうものを書こうかと頭の中で考えている時が一番楽しい。

時間の経過、空間の移動を忘れるくらい没頭できたら一番楽しいけれど、そこまで集中力が高まることはそうそうあることではありません。