元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

ワークの仕方

2014-05-27 | 仕事について

誰からも指示されるわけでもなく、仕事を与えられるわけでもない(実際はお客様から与えていただいているのだけど)私たちのような仕事振りをマイペースで気楽そうでいいねと羨ましがってくれる人がいます。

確かに自分のするべきことを自分で決めて、やりたい仕事をしてこんなにいい仕事はないと思っています。

でもそれは不安との戦いに勝ってこそ手に入るものだとお伝えしたい。

不安というのは、いつ潰れるかという生活不安もあるけれど、子供の頃から教育されてきたワークの仕方と大きく違うという不安もあります。

私たちは子供の頃から学校などで何か課題を与えれてそれを解決する訓練をしてきました。

働き出してからも上司からお題を与えられて、それを気に入られるようにこなすことで仕事をしたということになります。

そして言う通りにしていたら自分の将来もそこにあるように思う。

先生やあの上司の言う通りにしたら間違いないという思考はそういったところから生まれるのかもしれませんが、自分の将来、未来を託せる神様のような人はいない。(神様にも託せないと私は思っています)

私も今までその人の言う通りにしていたら間違いないという気持になってやってきたこともたくさんありましたが、それは相手を信じるというのとは少し違う。

教えてくれたり、尊敬できる先生の存在は人にとってとても大切な必要なものだけど、それは依存するのとは違います。

指示に従うことは組織として当然のことだけど、そうやって自分よりも目上の人に依存してしまうというのは、あまり良いことでもないと思いますし、自分の身の処し方はやはり自分で考えて選択するべきだと思います。

会社など組織に所属している人であれば、その組織がどうあれば勝ち残っていけるのか、その組織が世間でおかれている状況を冷静に見て、その組織の有り方、強味を見極める。

そしてその中で、自分はそのような役割を演じるかを考える。

そう考えると自分の位置づけのようなものが出来上がってくると思います。

それができると問題点や習得しないといけないもの、必要な人間関係も見えてくる。

私は齢をとってから気付いたけれど、最も仕事において上にくることが、どうやって世の中を良くしたいかという公共性です。

これが世の中に認められればその仕事は続いていくお守りのようなものなのかもしれません。

偉そうに言ったけれどこれは若い人に考えてもらいたいという私の一意見で、これが絶対に正しくて、この通りにした方がいいものではないというのは、言うまでもないけれど。

 


コサックの万年筆から

2014-05-25 | 万年筆

お客様と万年筆を交換して、デルタコサックが私の手元に来てから、

喜んで愛用しています。

しかし、コサックの万年筆は私が今まで持ちたいと思った万年筆のどれよりも派手で、交換するということがなければ、絶対に手に入れることのない万年筆だったと思います。

コサックを使い出してから、コサックの地ウクライナに興味を持ちました。

首都キエフはグーグルアースでたまたま見ていて、東ヨーロッパらしい美しい町並みに以前から何となく憧れを抱いていた気になる都市でしたので、何か縁があるのかもしれないと思いました。

ウクライナの歴史は常に他国からの侵略と分割統治される歴史の連続でした。

ウクライナ人という人たちは確かに存在するのに、ウクライナという国はポーランドであったり、ロシアとオーストリアだったり、ソ連であったりしました。

そしてウクライナに住む人たちは、いつの時代も虐げられ、搾取されて、苦しい生活を強いられてきました。

占領と介入のウクライナの歴史の中でもフメリニツキーがヘトマン(首領)として活躍していた時代がウクライナとコサックの黄金時代だったのかもしれません。

コサックの歴史は闘争の歴史でしたが、たくましく権力を利用したり、為政者を突き上げたりして繁栄していった。

コサックが活躍したのはわずか130年ほどの短い期間でしたが、その間ウクライナという国は確かに存在しましたし、そのパワフルな独立心はウクライナの人の精神として今も息づいているのかもしれません。

「自由の民」と呼ばれ、常に戦いに明け暮れたかなり好戦的な民族で、独特の風習を持っていたけれど、蹂躙され続けた祖国の扱いに怒り、自分たちの誇りを取り戻すために闘ったその精神がこの万年筆に宿っているようで、自分の精神的な支えとなる万年筆だと思えるようになりました。

1本の万年筆のテーマから好奇心が広がっていくのも、万年筆の楽しみで、こういうきっかけがないと私はウクライナのことを何も知らずに生きていたように思います。

 


先生

2014-05-20 | 実生活

私には、とても恵まれていることだと思っていますが、先生と呼べる人が何人もいて、それぞれの先生から本では得られない、自分の実情に合った教えをもらっています。

それらの教えを守って実行することもあるし、胸にしまったままにしているものもありますが、自分の判断で自分のやり方に合っているか、そのやり方が好きかどうかで判断しています。

そういった教えを受けた時に自分のフィルターを通して、取り入れるか入れないかを判断することは大切で、言われたことを盲信して実行すると、その主体は自分ではなくなってしまって、未消化のままサマにならないことをしてしまうという、いろいろおかしなことになります。

自分の流儀に変換することがとても大切で、それがその教えを生かすことなのだと分ったのは本当に最近のことで、分るのに時間がかかったことは恥ずかしいことだけど。

ル・ボナーの松本さんは私にとって全ての始まりで、本当にいろんなことを教えてもらっている。

直接言葉で、こうした方がいいよと言われることは少なくなったけれど、松本さんの仕事振りを直接あるいはブログなどから垣間見たりして、大いに参考にさせていただいていて、いかにして個人商店である我々が自分たちの仕事を継続させるかを勉強させてもらっています。

大和座狂言事務所の安東先生からは、自分らしく生きていく上での、自分がブレずに仕事していく上での精神を教えられています。

安東先生は、こうしなさいとは絶対に言われないけれど、著書や大和座通信、お手紙そして舞台での姿からそのメッセージは力強いエネルギーによって伝えられています。

電話でいろいろ教えてくださる関東に住んでおられる先生は、きっと誰もこの人のようになりたいと思うような成功者で、とてもキレのある思考の人。

世界中で起こっていることで私が知っていることは全てこの先生から教えてもらったことだと言える。

お茶の先生からも、とても共感することできる茶道的心構え、態度を勉強させてもらって、自分が本能的に良いとするものの裏付けをすることができていることは、大きな後ろ盾があるようで心強く感じます。

みなすごい人だと思うし、その人たちのように自分もなりたいと思う、目標とも言える先生たちと直接話すことができることにいつも感謝しています。

 

先生ではないけれど・・・、でも違う意味で元先生だけど、父によく電話するようになりました。

帰宅途中、バス停から家まで少し歩くので、その時に週数回のかけています。

隣に住んでいて、休みの日の夜に顔を出してはいるけれど、電話もした方がいいと思って、今年の初めからかけるようになった。

男同士の親子というのはそれほど話すこともなく、だから今までも話すこともなく来てしまった。

共通の話題は、私の大学生の息子のことか、タイにいる妹のことばかりだけど、近況や仕事のことも含めてなるべく話すようにしています。

なぜ父に電話するのか自分でもよく分からないけれど、年をとるごとにこういうことが大切に思えてきました。


立地

2014-05-18 | 仕事について

お店を始めようとする人にとって、立地は最も気になる問題のひとつだと思います。

店というのはお客様に来ていただいてナンボなので、なるべくたくさんのお客様が来られる可能性のある、人通りの多い所に店を構えたいと思う。

しかし、人通りの多いところは良い場所ということになりますので、家賃が高いということになる。

立地が良い代わりに家賃が高いか、家賃が安くて立地が悪いかどちらをとるか折り合いをつけないといけません。

中には家賃が高いだけの商売には向かない、ブランド地区もあるので気をつけないといけないけれど。

立地と家賃のバランスですごく分かりやすいのは、当店がある元町駅西口周辺の地域です。

東口はそれほど差がなくなっていると思われるけれど、西口周辺は商店街やJRAの場外馬券売場がある繁華街である南側と、静かでお店もそれほど多くない、鉄道の高架よりも北側とでは、3倍の違いになります。

もちろん南側の方が高く、当店は北側にあります。

家賃は人件費と一緒でずっとかかってくるものなので、本当によく考えたいところ。

本当に高くていいのか、自分がやろうとしていることはその立地を必要とするのか考えるべきなのだと思います。

私はハナからそれは諦めていて、自分の商売に人通りはいらない。店の前を通りすぎる人は、後々お客様になることはあるかもしれないけれど、今のターゲットではないと割り切って、相当な勇気を持って今の店の場所を選びました。

でもここで6年半居て、この場所で本当に良かったと思っています。

いろいろな場所を探して、中には契約直前までいったところもあったけれど、その場所の今は見るも無残な状態になっている。

昨年から、鞄、革小物工房のベラゴさんも近くに来られたし、集まってはいないけれど、この地域になかなか個性のあるお店が点在していて、神戸の他の場所にはない落ち着いた雰囲気のあるいい街になっていると思う。

それらはこの場所を選んだ時に全く意図しておらず、私の場合は運がよかったの一言だけど。

 

 

 


蓄積の年代

2014-05-13 | 仕事について

先日の「万年筆若手愛好家の会」でのスピーチは、少ないいながらも集まって下さった方々と、スピーチというよりも雑談会のようになって、私はとても楽しかった。

時間は短かったけれど、あのような時間が心通う関係のきっかけになるのかもしれない。雑談会、またあればいいのにとさえ思いました。私ははじめの1時間しかいられなかったけれど、いい会だったと思います。

 

最近、若い人に対して、自分の経験をどう伝えるかということをよく考えています。

そうさせる出来事がわりと身近にあり、若い人にとって年上の自分がこれから経験するであろうことを話すような交流は、とても参考になるような気がします。

当然のことながら、若い人は今の自分の時間が全てで、将来のために今を抑えるようなことはなかなか考えにくいのではないかと思います。

20代の今が、世の中に認められなかったり、耐え忍ばないといけない状況であったりすると悲観してしまったりして、自分の将来について明るく考えられないかもしれません。

でも今不遇の状態にある人でも、20代は蓄積の年代だと認識して欲しいと思います。

20代のうちに花開き、世の中から認められる人生などを夢見ないで、そんなものは長続きしないと考えて、自分の中にその時の経験などを蓄積する。

それぞれの年代でやるべきこと、居るべき位置のようなものがあると私は思っていて、それは時代が変っても、仕事が違ってもそれほど変らない。

20代の蓄積は、自分以外の人の言うことを教えと捉え、すぐには分からなかったり、実行できないことでもいつか分る日がくると考えて大切に持ち続ける。

自分の意見は封印して、ひたすら相手の意見をインプットして、意見を求められたら発言するくらいがちょうどいいし、そこで利口なことを言わなくてもいいように思います。

40代は20代、30代で蓄積したものだけで勝負しなければならなくなると私は思っていて、20代というのはとても大切な時で、その年代の自分の立ち回りを誤ると40代で行き詰るような気がします。

40代で新たな蓄積は難しく、すでに自分が持っているものを磨き続けて、それを長く生かせるように努力する。

私も45年半しか生きていないから、そこまでしか言えないので、今も年上の先生方から勉強させてもらっている。

その時はやはり自分の意見は封印して、ひたすら耳を大きく開いて、書くことができる状況にある時はメモを取るし、その時書けなくても後で手帳に書き留めるこようにしている。

そしてその時言われたことの多くは、すぐには理解できず、後でそういうことか!と気付くことが多いけれど。

 

 


スピーチ

2014-05-04 | 実生活

万年筆愛好家の会 萬年筆くらぶから派生した万年筆若手愛好家の会(https://sites.google.com/site/youngfountainpen/home)が5月11日(日)神戸であり、そこでスピーチをすることになっています。

当店の営業時間があるため、スピーチの時間を主催者の佐野達哉君が調整してくれて、このような機会を与えてくれた佐野達哉君にとても感謝している。

既存の万年筆愛好家の集まりは活発に活動していて、万年筆を使う人を増やすのに大いに貢献していて素晴らしいけれど、メンバーの多くはおそらく40代以上で、20代などの若い子には敷居が高く感じられるし、参加しても萎縮してしまうことがあるのではないか、それなら年齢制限を設けて35歳までにして、若い人ばかりの会を作ろうではないかという会発足の趣旨に大いに賛同しました。

きっと万年筆を使う若い人を増やすことに一役買う存在になると思っています。

こういう仕事を超えた会の良いところは、先輩後輩もなく、上下関係もなく、日頃の付き合やしがらみのようなものから外れていられるところかもしれません。

それぞれの好みが尊重され、押し付けられることなく楽しく語らうことができる会になることを願っています。

スピーチは、会の空気のようなものがどういったものになるか分らないので、話の内容について毎日修整ばかりしている。

手帳に書いては書き直しを繰り返していて、このまま当日まで続けるのだと思うけれど、こういうことは終るまで終らないのかもしれません。

日頃は経験することのないこういった負荷のようなものは好きで楽しめる方で嫌ではないけれど、当日はきっと緊張しているのだと思います。