元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

借り入れ

2014-07-29 | 仕事について

店を始めた時に金融機関から借りたお金の返済が終った。

事業を始めるには、少ない方だったかもしれないけれど、貸してもいいと言われた金額いっぱいまで借りて、その数百万という金額は私には気が遠くなるような金額で、7年と設定された期間もとても先のことのように思えました。

70歳手前まである家のローンもあることを思うとなかなか恐くて借りることができないと思うけれど、借りないと何も始まらなかった。

この7年で、新型インフルエンザ、リーマンショック、東日本大震災などがあって、その都度グラグラ揺れる日本の経済の状況を肌で感じました。

幸い返済が滞るということはなかったけれど、その経済の揺れ動きがもっと激しいものだったらきっと身動きできなかった。

瞬発力をともなって事業を拡大していく資金として、融資を積極的に受けてやっていく会社もたくさんあって、それはそれぞれの会社の考え方だけど、ウチの考え方はそちらではないし、順調な時はいいけれど、揺れがあった時に当店の規模ではどうしようもなくなってしまう。

お金に関して考えると7年という期間はとても長く、逃げ切れたというのが実感だけど、ただ借金がなくなったというだけで、これからもいろんなものとバランスを取りながらやっていくことには変わりない。

感慨はあるけれど、表面的には何も変わらず店の仕事に向かうのだと思います。

 


手帳/ノートを書く

2014-07-27 | 実生活

スケジュール、毎週の決まってやること、日々生まれるやるべきことなどのToDoは正方形のダイアリーに事細かに書いて、それを消し込むことにしています。

でもそこに書かれていることを消し込むのは、ただ追われているだけということになり、外から(お客様から)のリクエストがなくなると減ってくるもので、それだけではつまらない。

自分の目標や夢があって、それに近付くための自分で課題を作って少しずつ、1日1歩でもいいから自分の意思で前に進んで行きたいとは、以前から思っていました。

しかし、追われるだけで今までやってこれたので、そう思いながらも日常に流されて、そこまで考えを深めることができませんでした。

ビジネス書などでもよく指南されているようなやり方は、何かガツガツした貪欲な感じがして、自分の美学に反するところがあるので、自分なりのやり方をやってみようと思いました。

目標や夢などは一貫している人もたくさんいるけれど、その時の自分の状況や考えていることで、それは微妙に変化しているものだと思っています。

現在、来月、半年後、3年後、10年後どうしたいか、どうしていたいか、自分はどんな人間でいたいかを1週間に1回書いて、それらを踏まえてToDoなどの中に落とし込んでいく。

大切なのは書いただけで満足せずに、自分の書いたことに誠実になって、それらをしっかりと消し込む努力をする。

これは弱くて甘い自分の意思との戦いのようなところがあります。

正方形のオリジナルウィークリーダイアリーの中身

 

先日読んだマンガ版の「7つの習慣」の本を大いに参考にしたものですが、「7つの習慣」から生まれた手帳のシステム「フランクリンプランナー」はとても生真面目な感じがして窮屈に感じましたので、自分らしく消化したやり方をしたいと思いました。

私は仕事においてやらなければいけないことの前段階である考えるべきことをコンチネンタルのシステム手帳に書いていて、それは考えやアイデア、日記、勉強させていただいたことを書くものになっています。

コンチネンタルシステム手帳の最初のページに4山のインデックに対応した目次をつけています。

 

日々の仕事の中か出た考えるべきこと、そして目標や夢の記入から出た考えることを書き出して、それらを一覧できるようにしています。

すぐに結論を出さないといけないことと、繰り返し考えるべきことなどを視覚化して、考えを積み重ねていくためにシステム手帳ほど適したものはない。

思考の視覚化。忘れっぽいので、今自分が何を考えていたか忘れないように。考えをつみかさねたいとの想いも。

机に向かってじっくり考える習慣を作るとか、頭の使い方についてもっと研究するとか、他にしないといけないことはあるけれど、まず道具から。
 

頭の使い方はなかなか教えてもらえるものではないけれど、メモリが小さく、CPUの遅い自分の頭をもっと活用できるようになりたいとはいつも思っていますが、手帳の使い方を工夫することで頭の使い方を変革できればという願いもこもっています。


借りを返す

2014-07-22 | 実生活

私の大人になってからの人生は、若き日の借りを少しずつ返すためにあるのだと思っています。

若い時の自分の不甲斐なさから感じた鬱屈した想いを抱いて過ごした無為な日々をもう二度と過ごしたくないと思って以後生きてきたように思います。

子供の頃からずっと野球をやってきて、高1の時にある反発心があって辞めた後、無為な時間を過ごしていました。

野球部を辞めた理由が、大人になってから会社を辞めた理由のひとつと何となく似ていて、何歳になっても人の本質は変わらないと思いました。

やることがなかった私を受け容れて、付き合ってくれたのが、先に野球部を辞めていたKくんともう一人のKくんでした。

3人で何かをしようというわけではなく、ただそれぞれ誰かの家に行って、漫画を読んだりして、夜に帰る。

学校の勉強もやる気が起きなくて、3人ともあまりしていなかったと思います。

あの時のことは自分の人生の暗部になっている思い出したくない日々だし、私が若い人に知ってもらいたいと何か話すのは、たいていこの時の自分をイメージしている。

2年、3年と上っていくうちに自然と付き合わなくなって、高校を卒業してからは消息を聞くこともなかった。


先日、高校の同窓会があって、その後30年振りに3人揃いました。

3人であれからどうしていたか言い合い、あの時の自分たちのカスさ加減を笑い飛ばしているうちに、思い出したくないと思っていた人生の暗部が水に流れたような、何となくずっと借りのように感じていた借りが返せたように思いました。

Kくんは前にも店に来てくれたけれど、美容師として自分の店でしっかりとした地位を築いてやっているし、もう一人のKくんは会社を興していくつものレストランを経営していて、二人ともそれぞれ個性というか、オーラのようなものを持っていた。

それぞれが自分のやりたいこと(私たちの場合はそれしかないこと)を見つけて、あれからただ前を見続けてきて、やっと振り返る機会を得たように思いました。

私の場合、二度とあんな無気力な自分でいたくないという想いから、アルバイトも仕事も前向きにやってくることができて今に至っているけれど、きっと二人のKくんも私とそう変わらない想いで、その後出会ったものに飛び乗ったのではないかと思っています。

3人で話せるとは思っていなかったし、正直話したいと思っていなかったけれど、それであの時のことが暗い記憶から、良い思い出になったことは不思議な気がして、私にはとても嬉しいことでした。

 

 

 

 


書くことについて

2014-07-20 | 実生活

スティーブ・キングの「書くことについて」をまた読み返しています。

何かを書きたいと思っている人にとって、とても有益な本だと思っていますが、書こうと思っている人にとって有益でない本なんてないのかもしれません。

万年筆屋をしているくらいなので、書くことは人生においてとても重要なことだと思っていて、書くことのない人生はつまらなくないのだろうかと思っています。

でも若い時、音楽のない生活なんて味気ないのではないかと、両親の生活について想ったりして、でも自分がその世代になると音楽は大して重要ではなくなったので、自分が熱中していることが世界の全てではないことは、さすがに理解しているけれど。

でも、書くことは私にとって何よりも大切に思っている表現の手段であり、楽しみをもたらしてくれるものです。

人生に書くことが存在する人はきっと幸せで、良い人生をおくることができると頑なに思っているので、私は書くことが最も楽しくなると思う筆記具である万年筆を、一人でも多くの人に使ってもらうために万年筆屋をしている。

今から思うと、万年筆を使うようになるずっと前から書くことは好きで、日記をつけたり、遠方の友達に手紙をよく書いたりしていました。

きっと自分のことを書きたいという欲は携帯電話やパソコンでは満たされることはなくて、ボールペンでもサインペンでもいい、手書きに限られているのだと思います。

もし私の若い頃に今の主になっている通信手段があったら、自分が書くことが好きだということにさえ気付いていなかったかもしれません。

好きだと思っていた書くこと。そして自分なりのやり方でそれを仕事にすることが万年筆を扱う仕事に就いて、繋がって今に至っています。

バラバラにあったことが結果オーライと言わんばかりに急につながったことが、自分でもとても興味深く、これも一人の人間の人生で、人の数だけ生き方があって、それぞれの人が私と同じようにいろんなモノで、人生が繋がっていくのだと思うと、何かその辺に非常にたくさんの教えのような、生き方のヒントがあるのだと思えます。

 


生きる本能

2014-07-15 | 仕事について

4月に自分の事務所を開いて仕事している同級生から様子を伺う電話がかかってきました。

まだ始めたばかりなので、ただ忙しいだけでお金にならないと言っていたけれど、元気そうでよかったと思いました。

忙しく動けることは幸せなことだと思うし、良くなっていくことにきっとつながることだと思います。

そういう話をよく聞くようになったのは、やはり40代という年代が、独立して自分の店や会社を始めるということになりやすいタイミングだからなのかもしれません。

人生の計画を立てて、自分の予定していた時に自分の店を始めることができたと言えればとてもかっこいいけれど、私の場合、全くそんなことはなくて、どうしてもそうしなければならないと自分で思って、生きる場所を求めた結果そうなっただけで、それは人間として生きる本能だったとしか思えません。

お客様のM先生とも話していてそうだと思いましたが、人間余程嫌なことや、承服できないことがないと、わざわざ借金を抱えて、大きなリスクをとるようなことはできないような気がします。

冷静に、硬い頭で考えたらどんな確率が小さくてもリスクが気になると思いますので、それしか道がないというところまで追いつめられて、やっとそういう行動に出られるのではないだろうかと思います。

それではただ逃げただけではないかと思う人もいるかもしれないけれど、逃げる気持ではそのような行動に出ることはできなくて、むしろそれは攻めの気持ちからだと思っています。

リスクが気になるのは当然で、私も考えなくはなかったけれど、最後はアホになって飛ぶしかないのではないかと思っていました。


趣味

2014-07-13 | 実生活

いい仕事をするには、恋をしなさいとある有名な写真家が言っていたのは本当だと思います。

私は仕事を始めて、それほど年月経たずで結婚したので、燃えるような恋が仕事にどんな影響を及ぼすか分らないけれど、恋の対象は女性でなくてもよくて万年筆、手帳、鞄、靴などに夢中になって、それらを知りたい、欲しい、もっと使いたいという気持ちが仕事のモチベーションを保つのに一役かってくれることは知っています。

私たちは何かに夢中になっていないといられないのかもしれない。
 

続かなかったらどうしようとか、少し思ったけれど、私のライフスタイルを変えつつあるカメラに今は夢中になっています。

自分のOM-Dに合うレンズをインターネットで延々と探して、神レンズと言われるものの存在を知り、あのレンズで撮るとどんなふうに写るのだろうと想像するのはとても楽しい。

私たちが使うレンズの値段は、万年筆の値段とだいたい同じくらいだと思いますが、レンズの値段がとても高く感じるのはまだ感覚がマヒしていないからなのかもしれません。

今なら男というのは偏ったお金の使い方をするものだと分るけれど、多趣味で凝り性だと思っていた父が一番深く長く趣味として関わっていたのが写真で、父のたくさんのカメラ、たくさんのレンズたくさんのカメラバッグなどが狭い団地の部屋にあったことを思い出します。

小学校4,5年生の頃、父と電車を撮りにいっていたことがあって、撮ってきた写真を家の前の、友達のお母さんがしていたクリーニング屋さんに現像に出して、出来上がるのをとても楽しみにしていました。

この時の気持は今も変わっていなくて、店に来る途中、手前の神戸駅で降りたり、遠回りをしながら撮ってきた写真を店で見直すのはとても楽しい。

でもまだ街中で、写真を撮ってまわっているところを人に見られのは、何となく照れくさくて、それは電車の中など公のところで万年筆を使うことに最初気後れしたことと似ているのかもしれません。

今は電車の中で万年筆でブログの原稿を書くことは日常的になり、当たり前のことになっていますが、写真もこんな風に慣れていくのだろうか。

店の往復で写真を撮ろうと思っているので、カメラを持ち歩かなくてはならず、そのまま首から下げて歩く度胸もないので鞄に入れて持ち歩いています。

でもズームレンズやマクロレンズがついているとパパスショルダーに入りませんので、カメラバッグと呼んでいる紙袋に入れて持ち歩いていて、妻からは趣味だったらちゃんとしたら?と指摘されている。

 


撮影

2014-07-08 | 実生活

カメラを買ったからには写真を上手く撮れるようになりたい。

そのためには試行錯誤しながらたくさんの写真を撮らないといけないことは分ります。

何か理論的なことを勉強した方がいいのかもしれませんが、まずやってみたい。それから分らないことは人に聞いてみればいいと思いました。

何せ、当店のお客様のほとんどが写真のたしなみがあって、カメラにも凝ったことがあるという人がほとんどなのです。

街を歩いて、その辺りを歩いている人を撮るのも面白いと思いますが、人を撮るのは知り合い以外はなかなか難しいのかもしれない。

今のところ近くの県公館に行って、そこにある花を撮ることを楽しみにしています。

腕の問題は置いておいて、主に使っているレンズの特性もあるのかもしれないけれど、花を撮るのは本当に楽しく、季節によって違うだろうし、その時気候でも違う。

茶道をしていながら、今まで花に全く興味が持てなかったけれど、写真を撮ろうと思った時になぜか花を撮りたいと思ったのは、花も自分にとって必須の教養だとずっと思っていたからなのかもしれません。

建物とか風景など、いいなと思うものも撮りたいと思っていますが、風景はおもしろいと思っても、意外とつまらないものになってしまい、何か意味ありげな風に撮ることがまだまだできません。

たまに写真を撮りに行ってみると、他にも写真を撮っている人の存在に気付きます。

写真は男性のイメージがありましたが、意外と若い女性が一眼レフなどを持っていたりして、かっこいいなあと思います。

それだけ写真を撮る人が増えて、広がっているということで、とても良いことだと思います。

万年筆もそうなりそうな雰囲気はあります。
 


そういえばカメラを買った主な目的は、商品を撮影して、ブログやホームページでお客様に紹介するためだった。


写真

2014-07-06 | 実生活

多くのブログにとって写真はあって当たり前のものになっていて、それがないということがひどく不親切なものに思えましたし、写真は自分にとって克服すべき課題のように思っていました。

一時期、フィルムカメラに凝りたいと思ったことがありましたが、私には趣味だけで完結するものは合っていなかったようでした。

当然、自分のカメラは持っていなく、撮影は全て携帯電話で済ませていました。
 

当店にはウェブショップもあり、商品写真のためのデジタルカメラや、レンズなどがありますが、私はホームページの撮影をしていませんので、ほとんど触ることがありませんでした。

ペン先のアップや商品の細かい部分を撮ることができるように購入したマクロレンズもありますが、当店のカメラと相性が悪く、とても使いにくく、眠ったままになっていました。

とても値段が高かったので、もったいないと思っていて、何とか使いこなしたいと思っていましたが、数年が過ぎていきましたが、最近毎月第3木曜日に「コラージュで手帳を彩る」というワークショップをしていて、コラージュをしているうちに、切り取って、演出することの楽しさを知りました。

考えてみると写真はそこらじゅうにある風景や事象を自分の好きなように切り取ることだと思い当たり、写真を撮りたいと思い始めました。

どうせならいつも持ち歩くことができる自分専用のカメラを用意したい、例のマクロレンズを使うことができるものを買おうと思いました。

メーカーは操作は何となく分っていた店のカメラと同じオリンパスで、デザインで気に入ったOM-Dというものを選びました。

カメラは正直、どれがいいのか分りませんでしたが、ファインダーがついている方が自分には良いように思えましたし、黒ボディに何となく惹かれました。

実はここ1ヶ月ほどいろいろ調べていて、いろんな機種について知りました。

何かに興味を持って色々調べて、夢見る楽しい時間を過ごしている時、お客様の気持ちがとてもよく分かります。

ブログに写真を載せるという目的もありますが、その気持を知るだけでも大きな収穫、やはり趣味と実益を兼ねたものだと思いました。

カメラは万年筆と同じように、買った後それを使うことや、関連するモノなどへと世界が広がっていく。

今まで、カメラは大人の嗜みのように感じていながらも、視て見ぬふりをしてきましたが、その入り口にやっと立ったように思っています。