元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

顔の装飾

2013-08-30 | 実生活

ヒゲを剃った。

先週の土曜日の朝剃って、妻も含めて誰にも何も言われていないのでおそらく誰も気付かないほどの顔の変化なのかもしれません。

唯お一人、長崎のS宮さんが「吉宗さん何か色が白くなったような気がします」と指摘されて、後から考えて感心しました。

その時は自分がヒゲを剃ったのを忘れていましたので、「生活自体は何も変わってないので、色が白くなることもないけれど」という返事をしましたが、ヒゲがないことで顔の白い部分が大きくなって、白く見えたのだと思います。

なくなって誰も気付かないくらいのヒゲだったら、なくても自分の顔に何の影響も与えないのだと改めて知った次第です。

ヒゲを生やし出したのは、ル・ボナーの松本さんや分度器ドットコムの谷本さんたちと行動を共にするようになってからでした。

二人はとてもカッコ良くて、そのヒゲに、ものすごく単純で恥ずかしいけれど、会社という組織に縛られない、自営業者の象徴のようなものに感じていましたので、影響を受けて生やし始めました。

そういえば、駒村氏もH兄(会社勤めだけど)も、イル・クアドリフォリオの久内さんもヒゲを生やしていて、皆よく似合っている。

私の場合、むさ苦しく見えましたので、口ヒゲを生やさず顎ヒゲだけ生やしていました。

でもヒゲの方が髪よりも白いものが多く、相当に目立ち始めましたし、ヒゲを生やし出した自分の動機が何となく単純で、同じように考える人は多いだろうなと思うと、無性に剃りたくなりました。

もともと大して特長のない、誰かに似ているとよく言われる類の顔なので、ヒゲがアクセントになっていると、この5年間思って満足していたけれど、万年筆屋は顔で売るのではなく、腕と心で売るのだと思うと、自分の顔にアクセントが要るはずがない。

人間の顔から眉がなくなると誰もが気付くけれど、ヒゲはどういう形のものがあったのか、分らなくなることが多い。

そう言えば、毎日顔を合わせる、隣の建築事務所の社長はヒゲを生やしているけれど、口ヒゲがあったかどうか思い出せない。


2013-08-27 | 実生活

珍しく二日間雨が降り続いたと思ったら季節が変わっていました。

日中はまだまだ暑いけれど、朝晩は涼しくとても気持ちいい。

今夏は長引くだろうと思っていたので、何か拍子抜けしたような感じだけれど、暴力的な暑さだったことを考えるとその方がよかったのかもしれません。

子供の頃、夏が終わってしまうのはとても寂しく、名残惜しく思っていたけれど、最近はあまりそう思わなくなったのは、海やプールなどに泳ぎに行ったり、バーベキューやキャンプなどの夏のレジャーと縁がなくなってしまったからなのかもしれません。


夏の終わりは寂しく思っていたけれど、秋は子供の頃からとても好きな季節で、それは自分の誕生日があったからだと思います。

父と妹も秋生まれなので、何となく気分的に楽しかったのかもしれません。

秋にしか母が作らなかった栗ご飯は、最も好きな食べ物だった。

先に米を一粒残らず食べて、栗だけをゆっくり食べたりして、そんな食べ方は今も変わっていなかったりします。

でも何となく秋が好きなのは誕生日という、自分の人生が動き出した季節だからなのか。


一年中何かの記念日がありますが、万年筆の日というものもあります。

イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュという人が、1809年に万年筆の元となる筆記具を発明して特許をとった日が、9月23日で、それは偶然にも当店がオープンした日でした。

カレンダー的に連休の日だったので、営業的に良いと思っただけでしたが、そんなおまけがついていて驚きました。

この店が始まったのも6年前の秋で、やはり人生が動き出すのは秋なのかもしれないと、傾いたり、長くなったり、短くなったりと陽の移ろいがよく分る店で思うのでした。


サンダル

2013-08-23 | 実生活

8月も終わろうとしているのにサンダルを買った。

仕事の時など何とも思わないけれど、休日はなぜか普段履いている革靴が自分でも暑苦しく思えて、夏が始まる前から、今年こそは欲しいと思っていました。

靴はこだわりどころで、とても好きだと言えるけれど、真夏だけは履いている足も暑く、見た目も暑苦しいと、薄々感じていたのです。

休みのたびにサンダルが欲しいと思いながら、ウィークデーはやはりそんなに履かないからもったいないと思う。

そんな私にサンダル購入を決断させたのは、まずは今年も暑さでした。

今年は明らかにおかしい。

地球の歴史を振り返ると、寒冷期と温暖期を繰り返していて、これからの地球の温度はどんどん上っていくのだろう、きっと近いうちに日本全体が沖縄のような気候になっていくのだろうという、何の根拠もない予見を私は持っています。

もうひとつは9月1日(日)から5日(木)に予定している夏休みです。

泊りがけの旅行は一泊の伊勢行きだけですが、休み中京都に行ったり、普段の休みのように梅田、三宮もウロウロすると思うので、その時にも快適に歩きたいと思いました。

行き先が決まっていて、車でそのまま目的地に着くのならいいけれど、炎天下をウロウロ歩き回る時にサンダルはどうしても必要だと思いました。

サンダルはやはり、ビルケンシュトック。

以前よく顔を出していたお店だけど、久し振りに訪ねました。

久し振りに行っても変わらずに応対してくれて、とても嬉しかった。

買い物にはそんなおまけもついてくる。

底のゴムだけでなく、このチューリッヒという形は中敷の薄革も張り替えることができるという。

あまりサンダルサンダルしていなくて、しっかりと足を包み込んで、でも涼しい。

とても気に入っていて、嬉しくて、ちょっと新聞を取りに出る時にもわざわざ下駄箱からこれを出して、履いて出ている。


夜行列車の旅

2013-08-20 | 実生活

昨年末タイに移住した妹が連休を利用して列車やバスで長距離の旅によく出ていて、日本にいる時よりもかなり活発に活動しているようで、とても嬉しく思います。

先日も夏休みを利用して、マレーシア、シンガポールを夜行寝台車などを使って旅してきたとのこと。

寝台車といえば、小学校5年生の時に家族4人でブルートレインで西鹿児島まで行ったことがあります。

5年生の最初にあった漢字の小テストで0点をとって(?)、これを母親に隠していました。

しかし団地の隣の階段に住む幼馴染で、同じクラスのアキちゃんがそのことを家に帰って自分のお母さんに話し、それが母の耳に入りました。

私は0点だったことと、それを隠したこと、ダブルで怒られました。

事態を重く見た母親はテストで100点をとり続けたら、好きなものを買ってやると言いました。

私はブルートレインに乗りたいと言い、めでたくそれが実現して、家族で新大阪から「明星」に乗り込みました。

2段式B寝台で、私は寝相が極端に悪く、落ちると危ないなどの理由で下段で寝たように思いますが、嬉しくてなかなか寝付くことができませんでしたし、寝るのがもったいないような気がしました。

岡山、広島や他の名前の分らない真夜中の駅、通り過ぎる風景を飽きずに見ていました。

12時間以上かけて着いた鹿児島は南国といった風情で、とても遠い所に来たと思いました。

指宿、宮崎などを巡って、帰りは宮崎から飛行機に乗りましたが、生まれて初めて乗った飛行機よりも、ブルートレインの旅の印象はとても強かった。

今では飛行機に乗ることが一般的になって、世界が狭くなりました。

当時の西鹿児島まで行く時間があれば、ヨーロッパへ行けてしまいます。

とてもとても便利だけど、忘れてきたものもあるかもしれません。

妹はあの旅のことを覚えているのだろうか。

 

 


気に入っているクルマ

2013-08-18 | 実生活

今の車にして2年が経ちました。

シャープで奇をてらわない王道のデザインも、深い青色もとても気に入っていて、停めた自分の車を離れたところから見て、いまだに惚れ惚れと見ています。

なるべくこのままどこも壊れずに、長く、20年くらい乗ることができたらと思っています。

今月末に、走っていると勝手にニュートラルになるというリコールで、DSG(自動変速器)のプログラムを変更する修理に丸1日預けなければ、いけませんが、焦った時にいまだに方向指示器とワイパーを間違えますが、そんなことは大した問題ではないと思うくらい気に入っています。

妻は狭いところに閉じ込められているようで小さな車が苦手だと言うけれど、私は自分のいる空間が小さければ小さいほど安心感を覚える方なので、空間に対しても折り合いを二人の間でつけたのが今のポロの大きさです。

でも平日はほとんど妻が一人で乗っているし、休日も二人、ごくたまに家族3人乗るくらいなので、このくらいの大きさの車がちょうどいい。

ターボがついていてパワーも全く問題なく、いくらでも加速していきますし、高速での安定感もこの大きさにしたら良い方です。

パワーが弱くて坂道で渋滞を作っても、高速でフラフラでもきっと気に入っていると思いますが・・・。

それだけ私にとってクルマのデザインというのは重要なのです。

私たちの世代は、クルマにロマンを持っている世代だと思います。

小学生の頃はスーパーカーブームがあったし、そのほとんどは以前に作られたものでしたが、名車と言われる車も多く目にすることもできました。

高校生の頃、免許をとったら乗りたいと思っていた車は86で、多くの子たちが同じように憧れていました。

86やCR-X、シビックSI-Rとかに乗る子は、かわいい彼女がいるのと同じくらい羨望の眼差しで見られたし、長いローンを組んだり、何年もアルバイトをしてお金を貯めて憧れの車を中古車で買ったりという話はいくらでもあります。

最近若い人たちは車にあまり興味を示さないといいます。

息子に車のことを聞いても、実際にある車よりも、映画やアニメに出てくる架空の車についての知識しか持っておらず、現代を象徴しているように思いました。

今の世は、ある程度の情報なら手に入れようと思うといくらでも手に入る。

そんな情報の氾濫が、そのモノを手に入れたいという購買意欲と反対に作用しているように思っています。

不景気や将来への不安だけが理由ではないような気がします。実際、情報を手に入れるためのものには、お金を使っているので。

車の話から大きく離れていったけれど、気に入った車は休日をより楽しくしてくれるし、例え壊れて乗れなくなって次の車に代わったとしても、いつまでも思い出として残ってくれるもので、私たちの世代にとって車はその心に大きな影響を与えるものだと思っています。


お盆

2013-08-13 | 実生活

ずっと店などのサービス業で仕事してきましたので、盆休みというものをとったことがありませんでした。

お盆に関連した大移動の混雑や大渋滞に巻き込まれないのは幸運だと思いますが、実は少し寂しい気もする。

それでもお盆のうちの1日がたまたま定休日である水曜日と重なったりすると、妹が炊くささやかな送り火とか迎え火に参加したり、仏壇の前のお盆飾りを見たりして、なかなか良いものだと感じます。
その季節感というか、最も日本人らしい心になることができるお盆の雰囲気を楽しんだりしていました。

お盆の間だけ、ご先祖様がその家に帰ってくるというのは、何てロマンチックな考え方なのだろうと思いますが、私はそれをそういうものだと信じたいと思っています。

今年は妹もいないので、母が帰って来ても父しかおらず、張り合いがないと思うだろうか。それとも二人きりの時間だと思うだろうか。


お盆の思い出というと、ほとんど母の実家でのものがほとんどです。

田舎だということもあると思いますが、盛大な大イベントに思えました。

大人たちが粛々と執り行うお盆に関連した行事について周りながら、それらに参加した気分になっていました。

お盆飾り、橋の上で焚く線香、お墓参り、どんと焼きの声、迎え火送り火の藁を焼くにおい、川で冷やしたジュースや西瓜などなど。

お盆の時は勉強とか宿題とか言われなかったのも嬉しく、それがより一層楽しい気持ちに火をつけたのかもしれません。

でも、言われていたのは私たち兄妹ばかりで、子供の頃からちゃんとしていた従姉弟たちが勉強しろと言われているのを聞いたことがなかったけれど。


繰り返しを維持する努力

2013-08-11 | 仕事について

お店は何かアクションをし続けないと、衰退していく。

常に何かの企画を続けて現状維持、何もせずただ店を開けているだけではどんどん悪くなると教えられ、私も身をもってそれを経験してきました。

過去にそれがしんどい、どこか田舎でのんびりと淡々と生きていくことはできないのかと、思ってこともありました。

でもそれはお店に限ったことではなく、どんな仕事にも言えることだし、日々の生活についても言えることだと思います。

幸いあまり病気をする方ではなく、丈夫な体になっているのと、単純な頭のおかげで毎日を同じようにただ繰り返すことは、どちらかというと得意で、そういう単調な毎日の中に喜びを見出していくことができます。

毎日同じ生活のリズムを何年も繰り返して、その間に子供が成長して、自分も齢をとっていくうちに生涯が終わることが人生なのかなと思います。

そういう繰り返しを実直に続けていくことで、世の中は自分を生かしてくれる、何らかの力が働いて救われるのではないかという、日常を神として信仰してしまうような感覚に身を委ねてしまうのは、すこし違うような気がしています。

愛着のある生活を同じように繰り返して生きて行きたいというのは、多くの人の願いだと思います。

でも毎日を繰り返すということはそれを維持する努力をしなければならず、私の人生の先輩達、日々淡々と生きた人たちはそれぞれの生活を維持するための努力をしてきたことに今更ながらに気付きました。

当たり前のことと思う人もたくさんおられるだろうし、当たり前のことを言っているのだけど、毎日を繰り返すことは自分自身の努力と我慢強さのようなものが必要だと思いますし、さらに現状から抜け出したいと思うのなら、何か自分がアクションを起こさないと誰も救い出してくれない。

毎日を繰り返すことも、毎日を変えることも自分自身が動かなかければいけないということを私のような人間はたまに自分に言い聞かせておかないとついつい何かに甘えてしまうことがあります。


なぜ書くか

2013-08-06 | 実生活

大学生の時の私は、人生の目的が見つけられず、ただ漠然と周りにいる大人たちのようにはなりたくないと思っているだけで、何も行動を起こしていない冷めた若者でした。

自分が企業の人事部の採用担当者だったら、間違いなく採用しないと思います。

でも当店で毎月最終土曜日(今月は31日)に聞香会をして下さっている森脇直樹さんが来たら、間違いなく採用するだろう。

彼には一緒に何かやっていきたいと思わせる人間的な魅力があります。

それはもしかしたら、ただ波長が合うのか、彼が合わせてくれているのか分らないけれど。

店を始めてから知り合って、関わりを持つようになった大学生や若い人たちは皆自分の道を見つけていて、意見もしっかりと持っているけれど、私たち年上を立てるような礼儀正しさも忘れずに示してくれる、非の打ち所のない人たちばかりで恐れ入ります。

森脇さんは今就職活動中だけど、早くどこかやり甲斐を持って働くことができる職場に出会って欲しいと思っています。

 

土曜日の閉店後、WRITING LAB.の打ち合わせがあって、聞香会の後はいつも森脇さんも参加してくれて、意見を言いながらも、バラバラな大人たちの意見を上手くまとめようとしてくれたりしています。

その打合せの後、森脇さんが運転する車で、自宅まで送ってもらうことが少なくありません。

森脇さんは最近、ご家族で私と同じ区に引っ越されてきて、家がとても近くなりましたので、今まで以上に送ってもらいやすくなったと、一方的に喜んでいます。

車の中でも、ポツポツといろんな話をしていますが、私が森脇さんにできるアドバイスなどはなく、対等に意見を交換し合う。

夜の旧神明道路を走りながら、そんなちょっとした時間が好きで、いつも甘えて送ってもらっている。

先日の話は、なぜ書くのかというテーマ。

私はホームページやブログなどにいつも文章を書いているし、森脇さんも香についての知識や感じたことをいつも書き残していたり、毎月当店が発行している「雑記から」にも寄稿して下さっている。

私は万年筆を使うことで書くことが楽しくなる、書くことで人生は必ず良くなるということをいつも伝えたいと思っていて、それを実践しようとしている。

書くことは自分の中にあるもの、見たことなどについて考えて文章にすることだということをそれらで訴えかけているつもりです。

その中身の考えが足りなかったり、間違っていてもいい、自分で考えた自分の意見を持つことが一番大事だと、万年筆が教えてくれることを伝えたいと思っています。

それは今では使う人が少なくなっていると言われている万年筆を少しでも多くの人に使ってもらいたいと思って、店を始めた理由と同じで、店をしていることと、書くということは私にとっては同じ源泉を持っています。

森脇さんも、自分が魅せられた、今では一部の人のものになっている香道をもっと多くの人に知ってもらうために活動していて、その活動の中での自分の考えの記録として書いている。

森脇さんの書いたものは、香への若い情熱に溢れていて、情熱が最も尊く、偉大なものであることを再認識します。

私もいつまでもそれを持ち続けて、同じメッセージを発信し続けたいと思っています。

 


靴と万年筆

2013-08-04 | モノについて

良い革靴が欲しいと思って手に入れたのはトリッカーズで、ウイングチップとたくさん入ったメダリオンのゴテゴテしたデザインが単純に気に入ったからでした。

底は雨に降られた時に必死でどこかの軒下に駆け込んで雨宿りしなくてもいいように、ゴム底にして、一番減りが遅い一番厚いコマンドソールにしました。

革底の方が柔らかくて、履き心地、歩き心地がいいことは、後でオールデンを買ったときに理解しましたが、トリッカーズは自分の実情に合った、自分らしい靴だと思っています。

マロンアンティークという色も、毎日使っているル・ボナーのブリーフバッグのブッテーロ革のキャメルに合っていて、この組み合わせが気に入っています。

知名度、扱いやすさ、価格など、万年筆で言えばペリカンのような存在なのかもしれません。

そういえば革底でも、歩いて減ったら交換できる構造のグッドイヤーウェルト製法が、こういった靴の基本になっていて、手間が掛かる分国産でも3万円以上の値段になりますが、万年筆でいうとそれが金のペン先ということになるのかもしれません。

靴は素材や色、デザインを服装や持ちものに合わせて替えますが、万年筆もそうなったら、かっこいいなあと思っています。

今は、かなり万年筆へのこだわりの強い人しか、服装や小物とのコーディネートをしていないように思います。

黒っぽいスーツの時は、銀の金具の黒い万年筆やシルバーの万年筆、茶色の服では金金具の万年筆。

金の時計をしている時には、アウロラ88のような金の部分の大きい万年筆のようなコーディネート。

さすがに靴と万年筆とのコーディネートはないのかもしれないけれど、価格帯やその存在、国柄の違いなど靴と万年筆は非常によく似ていて、靴にも惹かれるのかもしれません。

でも靴や時計はファッションの一部として存在するものなので、その存在が華やか気がしますが、万年筆の世界は華やかさに欠けるような気がします。

それが良いところでもあるのかもしれないけれど、その業界の辺境で仕事をしている身としては、もう少し華やかな世界になって欲しいという願望は持っているのです。