元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

よいお年を

2013-12-29 | お店からのお知らせ

年内最後の営業日を迎えています。

忙しくても、そうでなくても今日一日の営業時間を終えて、年始営業日時(1月6日11時から)案内の手書きのポスターをドアに貼って、静かに店を出るということを毎年していて、しばらくは個人の家庭での生活に戻っていく。

店の仕事から離れている時、例えば旅行中にいつもだったらこの時間は何をしているだろうと思って、少し胸に迫るものを感じることがあります。

それをはじめ旅情だと思っていましたが、実は自分がひたすら守っている日常への愛しさだということに最近気付きました。

店という仕事場がある日常に心底愛着があって、それをいつまでも続けていきたいと思っている。

 

若い頃、自分の仕事の意味とは、などといろいろ複雑なことを考えていたけれど、それはお客様に幸せや喜びを提供するものだと、シンプルに思うようになりました。

喜びを提供する仕事というものの中で、私は万年筆で書くという喜びを提供することを担当していて、書くことが楽しいと思っている人が私の楽しみにたくさん共感してくれればそれでいいし、少なければ淘汰されていく。

万年筆で書く喜びは、自分がいつも感じている一番おもしろいことで、当店は小規模な個人商店なので店主である私が面白いと思っているこのことを共感してもらうことを目的として、大きな規模の会社ならより多くの人が幸せだと感じることを考えたり、リサーチしてそれを実現する。そういうことが根本にあって、他は結果であったり、付随することであったりする。

 

私は共感者を増やすことが仕事で、今万年筆で書くということに喜びを感じている人に共感してもらうことばかり考えていました。

でも今書くことに喜びを見出していない人、書く習慣のない人にもそれを伝えて、自分の提案することで幸せになってくれる人を増やす努力をしていかなければいけないと思い、それを来年の抱負としたいと思います。

今年一年も、大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。


自分らしく

2013-12-27 | 仕事について

忘年会が3日連続で入っていて、慌しく思っているのか、いつもの年末の雰囲気を感じにくくなっています。

それでも親しくさせていただいているお客様が来られて一通りの年末のご挨拶をさせていただくと、いよいよだというふうに感慨を持つことができます。

当店は7回目の年末を迎えています。

年末を迎えるたびにこうやって年を越せることが本当に幸せなことだと思うし、大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、元気にこうして生きていられることが有り難いことだと思えるのです。

今年1年もいろいろなことがあったけれど、ベラゴさんが近くに引っ越してこられたのは、本当によかったと思っています。

それはもちろん私の都合で、今までも近かったけれど近さのメリットが出にくい距離でした。今なら営業時間中にもちょっと行って帰ってくることができるので、でもきっとベラゴの牛尾さんも住まいの近くで、落ちついて仕事の打ち込めるようになってよかった思っているはず。

牛尾さんは普段真面目なのか、ふざけているのか分らないようなところがあって、でも仕事は誰よりも丁寧に、きれいに仕上げたいと思っていて、その二面性のようなところが魅力で、今までの生き方が表れているのかもしれない。

本人に聞いたわけではないけれど、学生時代を平凡に過ごしてきた私とは違う生き方をしてきた人のように思えます。

私は学生時代、本当に普通の子供で、大人になってから飲みの席で自慢できるような若気の至りでした武勇伝のようなものを持っていない。

30代くらいまで自分にそういうものがないことが少し残念に思ったりしていましたが、それは自分らしさをよく分っていなかったのかもしれません。

いろんな生き方があって、若いころ無茶していようと、いなかろうと、正しい正しくない以上に自分らしいかどうかが一番大切なことのように思います。

無理をしているとサマにならないので、それほど格好悪いものはないので、そういう人を見るのは辛い。

でも肩の力が抜けて本当に自分らしくなれたのは、40代になってからだったように思います。

それでも自分らしくないこともしてしまって、それはあまり良い結果を生まないことも分っているけれど、やはり時には自分と向かい合って、それは自分らしいかどうかと確認する必要がある。

来年はより自分らしく、サマになっている仕事を心掛けたいと思っています。


クリスマスイヴ

2013-12-24 | 実生活

私たちと同じようにサービス業の人は、クリスマスイヴは忙しく、家族とクリスマスディナーを楽しむようなことはなかなか難しいのではないでしょうか。

私も店で仕事をするようになって20年以上も経つので、そんなことは当たり前になっていますが、でも家族に寂しい想いをさせたと思います。

今は、彼女と出かけたりして家にいることはないけれど、息子が小さかった時は妻や子供だけのクリスマスの夕食をしていると思うと、胸が痛くなりました。

妻も仕事だからと理解してくれているけれど、他の家のように皆が揃って夕食をともにすることが少ないことに寂しさは感じているはずと、別にうしろめたい気持ちは持たなくていいのだけど、私たちのような仕事はどうしても家族との時間のバランスがとれなくて申し訳ない気持ちになってしまいます。

だからもっと家に居ようとか、時間の使い方を変えるとかできるわけではなく、気持ちで何とかおさめてもらうしかないのだけど。

でも2,30代の若造ではなく、いい大人なので無邪気に仕事だけしていれば、それでいいわけでもなく、やはりバランスをとって自分の主張だけでなく、思いやりや優しさも忘れてはいけないと思っています。

仕事だから仕方ないと、以前は思っていましたが、最近やっと大人になれたのか、そのように考えるようになり始めました。

仕事の仕方は、業種や立場で様々で、それが違えばなかなか理解してもらえないことがほとんどで、同じくらいの年代の人でそのジレンマに陥っている人も多いはず。

それに対する解決策はないけれど、何とかバランスととってもらいたいと思います。

とはいえ今日はクリスマスイヴで、街中は幸せそうなカップルやご夫婦がたくさん歩いている。

クリスマスのプレゼントにと、万年筆を買いに来られた方も今年は多く、そういったものがそれぞれの幸せな時間を演出する役に立ってくれればいいなあと思っています。

 


万年筆をおろす

2013-12-22 | 仕事について

万年筆をおろしました。

誰もがそうだと思いますが、新しい万年筆は本当に嬉しいもので、何か書きたくて仕方なくなります。

ちょうど年賀状のコメント書きを毎日していますので、新しい万年筆を馴らしていくのにちょうどいい。

先日ホームページの「店主のペン語り」http://www.p-n-m.net/column/column273.htmlに年賀状は顔料インクで書いた方が、雪国に届いても、雨が降っていてもインクが流れずにいいですよと書いて、実際にプラチナブライヤーに顔料ブルーのカートリッジを差して、せっせと書いていました。

でも新しい万年筆をどうしても使いたくて、ペリカンロイヤルブルーで年賀状を書きはじめてしまいました。

新しい万年筆は吸入式なので、吸入式に顔料インクを入れたくないし、ペリカンのロイヤルブルーなら間違えても消しペンで消すことができる。

雨で濡れて多少流れてもそれは味わいだろう、住所がちゃんと残っていればいいのだと言い訳しています。

新しい万年筆を使い始める時、いきなり調整して自分の書き癖に合わせて、何年も使い込んだようにはせずに、まず理想としている形にするために最小限の調整のみをして使い始めます。

使うことで、自分の癖に合ってくるのを楽しむ、1年か2年使えばその書き味は劇的に良くなってくるので、その変化を楽しみたいといつも思っています。

お客様の万年筆も、何も言われなければそのように調整していて、あまり削り過ぎないようにしています。

ヌルヌルの書き味ではないけれど、何の不満もなく使うことができるレベルまで持って行く。

初期段階での調整は、それぞれお好みがあって、販売員として、ペン先調整士としてお客様のお好みに合わせるけれど、削り過ぎるとせっかくあるペンポイントのイリジュウムがもったいないし、私の好みではない。

 

万年筆の販売員だけど、常に使う人間でいたいと思っていて、何か文章を書く時は必ずノートに下書きしてから書くようにしています。

万年筆を思いっきり使って、その万年筆の良さや欠点も使っている人間ならではの観点で伝えたい。

でも何よりも万年筆で文を書くのが好きだから万年筆を使っている。

自分自身で使うことによって、同じ万年筆を使う人と共通の話題として、その万年筆を肴に話が弾めば楽しいし、それが万年筆の遊びのひとつだと思っています。

今年も終ろうとしている時に使い始めた万年筆は、オマスアルテイタリアーナパラゴンの黒ボディに金金具です。

後日、詳細をご報告したいと思います。


スピーチの感想文

2013-12-17 | 実生活

11月に播磨南高校でお話しさせていただいた時に聞いて下さった13人の生徒の皆さんの感想文を、M先生が持って来て下さり受け取りました。

M先生の素晴らしい板書のお陰でもあるけれど、不細工で、下手くそなスピーチだったにも関わらず、皆さん私の言いたかったことを聴き取ってくれて、それについて考えて下さったことが、そこに書かれていて感激しました。

高校時代の自分に理解させるつもりで話しましたが、もしかしたら失礼だったのではないかと思いました。

話が下手な講師でも、そこから何かを聴き取ろうと、真剣な眼で教壇に立っている私を見ていた皆さんの一人一人の顔が思い出され、それぞれの生徒さんの将来が明るいものになることを信じています。

感想文は私が配った万年筆の、ブルーブラックの文字で書かれているものが多く、万年筆を使ってくれたことも嬉しかった。

万年筆店を始めて続けている社会の先輩として、高校1年生の人たちに伝えられることは何かと考え、自分が知っていることを教えてあげたいと出掛けて行きましたが、結局一番教えられたのは自分自身だった。

私は今まで人から教えられるばかりで、教えることは何ひとつなかったので、やっと何かを伝えられると思いましたが、それ以上にやはり教えられてしまって、いつまでたっても習う身なのだと、大変勉強になりました。

わずかな時間でしたが、教壇に立たせていただいて、13人の生徒の皆さんを特別に思うことができた経験が形として受け取れ、大切にしたいものができたと思っています。


若い頃の借り

2013-12-15 | 実生活

誰でも未熟で、不細工な行動しかできなかった若い頃に叶わなかった夢や、成し得なかったことを借りのように、いつまでも心に引っ掛けて持ち続けているのではないかと思います。

もしかしたら、その後の人生は本人が意識しているかしていないかは別として、その時の借りを返そうと努力する側面もあるのかもしれないと思うことがあります。

それが返せるものであればいいけれど、それが返せないものであれば、きっと生涯背負い続けて、何かを成す時のエネルギーになるのかもしれません。

 

学校の歴史の授業で千利休の名前は聞いたことがあり知っていましたし、大河ドラマなどでは何かの策謀に加担する、影の仕掛け人的な存在で、悪の代表のように子供心に思っていました。

大人になって、物の美しさについて真剣に考えるようになった時、茶道や千利休は避けては通れないものでしたので、自然と関連する本を読むようになりました。

初めは千利休という人に興味を持ち評論や小説など、千利休とつくもので買えるものは全て読みました。

これは万年筆を知ったばかりの頃の熱中の仕方で、その前はブルースでした。

千利休について様々なことを知るうちに彼が茶道によって残したかった美の定義が何となく理解でき、ものの美しさの見方で影響を受けていますが、物の考え方なども茶道や千利休の影響は強く受けています。

店を始めた時に、ある程度時間を自由に使うことができるようになって茶道を習い始めました。

茶道を習い始めて本で読んで知ったことの裏づけができましたが、さらに物の道理を知ることができました。

それは万年筆からも気付くことがありましたが、より広範囲な、人の営みにおいての道理について考える上での定義を知ったという感覚でしょうか。

頭の良い人なら茶道を習わなくても分るようなことなのかもしれないけれど、それに気付くことができたことは大きな収穫でしたし、口では言い表せない自分が感覚的に正しいと思う態度や物事への対処に後ろ盾ができたような気がしました。

何のことを言っているのか分らないかもしれないけれど、ひとつの例えとして、自分の良い感情による沈黙は変なものではなかったというようなこともそのひとつです。

私はこれまでの人生において、自分の態度や感情が日本人として正しいものだと思っていたけれど、様々な考え方などを見聞きして、それが正しいことかどうか分らなくなっていました。

でも茶道に触れることで、自分の血による感覚的な行為が間違いではなかったことを確信できたのは大きな収穫でした。

400年以上たった今も多くの人に影響を与え続けている、千利休の確立したものの大きさに気付きます。


冬の散歩

2013-12-08 | 実生活

特に決まった用事がない日でしたので、前の日から北野に行こうと思っていました。

幸い天気がよかったし、地元なのでそれほど早く出る必要もなく、妻が一通りの掃除などを終えて二人でから家を出ました。

先日から六甲山、神戸空港とわりと観光地らしいところに訪れていますが、特に深い理由はなく、でもどこかに自分の街神戸をもっと愛したいという想いがあるのかもしれません。

来たのに特に詳しい訳ではなく、私のイメージから言うと地元の人はあまり行かない、観光で訪れる人が多い町。そして商売はなかなか根付きにくい町というイメージを持っています。

北野の異人館通りにある駐車場に車を駐めて、さらに山の方へ登って行きました。

異人館が集まっている観光地らしいところは、北野の中でも北東地域の新神戸駅のすぐ近くの山の迫った狭い範囲になります。

レトロ風の三宮からのループバスにはたくさんのお客様が乗っていて、バス停にも行列ができていて、なかなか賑わっていることが分りました。

どこのレストランやカフェにもそれなりに人が入っている。

平日なのに、訪れる人が多いというのは本当に良いことで、まだ学生の頃に訪れた北野もこんな感じだったと思いました。

あるロマンチックな雰囲気のレストランで昼食を食べた後、どの異人館にも入らずに小春日和の温かさと幸せな観光地の雰囲気を楽しみながら歩きました。

修学旅行の高校生や小旅行の母子、若い家族連れなど、皆神戸にそれぞれの思い出を作って帰ってくれる。

北野天満宮からの神戸の街の眺めは素晴らしかったし、狭く、急坂の迷路のような路地を歩くのも面白かった。

北野を訪れた人が胸に焼き付けて帰る神戸のイメージを楽しんだ休日でした。


みつろうキャンドル作り 12月19日(木)16時~

2013-12-03 | お店からのお知らせ

クリスマスを前に、天然素材であるみつろうを使ったキャンドル作り教室を、写真のポストカードなどの作品を当店に提供してくれている
SkyWindさんが開催してくれます。

自然素材にこだわった作品作りをしているSkyWindさんの世界感が感じられるイベントになります。

ススが出にくく、優しい香り、優しい光を点してくれるみつろうキャンドル作りにぜひ、ご参加ください。

第1部(14時~15時)が定員に達したため、第2部での募集になります。

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直して安心して使う

2013-12-03 | 仕事について

ここ2ヶ月で3足の靴の底を張り替えに出していて、それはほとんどマイブームになっています。

かかとの唯一のゴム部分が半分減ると革部分に到達してしまうと焦り、すぐに張り替えたいとおもうことも理由です。

先日修理ができたオールデンを取りに行ってきました。

底の張替えとともに、コードバンの履きジワのところが白く毛羽立ってきたので、それを寝かしてもらうようにしたのと、左右で光沢に少し違いがあったので、左右差をなるべくなくすようにできないかという相談もしていました。

伝えたことは全てやってみると言ってくれて、それは無理でしょうとは言われなかったのはとても嬉しく、特に左右差をなくすことはもともと左右が違う馬のお尻の革なので、違って当然ですので、無茶なお願いだと言っている本人も分っている。

それでもとりあえずやってみてくれるところが、その心が嬉しいのであって、何もする前からそれは違って当然でと、違う理由について講釈をする人は職人ではないと勝手に思っています。

何も言わずに、お客の理想に近づけようとするのが心意気のある職人で、職人の、男の美学のような気がする。

無理難題を言われても、まず努力してみる。たとえその成果がそれほどでもなくても、それはそれで良くて、お客に少しでも良い気分で靴を履いてもらおうとするその心が大事だと思います。

私も専門家に自分の靴を見てもらって、これからもこのまま安心して履き続けられれば、本当はそれで良くて、お客と職人に信頼関係のようなものがあれば、自分の要求通りに靴が成らなくてもそれでいい。

靴はけっして安くない。安くないから最低でも10年くらいは、ボロくなりながらもその時、その時の風合いを楽しみながら履き続けたいと思います。

当店に万年筆の修理や、ペン先調整に持って来られる人も同じ気持ちなのかもしれない。

自分の万年筆を安心して、快適に使えるようにするために修理、調整に持って来られて、出来上がった時、オールデンと再会した私がそうだったように、きっと嬉しいのだと思う。

ペン先の調整でそれは矛盾した、相反する要望だと思うことがあるけれど、やはり何も言わずに努力したいといつも思う。

やる前にああだこうだ言うのは、粋ではないし、お客様の理想に黙ってなるべく近付けるのが、私の役割で美学だから。

 

安心して良いものを使うためには、修理や調整というのは必要なもので、それが気軽にできることが、最終的にそれらの商品が売れることにつながることを分っているお店や業界とそうでないところがあって、もちろん分っている店でいたいと思っています。

 


寒さを楽しく

2013-12-01 | 実生活

数年前にグローバーオールのダッフルコートを買って、温かいコートを着ると寒さを楽しむことができることを知りました。

昨年、長く着ていたコートが袖口が擦り切れてきたために捨ててしまいましたので、今冬は新しいコートを追加したいと思いました。

私には、茶系の靴を履く時の茶系の服装と、こげ茶色の靴を履く時の黒系の服装の2パターンのバリエーションがあって、ダッフルコートは茶系の時の靴用で、ベージュ色のパンツに合わせるものでしたので、黒系靴とミリタリーグリーンのパンツに合わせるコートが必要でした。

寒くなる前からいろいろな本を見たり、インターネットで検索したりしていましたが、いろいろ迷うところがありました。

ロングコートやチェスターフィールドコートはかっこいいけれど、背が高い人が着たらの話で、私が着るとたぶんダメだろうということも薄々気付いていましたので、あまり丈の長くない、カッコ良過ぎないもの。

ハリスツイードはものすごく惹かれるけれど、H兄のように渋い人が似合うもののような気がしました。

でも、昔からあるデザインのスタンダードなものをという好みはいつもあって、その辺りを狙っていました

息子の誕生日のプレゼントに長財布を探して買いましたが、その合間にもかなりのお店を見てまわって、これがあったかと思ったのが、フィデリティピーコートでした。値段もあまり高くないし。

前がダブルでボタンを締めると少しパリッとしたりりしい感じになるし、温かそう。

メイドインUSAというのも何か嬉しい。

試着させてもらって、かなりの時間着たままウロウロしていました。合間にオールデンの靴に関して質問したりして。

ダッフルコートもそうだけど、ピーコートも用途がまずある実用着の趣きがあるし、デザイン的に愛嬌があるもののように思っていますが、おそらくそのような服装の方が自分には似合っていると思うし、妻は初めからそう言っていたこともあり、ピーコートを買うことにしました。

中に薄く綿が入っていて、とても温かい。

垂水駅でバスを待つ間、冷たいベンチに座って本を読むのが毎日の楽しみですが、それも快適になりそう。

このコートにはどんなマフラーの巻き方が合うのか、まだまだ試行錯誤中で、昨晩もH兄にレクチャーを受けていましたが、なかなか決まりません。

でもこれが冬の楽しみというもの。今は外に出るのが楽しくて仕方ありません。