元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

オリジナルインク

2015-11-29 | お店からのお知らせ

当店のオリジナルインク全色が品切れしているのが当たり前になって、5か月ほど経ちます。

以後全色入荷してきていますが、予約が多く、予約されている方に割り振ると、店で販売するものが残らないことが続いています。

お一人様1種類につき1つと個数制限を設定していますが、同じ方が違う名前を使って繰り返し予約を入れていることも多く、当店がオリジナルインクを切らせているために、お客様に偽名まで使わせていると思うと心が痛みます。

聞くところによると当店のインクがe-bayで数倍の値段で売られているとのことで、繰り返し買われるのも納得できる。

全国の文具店、万年筆店のオリジナルインクが、同じような状況になっているようです。

売れるならどんどん作って売ったらいいのかもしれないし、それが商売だと思うけれど、インクを製作してくれている工場もパンク状態で、生産が追い付かない状況です。
瓶の形を変えれば、多少供給が多くなると言われましたが、従来の瓶の形で継続したいと思っています。

このままインターネットで予約を受け付けていても、理想としている当店で万年筆を買って下さった方にオリジナルインクを使ってもらうことがいつまで経ってもできませんのでインターネットでの予約受付を中止しています。

たくさん売ることを放棄したようで、甘いと言われるかもしれないけれど、今インクをたくさん売ることよりも、理想的な形に持って行きたいという想いの方が強く、そのような方針にしています。

いつになるか分かりませんが、イメージでは来年春頃になると予想していますが、店に来て下さった方にはオリジナルインクを買っていただけるようにしたいと思っています。


重ねる思考用のプラス1冊のノート

2015-11-24 | モノについて

 

スケジュールやToDoなど時間が来ると終わったり、物事を処理すると消える要件は綴じノートでいいけれど、分類して記録を重ねるものはページを足したり、移動させることができるシステム手帳のようなバインダー式になり、結局両方使わないといけなくなります。

手帳を2冊も持ち歩けないため、今年はシステム手帳に1日1ページとマンスリーダイアリーを入れて使っていましたが、フォーマットが気に入りませんでした。

今年分は使いきるつもりですが、スケジュールやToDoに関して、正方形のオリジナルダイアリーはよくできているとかなり自信を持つことができましたので、この1年の「ダイアリー浮気期間」は無駄ではなかった。

オリジナルダイアリーも使っていなかったわけではなく、売り上げや仕入れの集計には使っていましたが、少しもったいない使い方でした。

ブログを書いたり、ホームページの文章を書いたりするものの下書きは、入力が済んだ後ビリビリと千切って捨てるのが快感になっているので、残しておくことはありません。
そういう一発勝負というか、賞味期限のあるものではなく、考えを重ねていくようなもの、簡単に答えを出してしまう自分を思いとどまらせて熟慮するべきことなどを書く用途をオリジナルダイアリーに込めたいと思っています。

マンスリーとウィークリーないしデイリーのダイアリーと横罫あるいは方眼のノートが、ダブルのダイアリーカバーには難なく入りますが、それでいいのではないかと思っています。

どうしてもシングルのカバーを使いたければ、付加するノートを大和出版印刷の薄型正方形方眼ノートrectoにすればシングルでも持ち歩くことができる。

手帳の悩みは尽きない、というかいつまでも考えていたい。

ダイアリーの紙グラフィーロはかなりペンの滑りが良いので、極細の万年筆でも気持ちよく書くことができるので、万年筆も極細のものがあればいいなと思っていて、そんな話を皆さんとしたいなと思う今日この頃です。


雨の植物園

2015-11-22 | 実生活

休みのたびにどこかに出掛けていて、一日中家にいたことがありません。
家でゆっくりしたいと思うこともありますが、息子の受験の時のお正月外に出ずに家にいたことがありましたが、眠気を誘わないために一日中立って本を読んだということがありました。
どうも昼間家にいると眠くなってしまうようです。
でも一日が終わった時にその日一日を振り返って、行った場所やその時間のことを考えるのが好きで、それでいいのだと思います。

先日の定休日は、鶴見緑地の咲くやこの花館に行きました。
妻が実は写真を撮ることにとても興味があるということが分かり、休日に写真を撮りに行きたいと思っていました。
書道教室が休みだったので、雨降りでも撮りやすい、屋内の植物園として咲くやこの花館に行き当たりました。

垂水から地下鉄鶴見緑地駅まで、けっこうな時間電車に乗りましたので、鶴見緑地にお昼時に着きました。

地元では有名だという、窯焼きピザのお店「ピッチュ」に行きました。

大きな窯が印象的な店内は、リラックスできるちょうど良い広さで、隣のテーブルも気にならない快適なお店でした。
前菜もピザもデザートもおいしくて、とても満足しました。

日本中にイタリアンを出すこういう小さなお店がたくさんあって、競争のようなものが熾烈なのかもしれないと思うと、何か他人事ではないものを感じます。
でも、イタリアンも万年筆の店も、その店の居場所のようなものを見つけるということが大切なのかもしれない。

ピッチュを出て、雨の中咲くやこの花館まで20分ほど歩きました。

咲くやこの花館に入った途端、同じように考えている人がたくさんいることを知りました。

シニアの写真教室の団体さんもおられるようで、年配の方々が目立ちました。
男性も女性もフルサイズのすごいカメラにすごいレンズを三脚を立てて撮っていました。

途中、写真教室の先生と呼ばれる方の指導を私たちも受けながら、気に入った花を片っ端から好き好きに撮っていきました。

何も考えずバシャバシャと花を撮っていくのはとてもデタラメだけど、それが本当に楽しくあっと言う間に2時間弱が経ちました。

今まで夫婦の共通の話題は子供の話が多かったけれど、今も息子の話はよくするけれど、写真やカメラの話もできるようになったととても嬉しく思っています。

あまり写真を撮りに行く機会は持てないけれど、次は年末年始の奈良を撮ることができると楽しみにしています。


仕事の夢

2015-11-17 | 仕事について

近所のバス停からの景色。風が強い日の翌日は雲や靄が晴れて、遠く大阪の山々が見える。

 

テレビドラマ「下町ロケット」をいつも楽しみで観ています。

自分も、好きですることができる仕事をしているからには、夢を実現するために、夢に少しずつでも近づくために生きていきたいと思っています。

ただ夢を追い求めて、何もかも忘れてそれに取り組むことができず、いろんなことのバランスはとらないといけないけれど、日々の仕事が夢につながる道筋になるようにブレずに続けていくことが、情熱を持ち続けて仕事をしていくことにつながると思っています。

将来こういう企業になっていたい、自分たちのできることで世の中を良くしたいという、私利私欲ではない夢や希望を会社は持つべきで、それを社長だけでなく、社員と共有することでその会社を前に進める力になって、それがいつまでも続いていく力になるのかもしれない。

そういう夢を手帳にそっと書いたり、密かに心の中で思っているのも静かなる情熱になるのかもしれませんが、それを照れずに公言することで、夢が少しずつ動き出すような気が今はしています。

ずっとこのままでいい、このまま静かに自分に与えられた領分の中で続いていくことができたらいいという守りの姿勢は、謙虚な感じがして、自分のことをわきまえた良い生き方のように思えます。
そして、自分も少しそうやって生きていくのかと思っていました。

でも自分は本当にそうしたいのか、人生が終わった時にそれでよかったと思えるかと考えた時に、その生き様が不細工でもカッコ悪くてもいいから、フロンティアでありたいと思いましたし、人に感動してもらえる仕事がしたいと思いました。

自分がやりたいことは、「下町ロケット」の佃製作所のように小さな規模(私から見ると大企業だけど)の会社でもできる。むしろ大きな会社でないから突き詰めることができるような気がしていて、大いに勇気をもらって、チャレンジして、より高いハードルを超えられるようにしたいと思っています。


仕事を永続させる

2015-11-15 | 仕事について

ル・ボナーさんが製作してくれているオリジナルダイアリーカバーが入荷しました。ペンホルダー、ベルトもない潔さ、静謐さを感じる原点のこの形もやはり良いと思います。キラキラしたシボをもつサフィアンゴート。

 

どんな人も齢をとるし、同じことを何年も続けていると必ずマンネリ化してくる。
その仕事や立場が生活の糧だからとしがみついて安住しようとする人の仕事に、誰が惹かれるのだろうかと考えると、世代交代は必ず考えなければならないことだと思います。

私もまだそれほど年老いたわけではないと言いながらも、来年は年男で若いとは言えない
店のこと、店に来て下さっているお客様のことを、仕事仲間のことを考えると、そろそろ後継者と言える世代の人を育てておかなければならないと思っています。

自分の持っているもの全てを伝えて、それとその人の個性がミックスされるように、そして自分を超える存在になってほしい。

後継者は一人でいいのか、どうやって養うのかとか、いろいろ考えないといけないけれど、自分が一人前風になった時間を考えるとあまりゆっくりともしていられません。

仕事が自分の世代だけでいいとするのは、私の考えでは言い方は悪いけれど、道楽なのではないかと思う。

自分のやっていることを仕事だと思うのなら、自分自身がいなくなっても、その仕事が続いていくようにしないといけないと思っています。

今の仕事を8年続けてきて、毎日の生活、日常にとても愛着を持っていて、これが永遠に続けばと思えるくらい幸せな時間を過ごさせてもらっているけれど、自分ができることの可能性を広げたいとも思っています。

店を始めた頃は、自分がこんなことを考えるなんて思わなかったし、後継者なんて考えられないと思っていたけれど、そういうこともきっと皆考えているのだろうなと、最近よく思います。


ブログ10年

2015-11-10 | 実生活

このブログを始めて今日で丸10年になります。

2005年当時、ブログというものが流行っていて、「それくらいできなあかんのちゃうか?」と上司に煽られて、それくらいできると、負けん気のような心境で始めたことを覚えています。

当時の心境はあまり思い出したくないけれど、本来の自分の役割とは違うことをしていることに、時間を無駄にしているような焦りを感じていました。

周りの人に対してあまり優しい心を向ける余裕がなく、きっと自分のことで精一杯という何とも情けない精神状態にあったのだと思います。

自分を主張するためという、情けない考えで始めたブログでしたが、途中で自分自身も万年筆で書く生き方をしている、書くことが生活の中にあるということを皆様にお伝えするという目的も持ちながら10年も続きました。

このブログを書くことが今では自分の楽しみになってます。

頭の中に生まれた考えの断片を机に向かわずに、膨らませて、繰り返し考えてから書く。
ブログのために書き貯めたりはしなくて、予備の文章があったとしてもそれはその時の気分とは少しズレていたりして、書いていて楽しくないので載せることはありません。

しかし、自分の考えを書いて、皆様に読んでいただける場があるということをとても幸せに思います。
またブログを読んで共感してくれて、店に来て下さった方も多く、とても有り難く、恐縮しています。

ブログを書きながらよく考えることのひとつは、当店に訪れてくれた人や私と関わったことがある人たちが、私が変わらずにいると思ってくれればという、近況をお知らせするような手段になっていて、遠く離れた親戚に自分の状況をお知らせするようなつもりで書いています。

もうひとつは47歳になった男がどんな心境になって、どんなことを考えているか知って、同年代の人が共感してくれたり、若い人たちが参考にしてくれたらと思っています。

小さな万年筆店の店主が、ただその時の心境を綴ったものだけど、なるべく素直に飾らずに書きたいと思っていて、そうすることが自分も楽しいし、書かれたものとして意味がないと思っています。

そう思えるのも毎日読んで下さる方がいるからで、それが一番の励みになっています。

これからもずっと何か書いていたいと思っていて、このブログを20年、30年となるべく長く続けていきたいと思っています。


疑わない心

2015-11-08 | 実生活

 

当店の今の話題はシガーケース型2本差しペンケースDue。オマスパラゴンやこしらえを入れることができるペンケースを作りたかった。

 

契約書を普段なかなか気付かないことですが、騙したり、騙されたり、出し抜かれたりという、仕事相手のことを信じることのできない世界にいなくて、自分は本当に恵まれていて、幸せな状況で仕事することができていると思います。

万年筆を扱っているということもその理由のひとつだと思いますが、お客様は皆とても好意的で、私たちに対して優しい気持ちを持ってくれている。

私たちもお客様に対して疑う心ではなく、いつも信じる心を持って接することができている。

それは仕事仲間や取引先の方々も同じで、皆率直で、信じることができる。

相手が自分を騙そうとしているという疑いを持たずにいられると、こちらも相手のために良くなるようにしたいと思います。

こういう関係でないと、きっと仕事は長く続けていくことができないし、何よりも相手を信じる気持ちでいる方が自分自身が気持ちが良い。

そのことを当店のお客様や仕事仲間たちは普通に知っているのだと思います。

自分の方を有利にしたり、責任から逃れるために出まかせを言っても、その時はたまたま乗り切れるかもしれないけれど、絶対に長く続けることはできない。

昭和や20世紀ではそういうやり方が通用したのかもしれないけれど、とても時代遅れの仕事のやり方だと思い、仕事の根底にある考え方を180度変えないといつかその会社は滅んでしまうような気がします。

それは時代の雰囲気を肌で感じていれば、そうしないといけないことは分かると思うし、それが会社が長く続いていくための唯一の方法だということを先輩方が教えてくれました。


便りを書く

2015-11-01 | 仕事について

なるべくお客様方に感謝のお便りを書きたいと思い、葉書を出すことがよくあります。

手紙は何となく堅苦しい感じがするし、大した内容ではないのでカジュアルに葉書に書きます。

こちらの気持ちは伝わって欲しいけれど、誰かご本人以外の人が読んでも当たり障りないような文章を選び、お互いにしか分からないように書くことは心掛けています。

よく手紙の書き方とか、作法とか言われて、それに疎い人は書いてはいけないのではないかと思ってしまうけれど、葉書も手紙も気持ちを伝えるために書くものなので、そこにあまり囚われ過ぎて定型文で葉書1枚を費やしてしまうのは本末転倒なことのように思います。

その人らしさや人間味が伝わるのが手書きの便りで、私はその人の生き方も伝わるものではないかと思います。

相手の返事を要求するものではないので電話する必要もないし、ものすごく急ぐものではないのでメールでもない。

相手が夜家に帰って、ポストを開けた時に夕刊と一緒にDMではない手書きの葉書を認めて、何?と思って読んでくれればよくて、感謝の気持ちを伝えるのにこの手段を使うのも自分の生き方や美学を表していると思っている。

郵便という手段がよくぞ生き残ってくれていると感謝の気持ちすら持っています。

葉書での便りというと、雑誌の記事などで文豪たちが友人に宛てたものをたまに目にすることがあります。

太字の四角く研がれたペン先丸出しの筆跡で豪快に書いたものを見て、自分もあのように書きたいと思って憧れていました。

真似しようとしたこともあったけれど、自分がやるとどうもサマにならない。

細めのペン先でサラりと書いた方が自分らしく、そこの収まっているように見えるのは、きっと生き方の違いなのではないかと思っています。

今まで細かいことを気にして、狭い範囲の中でコセコセと生きてきた自分の生き方が目の前の自分の文字だと思うと、受け入れざるを得ないけれど。

アウトドアを嗜み、大酒を呑んで豪快に生きれば自分も四角い大胆な文字を書くことができるだろうか。

自分は豪快にカッコ良く書くことができないと知ってから、太字の万年筆を新たに手に入れなくなってしまった。

万年筆の字幅というのは用途によって使い分けるものだけど、書く文字の雰囲気、表現したい世界観によっても選ぶものが違ってきて、これはインクの色も同様だと思います。

生き方が表れると言うと、大袈裟な感じがすると思いますが、万年筆で書くということにも生き方が表れている常々思っています。