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東京都小笠原村硫黄島、お父さん犬のエリアが強い

2018-07-15 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 小笠原村硫黄島。戦前、父島に大村(現在の「おがまる」が入港する中心的なエリア)、南部に「扇村袋沢村」。母島の「沖村」は今の「ははまる」が入港するエリア、北港も「北村」。小学校も旅館もあったし、民家の集落もあって「北村」が存在した頃の人口は600名。硫黄島も、「硫黄島村」とし、1000名近くの島民が暮らしていた。「青ヶ島村」も1940(昭和15)年に、町村制が敷かれ、「東京府青ヶ島村」として発足し、八丈町と合併することなく、現在も独立とした「村」として、世界中から注目を浴びせられるほど超有名になりました。昭和15年当時の人口は、世帯95、人口407(男性210、女性197)。学校の児童数も90。→
現在の青ヶ島村は世帯112、人口163(男性92、女性71)。昭和15年当時は1世帯あたり4.2人。現在は・・・1.4人。1世帯につき1人の割合が多いのは単身赴任者が多いせいかと思います・・・。
 旧小笠原諸島にあった、5つの村を合併し、アメリカから日本に返還された同時に「東京都小笠原村」発足してからもう50年目。

 長い間・・・・小笠原村はドコモが独壇場。今から20年近く昔・・・。(もう20年前なんて早いわ)東京からドコモの携帯を小笠原に持っていっても、アンテナマークは付いているが・・・音声通話のみ。i-modeやネットは使えず。アンテナが立っていても、メールの送受信は不可能。私が小笠原に旅行している間は、パソコンのEメールや、携帯のi-modeはすべて遮断されている状態。唯一、ネットが繋がるといえば、まるひ前のISDNグレー公衆電話。市外局番の04998から03地域への通信料は、1000キロ離れていても、隣接区域と同じなので、昼間なら1分30秒で1度(10円)、夜間なら2分で10円の低料金。メール確認のために、まるひ前のグレー公衆電話前にモバイルパソコンを持った人が並んでいる・・・という光景もあった。当時は衛星回線なので、一発でつながってメール送受信ということは不可能。何度もリトライしてつながる始末。

 小笠原村でも海底ケーブルを敷設し、通信状態は激変しました。通信環境は内地と全く同じ。どこでもスマホは通じる。LINEのテレビ電話も可能になりました。通信状態が悪くて滑らかな動きではないかと思いましたが、それは全く内地でテレビ電話をしていると同じように動きはスムーズ。

 今度は・・・・小笠原村硫黄島でもエリア拡大!!

 硫黄島は一般人の上陸困難地になっていますが、海上自衛隊と航空自衛隊が駐屯し、およそ400名が暮らしているところです。福利厚生の一環として、硫黄島でも携帯電話が使えるエリアとして要望が出されたところなので、まず、ソフトバンクが応札し、基地局設置。


 硫黄島の全地域、ソフトバンクが使えます!!1250キロ離れた本土との通話や、インターネットでちょっとした調べものでも、さっとスマホやタブレット端末を取り出せば可能。
 硫黄島行きを命じられた自衛隊の所有する携帯のキャリアがドコモやauだったら、解約してソフトバンクに切り替えてしまう。
 ソフトバンク独壇場だった、硫黄島でも・・・・



 ドコモ、auも出そろい、2017(平成29)年秋頃から、全キャリア!!
 硫黄島でも本土と変わらぬの通信環境ですよ、と言われれば、行く!という気になれそうです。

 要は、テレビの映らない硫黄島で携帯電話の会社がインターネットのインフラを設けていれば、硫黄島に居ながらにしてもニュースは即座に入手できるし、テレビ番組のバックナンバーも楽しめることも可能。

 しかし、太平洋戦争激戦地なので、日米合わせて2万人の戦死者が出ていますので、戦後73年経っても幽霊がしょっちゅう出ます。硫黄島は地下水とか湧き水が出るところは全くなく、雨水が頼り。酷暑、水がないさなか、島内の地下作戦地に配備。敵に見つかればもう命はない。殺し合ってしまう。73年前の大日本帝国はどうかしていますねぇ・・。真っ先に日本が仕掛けて来たから、復讐がエスカレートに。そもそも、A級戦犯者の東條英機らが原因。連合国軍最高司令官により、1948(昭和23)年12月23日午前0時に7名を同時に死刑執行。(7月6日に行われたオウムの死刑執行も7名というのは、これと関係しそう。13名一斉死刑執行は前例にない。2回に分けて執行なので、次のXデーは7月27日か!?平成の大事件は平成のうちに終わらせ、新しい元号を迎えたいという思惑もあるかも知れません。新元号の発表は、改元1ヶ月前。官庁の公文書はほとんど、元号で執り行われており、JRも日本国有鉄道に倣い、乗車券、硬券の日付は、長年も元号の数字で刻印。ところが・・・硬券の日付を入れるタッシングマシンは昭和40年以降に製造されたものがほとんど。昭和30年代に遡ることはないとして、「30」が無い!!状態が全国で相次いだため、西暦表示の「18」で対応。
 JRの自動券売機も改修が行われ、「30」ではなく「2018」の数字が入るようになりました。東京オリンピックに向け、外国人の来訪者が急増中なので、日本だけの年号、「30」は外国人から見ればあまりぱっとしないからでしょう。マルス端末も、「30.-7.15」の発行日表示も、「2018.-7.15」と改修されるかも知れません・・・。
 硫黄島の幽霊は、自衛隊員が就寝前に一杯のお水を捧げ、慰霊のお祈りをしておかないと、必ず幽霊はやってきます。水がない環境のさなか、無念の死を遂げた方々のことを思うと、一杯のお水は安らぎでしょう。
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