2月12日 水曜日。時刻表では「辰巳」となっていて運休日のはずなんですが、9日(日曜日)、10日、11日と3日間も船が来なかったこともあり、本日は臨時就航でーす。青ヶ島から戻って来たら、東京へ。明日(13日)は芝浦積み荷作業です。
数日前、友人から画像付きでメール着信っ!最初は何のことなのかさっぱりわからなくて、指で画像を広げてみると上野で廃駅になった「博物館動物園駅」の期間限定で一般公開中。2月いっぱいの土日祝のみ。週末のお天気は下り坂になるので、行くんだったら、今のうち!!!
ここから上野までのルートは、JR総武本線、京成電鉄、JR京葉線の3ルートがある。千葉県に住んでいながら、京成電鉄の利用は皆無。ほとんどJRばっかりなので、ン十年ぶりに京成電鉄で上野へ。
京成電鉄でもJRのスイカでも使えるはずだけど、一応、私鉄のパスモを用意して・・・京成千葉駅の自動改札機にタッチ。アラーム音、赤色のランプとともに改札機の扉は通せんぼ。パスモの残高がゼロってわけではないんだけどな~と有人通路へ。駅員さんが調べると「有効期限切れ 確認してください」とモニター。パスモを持っていても、関東圏の私鉄を利用することは無く、最後に利用したのは3,4年前(?)なので残高があっても久しぶりにタッチするとエラーになるんですかね。
京成千葉線は京成本線に直通することはなく、ほとんど津田沼で乗り換え。その乗り換えがネックになり、千葉から京成を利用しずらいんだよな・・・。成田空港から京成上野の本線のほうが快速特急や特急、急行・・・種別がいろいろあって本数も多い。
津田沼で上野行きを待っていたら「快速特急」。途中の停車駅は船橋・八幡・高砂・靑砥・日暮里・上野。国府台や江戸川は通過だけど、とお~い昔の記憶が・・・。東京に憧れ続け、やっとここに来たのに目の前が江戸川。江戸川の西側だったら、「東京都江戸川区」。東側は「千葉県市川市」。東京の住所ではなく東側なので、悔しい~思いをしたのも、わずか1ヶ月で故郷へ脱走し、転校。青ヶ島では15歳で上京だけど、12で1000キロも離れた異郷とは無理があったかも知れません。
日暮里駅で車内のお客様がほとんど降りていかれました。上野駅でJRに乗り換えるのに離れているため、乗り換えるなら日暮里が便利なんでしょう。西武新宿線も終点西武新宿よりもほとんど髙田馬場で乗り換え。
ガラガラになった車内でドア付近に立ち、電車が地下に入ったときから注視。ぼわーんと幽霊のような廃駅のホームとか見られる。廃駅になっても、なぜかホームに明かりがともっているので、あそこだけ昭和の初期にタイムスリップしたかような風景が見られます。
まだ2月なのに桜が!!
鳥さんがいたので、撮影。しかし、シャッターチャンス逃す。
もう春ですねぇ・・・・。
実はこの地に来たのは2001(平成13)年頃。こちら葛飾区亀有公園前派出所の漫画で博物館動物園駅のことが取り上げられ、1度は見ておこうと。あれからもう20年近くになるんですかね。おぼろげな記憶を頼りに、駅は確かにあそこ!?
20年近く前だというのに、駅から何も見ずに道順を覚えているとは・・・我ながら感心。
普段は閉まっていて、中の様子を見ることは絶対に出来ないはずだけど、期間限定で一般公開中。なので、見られるのは貴重な体験。教えてくれた友人に感謝!
1933(昭和8)年にしては、西洋な造りの駅舎。
当時のままの階段をおりて・・・
ここまで。さっき、幽霊のようなホームが見えたところの付近。残念ながらガラスの扉で仕切られており、あそこまで降りるのはムリでした。
実際、駅として使われていたのは1997(平成9)年3月31日まで。
あれから23年経っても、当時そのまま。平成9年といえば、自動改札機が全線整備されているけれど、ここだけは時代に取り残されたかように木製のラッチ。
地下にあるホームの長さが4両編成分しかなく、6両編成の普通列車でさえ通過。利用者の大半は隣の京成上野から徒歩。駅としての役目は終わったという感じです。
今の京成電鉄の車両はほとんど8両や6両だけど、昭和初期は4両編成がスタンダードだったかも知れません。
80年以上昔にタイムスリップすれば長蛇の列をなしていたのであろう切符売り場。
3つもあった切符売り場の跡地。
駅としての最終営業日の平成9年3月31日、「また会えることを願って H9.3.31」の落書き。はい、今、こうして一般公開しているので、会えましたね~!!!願いがかなえているってことですよ。
階段の出口付近。
東京駅の丸の内側もありましたね・・・。東京駅開業100年記念の2014年12月20日、東京駅開業100周年記念suicaをめぐって暴動事件勃発。平成26年、今年は令和2年だけど、平成に換算すると32。えええー!!もう6年前になるんですかね。はやっ!!まるで昨日のように思い出されるんですけど・・・。
戦時中の東京空襲も経験している駅舎。それでも壊されたりせず、原型をとどめていますが、戦時中の金属提供により失われた部分もあるそうです。
昭和8年の世界にタイムスリップできる貴重な体験。
駅舎をあとにして、今度は上野駅へ向かいます。
スカイツリー。
上野駅、こんなに広かったとは・・・。
これも昭和の遺産。新幹線のなかった時代、東北本線や常磐線の蒸気機関車が発着するターミナル駅。テレビのドラマなどで「みちのくからの集団就職の終着駅」として古めかしい上野駅を再現する様子とか・・・。東京駅は「西」の玄関、ここは「北」の玄関。今はもうすっかり上野から東京に移しているので、大昔のように北へ向かう乗客で賑わう様子はあまり見られなくなりました。
東京からの帰りは・・・今回は忘れず国鉄のオレンジカード持参。
下はカード初期版。1985(昭和60)年にデビューしてから1年経たないうちの1986(昭和61)年発行。注意書きのフォントがレアな状態に・・・。
当時、少ないお小遣いから購入した「西日本旅客鉄道株式会社」発足記念オレンジカード。あれからもう30年以上。
自動券売機が な、な、な、なんなんだ!?オレンジカード!?と認識するのに時間がかかったのか、レスポンスがいつもより遅かったような。まさか、オレンジカード受付第1号!?
前払いで国鉄に納めたものを切符に引き替えるとしても、JR東日本としての収入はゼロなのかも知れない。自動改札機はちゃんと開いてくれるので、キセルや不正乗車ではない証拠。
郵便局の切手も国の事業、郵政省に納めたものを今も使えると同じように・・・。
ここから上野までのルートは、JR総武本線、京成電鉄、JR京葉線の3ルートがある。千葉県に住んでいながら、京成電鉄の利用は皆無。ほとんどJRばっかりなので、ン十年ぶりに京成電鉄で上野へ。
京成電鉄でもJRのスイカでも使えるはずだけど、一応、私鉄のパスモを用意して・・・京成千葉駅の自動改札機にタッチ。アラーム音、赤色のランプとともに改札機の扉は通せんぼ。パスモの残高がゼロってわけではないんだけどな~と有人通路へ。駅員さんが調べると「有効期限切れ 確認してください」とモニター。パスモを持っていても、関東圏の私鉄を利用することは無く、最後に利用したのは3,4年前(?)なので残高があっても久しぶりにタッチするとエラーになるんですかね。
京成千葉線は京成本線に直通することはなく、ほとんど津田沼で乗り換え。その乗り換えがネックになり、千葉から京成を利用しずらいんだよな・・・。成田空港から京成上野の本線のほうが快速特急や特急、急行・・・種別がいろいろあって本数も多い。
津田沼で上野行きを待っていたら「快速特急」。途中の停車駅は船橋・八幡・高砂・靑砥・日暮里・上野。国府台や江戸川は通過だけど、とお~い昔の記憶が・・・。東京に憧れ続け、やっとここに来たのに目の前が江戸川。江戸川の西側だったら、「東京都江戸川区」。東側は「千葉県市川市」。東京の住所ではなく東側なので、悔しい~思いをしたのも、わずか1ヶ月で故郷へ脱走し、転校。青ヶ島では15歳で上京だけど、12で1000キロも離れた異郷とは無理があったかも知れません。
日暮里駅で車内のお客様がほとんど降りていかれました。上野駅でJRに乗り換えるのに離れているため、乗り換えるなら日暮里が便利なんでしょう。西武新宿線も終点西武新宿よりもほとんど髙田馬場で乗り換え。
ガラガラになった車内でドア付近に立ち、電車が地下に入ったときから注視。ぼわーんと幽霊のような廃駅のホームとか見られる。廃駅になっても、なぜかホームに明かりがともっているので、あそこだけ昭和の初期にタイムスリップしたかような風景が見られます。
まだ2月なのに桜が!!
鳥さんがいたので、撮影。しかし、シャッターチャンス逃す。
もう春ですねぇ・・・・。
実はこの地に来たのは2001(平成13)年頃。こちら葛飾区亀有公園前派出所の漫画で博物館動物園駅のことが取り上げられ、1度は見ておこうと。あれからもう20年近くになるんですかね。おぼろげな記憶を頼りに、駅は確かにあそこ!?
20年近く前だというのに、駅から何も見ずに道順を覚えているとは・・・我ながら感心。
普段は閉まっていて、中の様子を見ることは絶対に出来ないはずだけど、期間限定で一般公開中。なので、見られるのは貴重な体験。教えてくれた友人に感謝!
1933(昭和8)年にしては、西洋な造りの駅舎。
当時のままの階段をおりて・・・
ここまで。さっき、幽霊のようなホームが見えたところの付近。残念ながらガラスの扉で仕切られており、あそこまで降りるのはムリでした。
実際、駅として使われていたのは1997(平成9)年3月31日まで。
あれから23年経っても、当時そのまま。平成9年といえば、自動改札機が全線整備されているけれど、ここだけは時代に取り残されたかように木製のラッチ。
地下にあるホームの長さが4両編成分しかなく、6両編成の普通列車でさえ通過。利用者の大半は隣の京成上野から徒歩。駅としての役目は終わったという感じです。
今の京成電鉄の車両はほとんど8両や6両だけど、昭和初期は4両編成がスタンダードだったかも知れません。
80年以上昔にタイムスリップすれば長蛇の列をなしていたのであろう切符売り場。
3つもあった切符売り場の跡地。
駅としての最終営業日の平成9年3月31日、「また会えることを願って H9.3.31」の落書き。はい、今、こうして一般公開しているので、会えましたね~!!!願いがかなえているってことですよ。
階段の出口付近。
東京駅の丸の内側もありましたね・・・。東京駅開業100年記念の2014年12月20日、東京駅開業100周年記念suicaをめぐって暴動事件勃発。平成26年、今年は令和2年だけど、平成に換算すると32。えええー!!もう6年前になるんですかね。はやっ!!まるで昨日のように思い出されるんですけど・・・。
戦時中の東京空襲も経験している駅舎。それでも壊されたりせず、原型をとどめていますが、戦時中の金属提供により失われた部分もあるそうです。
昭和8年の世界にタイムスリップできる貴重な体験。
駅舎をあとにして、今度は上野駅へ向かいます。
スカイツリー。
上野駅、こんなに広かったとは・・・。
これも昭和の遺産。新幹線のなかった時代、東北本線や常磐線の蒸気機関車が発着するターミナル駅。テレビのドラマなどで「みちのくからの集団就職の終着駅」として古めかしい上野駅を再現する様子とか・・・。東京駅は「西」の玄関、ここは「北」の玄関。今はもうすっかり上野から東京に移しているので、大昔のように北へ向かう乗客で賑わう様子はあまり見られなくなりました。
東京からの帰りは・・・今回は忘れず国鉄のオレンジカード持参。
下はカード初期版。1985(昭和60)年にデビューしてから1年経たないうちの1986(昭和61)年発行。注意書きのフォントがレアな状態に・・・。
当時、少ないお小遣いから購入した「西日本旅客鉄道株式会社」発足記念オレンジカード。あれからもう30年以上。
自動券売機が な、な、な、なんなんだ!?オレンジカード!?と認識するのに時間がかかったのか、レスポンスがいつもより遅かったような。まさか、オレンジカード受付第1号!?
前払いで国鉄に納めたものを切符に引き替えるとしても、JR東日本としての収入はゼロなのかも知れない。自動改札機はちゃんと開いてくれるので、キセルや不正乗車ではない証拠。
郵便局の切手も国の事業、郵政省に納めたものを今も使えると同じように・・・。