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12年前の母島簡易郵便局

2009-03-12 00:14:47 | 小笠原

0903120001  この中に伊豆諸島や小笠原に関する記事はないかなと目次をチェックすると、「日本一のへき地 離島・母島の郵便局」が載っていたので、借りてみました。
 「宝島別冊 郵便局のゆくえ」というタイトルで1997(平成9)年10月発行と書かれているので、ちょうど12年前ですね。

 今の様子をまだ見たことはないけど、JA(農協)に郵便・貯金・保険事務を委託し、民営化後は個別配達も始まったそうです。

0903120002  母島簡易郵便局が出来るまでの経緯や、当時の様子が書かれているので、とても興味深い記事。
 国鉄みたいに辺鄙なところの郵便局は民営化後真っ先に切り捨てられるかも・・・と心配していましたが、結局、組織が変わっただけで個別配達が始まったのは郵政省時代になかったサービス。

 12年前の母島簡易郵便局。
 平日の朝8時半から12時まで、昼休み1時間は窓口が閉まり、13時から14時30分。
 今も同じ営業時間だが、昼休みのために窓口を閉まることはなく開くようになっています。
 「おがさわら丸」に積んだ母島宛の郵便物は東京を10時に出発、25時間半かけて翌日の11時半、二見港入港。
 となりの小さな「ははじま丸」に積み替え、母島に着くのは15時半。
 同じ都内にありながら、飛行機で地球の裏側に行くよりも本当に遠い「東京」。
 郵便局の窓口は閉まっているけど、1時間の間に受託者の職員がマンションのような集合ポストに宛名ごとに投函。
 「4時半より15分、郵便の受け取りを行います」とアナウンスが島に響く。

0903120003  そう、配達を行わないので、島民が自ら郵便局に出向き、集合ポストから手紙を受け取るシステム。 
 集合ポストの下に「ゆうパック」が置かれてあり、自分宛に届いていないか宛名を確認。

 母島に郵便局が出来たのは1973(昭和48)年。
 1968年6月26日の小笠原返還後、5年間のタイムラグがあるのは当初、母島には島民の帰島が許されなかった。
 1972(昭和47)年にようやく帰れるようになり、郵便局の必要性が高まった。
 郵便局が出来る前までは手紙1つ出すのに50キロ離れた父島の小笠原郵便局まで出向かなければならず、やっと手紙を出したかと思ったら今度は海が荒れて帰れないこともしばしば。
 手紙1つに父島で1ケ月近く足止めを食らったこともあったとか・・・。
 
 当初、母島簡易郵便局では肉や野菜、鮮魚などを冷蔵庫に入れた状態と同じように配達する「チルドゆうパック」の取扱はなかったが、島民の要望が高まったため、郵便局を預かっているJA(農協)が郵政省(当時)と数度にわたって交渉した結果、1996(平成8)年12月からやっとサービス開始。
 ある主婦が奮発し、特上の松阪牛、もちろん霜降りを注文。
 ところが、思っていたよりも早く届いていた。
 当時は自分で郵便局に出向き、荷物を受け取らなければならず、冷蔵庫に入れておいてくれたようだが、せっかくの特上なので冷凍しなくちゃ意味がない。
 郵便局から2、3日経って届いていますと電話をもらってすぐに受け取りに行ったが、肉は溶けて汁が出ているし、霜降りもパァ・・・。
 憤った主婦は郵便局に損害賠償を請求したが、戻ってきたのは6000円程度。
 肉代として払ったのは3万円だったので、今でも「チルドゆうパック」という名前を聞くだけでご立腹のようです。(この話は12年前の1997年)
 
 他にも面白い記事ばかり書かれていますが、この辺で。

 郵政省時代の「ゆうパック」は宅配便に比べるとちょっと遅かったみたいですが、民営化された今は宅配便と同じくほぼ翌日配達になっているので、母島簡易郵便局も「チルドゆうパック」が来たら迅速にその日のうちにお届け先までちゃんと配達されるでしょう。

 母島簡易郵便局どう変わったか見てみたいです。
 もし、友人と一緒だとしたら、「郵便局かよ!?」と付き合わされてたまったものじゃないと思うけど、風景印のお土産が付くので、内地宛に小笠原のはがきを出すのもよさそうだし・・・。(笑)

コメント (1)
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