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7月29日 4年ぶりの帰島、そして母島へ

2005-08-24 23:58:47 | 小笠原

7月29日の朝、昨日からずーっと寝ていたせいか、いつもよりは爽やかな朝だった。父島まであと80キロ。それでもまだ船に乗っているのは「飛行機で地球の裏側に行くよりも遠い東京」だ。

10時半ごろ、父島の島影が見えるようになり、11時ごろ二見湾内を徐行。出口のところに乗船客が並んでいて、「やっと着いたぞー!」と皆ワクワクしているかような表情。11時10分、タラップが桟橋に架けられ、下船。べた凪が続いていたため、予定より20分早めに到着したみたい。

強い冷房の効いた船から降りると、むっとした亜熱帯特有の熱気が・・・。大粒の汗がだらだら・・・と出ていたが、4年ぶり見る小笠原の景観は本当に懐かしい。桟橋では「おかえりなさーい」と宿の人達の出迎えでにぎわっていた。

私たちは母島に直行なので、昼食のパンを買ったあとは、ははじま丸の待合室へ。12時30分出発、14時30分母島に到着。考えてみれば、昨日の朝10時に出発、翌日の14時30分に着くのは国内で最も長い旅ではないかと思う。

沖縄県の北大東島、南大東島は沖縄本島から東へ400キロに位置しているが、那覇~北大東島の便に間に合うように羽田から飛び出せば、その日のうちに着ける。

anna1 宿泊先は母島アンナビーチユースホステル。父島なら小笠原ユースホステル。病み付きになりそうな宿なので、今回も母島アンナビーチユースホステル。しかし、今日はオーナーの田沢家ファミリーが内地に行っているため、2人の若いヘルパーさんしかいない。さっき、リンクを張ろうと母島アンナビーチユースホステルのホームページを見たら、掲示板にオーナーのコメントが書かれていました。内地での報告でした。その下のコメントは「おがさわら丸の東京~父島の往復燃費は400万円。TSLを導入すれば、1500万円!」TSLで父島2往復すれば、家を1軒買える値段。ひぇー!

オーナーの奥さんは料理がとってもうまくて今回も楽しみにしていたのに残念。

anna2 忘れられない、アンナビーチユースホステル特製の「母島定食」。母島で取れる野菜などをふんだんに使われていて、さっぱりとした味。ずっと居候していたらダイエットできそうなメニュー。しかし、今回は「素泊まり」なので、外食だ。(写真は2001年8月)

kitakou1 母島に居られる時間はわずか2日。今日は北部探検、明日は乳房山登山、一般人の行ける東京都最南端の南崎へと予定を立てておいたので、到着してすぐ観光に出発!バイクでひたすら北上し、北港に近づくと右側に「北港小学校跡」がある。校庭は廃村してから60年も経過しているので、一部ジャングル化に・・・。

kitakou2 夕日で逆光し、輪郭などがハッキリしていないため、2001年の写真を借用しました。北港の景色は4年前と全然変わっていないので、昔の写真を見せながら「ついさっきのもの」なんてごまかせるんですねぇ。桟橋は戦前からあったもので東京からの定期便を寄港していたことも。下の「小笠原歴史」に書かれてあるとおり、戦前は人でにぎわっていたのに、今はご覧のとおり。

台風が去ったあとなので、海底は白くにごっていて透明ではなかった。残念。北港でのんびりしているうちに陽が傾いてきた。

yuhi1 夕陽ヶ丘から見える、南国らしい夕日の景色。小笠原諸島は東京より少し東側にあるため、暮れの時間は東京より若干早い。初の日の出も国内で最も早いのは北海道の根室ではなく、母島。いつかは母島で初の日の出を拝みたいな。

今日の夕食は・・・・島っ子娘でお好み焼き。

夜はヘリポートで星空を眺めようと4年前行った記憶を頼りにバイクを走らせたが、「ヘリポート」の標識が見つからず。南崎に近いところに「ヘリポート」の新しい標識があり、左折すると全く違う場所だった。仕方がないので、新夕陽ヶ丘へ。都道241号の路上なので、寝そべったりするのは危険だが、滅多に車の来ない時間帯なので、横になってみる。コンクリートなので、太陽熱の温もりが・・・。無数の星が輝いて言葉では言い表せないほどとても美しい。うっとり見とれてしまいほどの夜空。流れ星も何個か見たし・・・。デジカメで美しい夜空を撮影しても、真っ黒でした。お見せできないのは残念。

コメント
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