東京アイランド

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月10万円で豊に暮らせる町&村(東京・父島編)

2005-08-29 23:28:10 | 小笠原

minamijima 8月29日19:00~放送の番組(チャンネル12のテレビ東京)をもうご覧になったのかな?

月10万円で豊に暮らせる町&村(父島編)が出ました!1階のリビングにあるDVDは再生専用機なので、録画できず・・・。 ( ̄曲 ̄)

エコツアーサービス・「マルベリー」の吉井信秋さんのご家族が出ていました。小笠原村に住所を置いてから3年以上の家族のみ都営住宅への入居が認められ、家賃はなんと19,800円!食費、生活費なども含めると97,000円で暮らせると紹介されていました。自然ガイドの資格を持っておられるので、お休みの日は世界一美しい南島を家族一家で独り占めという場面も・・・。本当に羨ましいです。

上の写真は南島で見かけた、現在では絶滅種になった「ヒロベソカタマイマイ」。見た目では新しい貝殻に見えるが、実際は1000年前の化石だそうです。(今日テレビで言っていました)。

昔はたくさん転がっていたが、あまりにも可愛らしさで上陸記念として持ち帰られる方が多く、激減してしまったみたいです。「貴重なヒロベソカタマイマイを南島へ帰してあげよう」とカムバック キャンペーン実施中。

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7月31日 父島へ夜の50CCツーリング

2005-08-29 02:09:47 | 小笠原

oki 今日は母島最終日。母島での主な見所を全て見回ったので、14:30発の「ははじま丸」に乗るまではのーんびりすることにした。

今日の朝ごはんは・・・4年前は「母島定食朝食バージョン」として夕食に続き、豪勢なおかずばかり食卓に並んでいた。しかし、今回は素泊まりなので、「おが丸」の船内食としてカップうどんが1個残っていたので、それを半分ヨングク君に分け、朝食。まるで「一杯のかけそば」みたいに・・・。

母島唯一のタイビングショップ、クラブノア に喫茶店も併設されているので、そこで南国風サンドウィッチのランチ。沖港を見渡せる2階の客席でしばしの休憩。「今日は何曜日だったけ?」「日曜日」「日曜日なのに、その静けさは東京では考えられない」「今頃の江ノ島海岸は?」「あの場所はものすごーく人だかり、気持ちよい場所ではないな」

14時30分。ユースホステルのヘルパーさんに見送られての出発。「おが丸」は大型客船なので、ゆっくり桟橋から離れていくのだが、「はは丸」は小型の船なので、車みたいにあっという間に桟橋から遠さかってしまう。女性ヘルパーが桟橋からダイブし、手を振っていた。ヨングク「へえ、小笠原文化では、見送るときはダイブするのがエチケット?」「うん、父島だと「いっていらっしゃい」セレモニーとして多くの船がおが丸を追いかけ、船に乗っている人がダイブして見送るんだよ」

16時45分 今夜の宿、小笠原ユースホステル到着。道路もコンクリートではなく、内地と同じ舗装に2車線。秘境な的な母島から父島に戻ると都会な風景のように見える。観光は明日に回したいところだが、明日の14時には帰りの「おが丸」船上人になってしまう。今のうちに父島制覇だとバイクで観光に出発!夕食は18時30分からなので、2時間のうちに境浦と扇村、三日月山展望台の3ケ所を回った。

chichijima1 境浦にたたずむ「濱江丸(ひんこうまる)」。

案内板によれば、「太平洋戦争中(1944年6月12日)にサイパンの北方沖で米軍の魚雷による爆撃を受け、応急処置しながら漂流するうちに、父島・境浦沖に座礁」。座礁して60年以上経過しており、初めての小笠原(1997年)で見たよりも一部崩れたりして少しずつ風化していた。干潮時にエンジンの部分が丸出しになる。

沈没船までは泳いでいける距離なので、シュノーケリングセットさえあれば、十分船の内部の様子を見ることが出来る。しかし、今回は時間がないので泳ぎに行かなかった。

chichijima2 小笠原一のVIPホテル、「ホライズン」。1994年天皇陛下がお泊りになられた部屋は3階のスイートルーム。

ホームページでスイートルームの1泊料金を調べたところ、ハイシーズン47,250円!韓国最高紙幣の世宗大王(ハングルを制定した)マノン札を48枚とは・・(*'(Д)')ヒィィィ!でも、1度は泊まってみたい。

chichijima3 三日月山の夕陽を見たあとの帰り、父島の中心地。

chihijima4 小笠原ユースホステルの「出航パーティ」。「おが丸」が出航する日の前夜は必ず外でパーティをやるのがならわし。普段は父島で取れる魚介類、野菜などの「小笠原定食」、パーティの日は豪勢に島寿司などが並ぶ。3日間ともにしたホステラーたちと楽しく語らうのだが、私たちは途中参加、しかも1泊だけなので、ゆっくり付き合えず残念。

ユースホステルの夜はフリースペースで雑談したり、お酒を飲んだり、楽しく過ごせるのだが、私たちは明日で帰ってしまうので、父島を一周ツーリングしたくて、夜こっそり出発。

ユースホステルを起点に時計回りで景勝地の場所をヨングク君に案内。まず、宮ノ浜海岸。宮ノ浜海岸はシュノーケリングに適した場所で、色々な魚たちに出会える。休憩所もついているし、海のガイド屋さんに頼まない日はここでのんびりできる。しかし、真っ暗闇でどのような風景なのかわからなかった。(当たり前か) 兄島海中公園を展望できる、長崎展望台に行こうと思ったが、真っ暗だし、ガイドの意味がないと思い、パス。

「さあ、ここからは夜明道路に入ります。夜明山では、戦跡がたくさんあり、ガイドなしでは入れない場所です。もしかしたら、オバケが出るかも知れません。いいですかー?」

ヨングク君は本物のオバケに出会っても「こんにちは」と挨拶ができるほど肝が座っているからオバケなんてどうでもいいと思っていたらしい。

街路灯もなく、暗闇に吸い込まれそうながらバイクを走らせる。すると、オレンジ色に美しく光った大きな施設がパッと現れてきた。宇宙観測施設のようだ。

しばらく走ったところで4年前の記憶では、旧日本軍の通信指令所の廃墟建物が建った場所なので、たしか、ここのあたり。建物跡の向かいに首なし尊徳像があるのは記憶している。そこでバイクを停め、懐中電灯で照らすと、あるはずの場所に首なし尊徳像がない!!「たしか、ここのはずだった!ひえーっ!なくなっている!」ヨングク「4年前だからウロ覚えじゃないの?」「本当にここだってば」(もしかしたら、首なし尊徳像が勝手に歩き回っているのでは)と恐怖心がして、そそくさとその場を去り、次のスポットへ。

「はい、ここは小笠原の中で2番目に高い中央山・・・・」ヨングク「おいおい、さっきの場所に戻ろう」「首なし尊徳像か?あれは撤去されたかも?あるいは勝手に歩き回り、朝になれば元の通りになるかも?」「そうじゃなくて、本当に撤去されたとすれば、案内板に「首なし尊徳像」の文字が消えるはず。表示されているっていうのは、あるはずだよ。オレンジ色に光っている宇宙観測所も見たいし」「そうか、じゃ、行こう」

chichijima5 あっ!!ありました!!首なし尊徳像。懐中電灯で必死に照らした場所のわずか左側に位置していました。なんだー。びっくりさせやがって。

校門の跡もあるし、何で辺鄙な場所に小学校があったのか、謎が解き明かされていない小笠原のミステリースポット。「首のところは米軍が記念としてアメリカに持ち帰ったとされるが、真相は不明」だそうです。

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