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東京アイランド

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ひどい人がいるもんだな

2024-07-07 01:00:33 | 日記・エッセイ・コラム

みどりの窓口の職員をいじめるカスハラ

 そんなにひどい人がいるもんだな。本文中に書いてある「驫木(とどろき)駅」は青森県の有名な秘境駅として五能線にあります。艫作(へなし)もなかなか読めない難読駅だけど、同じく五能線のウェスパ椿山のとなり。駅員のくせにそんなの読めないのかと罵倒するファンの方は人間失格ですよ。私だったら、読めない難読駅の上に読み方を書いて、スムーズに発券させるようにしています。


新しいものに目がなく・・・

2024-07-05 00:00:12 | 日記・エッセイ・コラム


 新製造第1ロットの、AAから始まる新しいお札。AA争奪戦に参加しているわけではなく、たまたま房総の田舎町でゲット!!
20年前の新札発行時は11月1日(月曜日)。東京の日本銀行本店に行って、新札に両替していましたが、今は両替はやっていないとのこと。これから当たり前のお札になってしまいますが、せっかく第1ロット製造の券をゲットしているので永年保存の記念にとっておきます。
 20年周期でデザインを刷新するそうですが、次の2044(令和26)年は完璧なデジタル社会に変わりつつなので、今回の刷新は最後になるのではと話が出ています。
 7月3日に全国の日本銀行本支店から市中の金融機関に引き渡しになっているので、小笠原村への金融機関(七島信用組合小笠原支店や小笠原郵便局、及び青ヶ島村唯一の金融機関、青ヶ島郵便局への現金輸送体制は公表されていませんので、不明です。
 7月10日発の「おがさわら丸」に新札を持った乗客がいて、小笠原村内での支払いに初めて流通するかも知れません。青ヶ島村も然り、新札を持った観光客が島内にお金を落としていって、そこから流通なのかも知れません。


NTTファイナンスをかたどる詐欺電話に注意

2024-06-28 21:43:41 | 日記・エッセイ・コラム

 スマホに +2**** から始まる国際電話着信。出たらPixelの自動字幕起こし機能で「NTTファイナンスより重要なお知らせです。現在ご利用の電話回線にて未納料金が発生しているため法的措置・・・」NTTがわざわざ国際電話をかけてくるはずがないし、これは詐欺電話に決まっていると思って切ってすぐブロック。詐欺師とわかっていながら突撃するのは時間の無駄、面倒だと思っている方は以下の動画をご覧になれば納得すると思います。

 ・詐欺師に突撃する映像は こちら

 ・ホンモノの弁護士が突撃する映像は こちら


所沢駅の激変っぷりに驚愕

2024-06-28 00:40:22 | 日記・エッセイ・コラム


 このまま池袋線で戻るよりも所沢で新宿線にのりかえ。フリー切符なので、所沢での途中下車はできます。しかし、有人通路でQRコードが表示されたスマホを見せながら通過しようとすると、読み取り装置にかざすようにと指示があり、かざして通過。日付が小さくて確認できないので、音で有効なのかどうかの判断していると思いますが、これがちょっと面倒。
 JR九州では、無人駅に設置されていた自動券売機や乗車駅証明書発行機を撤去し、駅に表示されたQRコードをかざし、スクリーンショットで乗車駅証明取得。下車駅でこのスクリーンショットを提示し、精算する仕組み。スマホを持っていない人や、操作に不慣れな人にとっては不評のようです。
 平成初め頃の平屋建ての所沢駅をよく覚えていて、今のように複合施設付きの駅ビルに生まれ変わる激変っぷりに驚愕。


プレゼントはトートバッグ

2024-06-27 00:22:40 | 日記・エッセイ・コラム


 最後にひばりヶ丘駅で入鋏してもらって、駅員さんにスマホの画面を見せながら「トートバッグプレゼント」にタップ。「交付済」の表示に変わり、

 プレゼントされました。4駅で使われていた鋏痕(きょうこん)がついています。平成の初め頃、首都圏のJR線にはじめて自動改札機が導入され、券面に切り込みを入れる改札鋏は磁気情報の一部を欠損する理由でそれに代わるものとして、チケッター(改札スタンプ)がデビューされたのも、その頃です。
 昭和の遺産を令和になって復活するのはよかったものの、硬券も復活させ、鋏を入れるとか実現すればよかったかな。実際、硬券を自動改札機に挿入して詰まらせる問題もあったので、実現は難しいかも。


所狭しといろんなお店があったはずだけど・・・

2024-06-26 00:44:16 | 日記・エッセイ・コラム


 2024(令和6)年6月11日のひばりヶ丘駅北口の様子。四半世紀の昔、ここから何度も通勤に通っていたはず。当時の記憶では、所狭しといろんなお店があってにぎやかだったのに、今はご覧の通り。西武池袋線の急行が停まる駅、駅前はこんな田舎ではなかったはず。複合施設の台頭により、駅前商店街は衰退してしまった可能性があります。


ラストはひばりヶ丘駅

2024-06-25 00:14:17 | 日記・エッセイ・コラム


 ひばりヶ丘駅も、ちょうど100年前の1924(大正13)年6月11日に武蔵鉄道の「田無町(たなしまち)」駅として開業。西武新宿線の「田無駅」は1927(昭和2)年開業。
 2001(平成13)年に田無市と保谷市が合併し、「西東京市」発足しました。このあたりは旧保谷市域です。

 もう四半世紀の昔、私もこの駅の利用者でした。あの頃は昭和っぽい雰囲気の駅舎だったというのに、今はすっかり近代の洗練された駅舎に生まれ変わっています。

 北口の様子。四半世紀の昔は、駅前に路地、ラーメン屋さんなどいろんな飲食店がごちゃごちゃに建ち並んでいたような記憶がします。今はごちゃごちゃが一掃し、ロータリーを設けられています。ごちゃごちゃになっている街の中に「ひばりヶ丘駅」の看板がかけられている階段があって、そこが駅の出入口。
 あれほどたくさん店舗があったのに、土地区画整理でも行われたのでしょうか。


清瀬は有人通路ではなく出札窓口へ

2024-06-24 00:23:37 | 日記・エッセイ・コラム

 清瀬駅はなぜか自動改札機の横に有人通路を設けておらず、インターフォンを押して通話するシステム。ろう者の場合はどうするんですかね?たまたま、インターフォンの横に駅員さんがいらしていたので、スマホに表示されたフリーきっぷのQRコードを提示。ゲートを通してくれて、出札窓口へ。

 西武鉄道は本数がすごく多いので、あっという間に3駅目をクリア。


 出口は1971(昭和46)年からずっと変わらずだけど、橋上の改札口は令和風にリニューアル。
 副都心の池袋から準急や快速で25分前後で到着してしまうのに、周辺はまだ畑が残り自然豊かなところ。また、医療のまちと言われているとおり、高度医療機関や研究施設などが多く点在しています。
 今度はゴールのひばりヶ丘駅に移動します。


3代目の清瀬駅

2024-06-23 00:08:37 | 日記・エッセイ・コラム


 3代目。その頃は旧字体の「清瀬驛」ではなく、「清瀬駅」。今のような橋上駅舎に生まれ変わったのは1971(昭和46)年なので、写真もその頃だと思われます。モノクロで残念ですが、1969(昭和44)年にデビューしたイエローの電車なのかと思います。デビューして2年後なので、当時にとって最新電車なのかも知れません。
 その頃はまだ喫煙天国なので、ホームに灰皿スタンド設置。国鉄時代ならどこに行っても、大型の灰皿スタンドをよく見かけました。国鉄が日本専売公社と組み、税収増益につながっていたかも知れません。そのため、1976(昭和51)年、初めて新幹線0系に禁煙車を設けたのは16号車の1両のみ。しかも自由席なので、タバコの煙を避けたければ、1番端っこの禁煙車両に行け、という感じでした。禁煙車両が少しずつ増えていき、1997(平成9)年頃は禁煙と喫煙、半分になりました。禁煙の割合を増やしていき、2007(平成19)年にデビューしたN700系は全席禁煙にして6か所に喫煙ルームを設けていました。いつの間にか6か所から3か所に減ってしまい、ついに2024(令和6)年3月ダイヤ改正から災害時のストックスペースとして喫煙ルームは全廃。

 詳しくはこちらのニュースにあります。 駅100周年記念で大ヒット2曲が発車メロディに

 来賓席。左から4番目のお方、中川礼二さんかと思っていましたが、西武鉄道の制服姿なので、そっくりさん?あとでネットで調べてみたら、本物の中川礼二さんとのこと。
黄色い服の方は、清瀬市出身の女優、釈由美子さんでした。
 詳しいニュースは こちら


2代目の清瀨驛

2024-06-19 00:00:01 | 日記・エッセイ・コラム


 初代の清瀨驛は木造駅者。2代目は鉄筋コンクリートに変わりました。でも、漢字は「清瀨驛」のままです。駅前に停めてある車のナンバーは日本のものではない。終戦直後、日本を指導したGHQの影響で昭和20年代のものかと思います。

 写真は「赤電」と呼ばれていた、ツートーンカラーの推測451系(?)かと思います。西武といえば、イエローのはずだけど、昭和時代は赤色にクリーム色をまとっていました。
 初代は1924(大正13)年開業。2代目はALWAYS 三丁目の夕日の映画みたいに1955(昭和30)年代のものかと思います。
 つまり、上と下は同じ時期に撮影したものではない、と判断。


100周年記念、4駅の中で盛り上がったのは清瀬駅

2024-06-18 00:01:51 | 日記・エッセイ・コラム

 今度は中村橋駅から清瀬駅に移動します。中村橋駅は各駅停車しか停まらない駅ですが、今度来る電車は保谷行き。普通だったら、保谷止まりは清瀬に行かないので、見送って次の電車にするつもりだろう。ずっと昔、西武線を使っていたとき、急行、準急、快速の停車パターンはある程度覚えていて、途中の石神井公園(しゃくじいこうえん)で急行に譲るため、しばらく停車。後から来る急行に乗りかえて、ひばりヶ丘に降りれば必ず各駅停車が待機しているはず。計算とおりに早く清瀬駅に到着。
 中央線を使っていたときに、中央特快の停車駅(中野・三鷹・国分寺・立川)でも同じホームで各駅停車が待機していているので、車内のお客さんが入れ替わります。今もずっと疑問ですが、吉祥寺は武蔵野市の中心駅で住みたい街ナンバーワン、京王井の頭線の乗換駅だというのに中央特快は通過。私の憶測ですが、渋谷へのショートカットとなる京王線井の頭線にお客さんを取られてしまわないように、三鷹を出ると次は中野までノンストップ、新宿に停まってそのまま自社線で渋谷に向かわせようとする国鉄時代からの慣例なのかも。

 清瀬駅。駅名のとおり、清らかなせせらぎというイメージがあり、この近くに柳瀬川、空堀川の2つの河川があります。

 ホームに清瀬駅開業100周年のラッピングをまとった電車が停車。

 1924年に開業した、初代の清瀬駅舎。大正時代なので、旧字体が使われています。清瀨驛 今の「頁」ではなく、刀に貝の字が・・・。

 開業当時、東京府北多摩郡清瀨村でした。わが故郷の長門二見驛も、来年開業100周年を迎えます。開業当時の駅舎はこの写真にあるような雰囲気の木造駅舎でした。100年前は清瀨驛、長門二見驛周辺は似たような雰囲気だったかも知れませんが、100年経過した現在、清瀬駅は東京のベッドタウンの都市として栄え、長門二見駅はかなり過疎化が進み、駅周辺の空き家が増え続けている状態・・・。  


中村橋駅の町中華でランチ

2024-06-16 00:27:51 | 日記・エッセイ・コラム


 ちょうどお昼時なので、全国チェーンのお店ではなく町中華のお店へ。ランチメニューは何種類かありましたが、鶏肉と玉ねぎのナッツ炒めをオーダー。ごはん大盛無料!と書いてあったけど、ごはん大盛で、とは言っていないのに、勝手に大盛にされています。もしかしたら、私の体型を見て、この人は聞かなくても大盛に決まっているでしょ?と、思われたかも知れません。ごはんが進み、完食。ごちそうさまでした。


今度は中村橋駅

2024-06-15 00:50:10 | 日記・エッセイ・コラム


 平成初め頃の中村橋駅は今のような高架駅ではなく、地上駅だったようなおぼろげな記憶があります。調べてみたら、高架駅化は1997(平成9)年とのこと。その頃の西武鉄道は地下鉄有楽町線と直通するように西武有楽町線の建設を進んでいったのだろうと思います。
 地下鉄有楽町線とのレールが結ばれると、有楽町線の黄色帯電車(当時7000系)が西武線に乗れるようになりました。西武の車両が新木場まで現れるとか。現在は東京急行電鉄(旧名称)東急の車両も東横線、みなとみらい線との相互直通運転が行われている関係で西武線なのに東急の車両に乗れます。

 中村橋駅でも鋏を入れてもらいました。改札鋏は年季が入っているものなので、かつて使われたものを復活させたものであろう。

 なぞの硬券のケース設置。自動券売機が置かれていない昭和時代の駅に必ずあったもの。窓口でお客さんから行き先を告げられると、硬券ケースからきっぷを取り出し、ダッチングマシン’(日付印字器)にスライドしながら日付を刻印。きっぷの運賃を告げ、お客さんからお札または硬貨を収受。おつりがあれば、そろばんまたは電卓をたたきながら硬貨ケースからお釣り用の小銭を取り出し。その硬券をもって、改札口へ。駅員さんがパチンと切り込みを入れて、それから電車に乗車するプロセス。
 今だったら、きっぷを買わずIC系交通カードで直接自動改札機にタッチするだけで乗車できる。昭和とは大きなギャップ。

 首都圏の改札鋏はキセルや不正乗車防止のため、いろんな形の改札鋏があります。国鉄時代の広島鉄道管理局はたったの5種類しかありませんでした。あ行の駅は■型、い行の駅はホームベース型、う行の駅はM型、え行の駅はトンネル型、お行は凸型。
 山口県の山陰本線で西武鉄道みたいに4駅改札ラリー、長門二見のM、滝部の■、特牛の凸、人丸のホームペーズ型、4種類ゲットするイベントがあったら、4駅すべてゲットするのに本数が少なく1日かかりとなりそう。こちらの西武鉄道は発車本数が多いので4駅なんて簡単にクリアできます。
 駅員さんに「フリーきっぷって4駅以外は自由に乗り降りができますか?」と聞きました。「範囲は池袋から高麗まで、西武新宿線はOKです」とのこと。1000円で高麗まで、しかも西武新宿線も乗り放題なんて安すぎる、と運賃が日本一高いと思われる小湊鉄道沿線住民から見れば、そう思います。


令和の時代に昭和の鉄道遺産復活

2024-06-13 00:17:12 | 日記・エッセイ・コラム

 梅雨とは思えないほどの爽やかな初夏、西武鉄道の改鋏ラリーに参加してきました。椎名町駅、中村橋駅、ひばりヶ丘駅、清瀬駅の4駅が1924年(大正13)年6月11日に開業したことから、100周年を記念するイベントになっています。
 西武鉄道といえば、千葉に移す前に沿線で暮らしていたところ。かなり久しぶりのお出かけになります。
 池袋駅に着いたのはよかったものの、構内や掲示物などを確認しましたが、開業100周年記念4駅の改鋏ラリーに関する情報は1つもない。申込み方法をきっぷ売り場のお兄さんに尋ねると、このQRコードをかざし、改鋏ラリー用としてのフリーきっぷ(1000円)を購入していただきますとのこと。
 クレジットカードまたはPayPay決済のいずれか選べるようになり、PayPayの残高があるので、そっちを決済。QRコードが乗車券代わりになる。
 3つの改札鋏をゲットして、最後はひばりヶ丘駅。4つの鋏があったら、トートバッグのプレゼントがある。
 てっきり紙のきっぷ(鉄道用語で言えば補充券)を乗車券代わりに使うものだと思っていましたが、その効力はないとのこと。

 昭和から平成にかけてのお馴染みだった西武鉄道の2000系。車体や駆動装置はそのままだけど、車内の雰囲気は新型車両に劣らないほどリニューアル工事完了。

 椎名町駅。20代思しき駅員さんに入鋏してもらいました、自動改札機が普及する前はこれだったのかと思っていたかも知れません。きっぷに鋏があるとその駅から確かに乗車しましたという証拠になります。

 開業当時は木造の駅舎でしたが、100年後はご覧の通りです。

 椎名町駅北口から見た風景、池袋のとなりなのに、のどかな雰囲気。


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