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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

★?(祝)★本日(8日)より父島&母島でFOMA同時開通★

2006-06-08 11:14:24 | 小笠原

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 今日(8日)からついに東京から南に1000キロ離れた小笠原でもFOMAのテレビ電話、アイモード、インターネット接続など内地と変わらないサービスを受けられるようになる。
 
+D Mobile の記事
 小笠原にドコモが参入したのは今から7年前の1999年。ただし、音声通話とドコモ同士のショートメールのみといった、機能が制限されていた。
 夜明山付近に設置されている国立天文台の従業員にサービスするつもりだろうか、今月末から夜明山にもエリアになる予定。
 夜明山といえば、首なし二宮尊徳像。ここでもエリアになるのですねぇ。
 去年の夏、肝試しとしてヨングクを連れてきたときのこと。
 「あれ、ここにあるはずの尊徳像がない!もしかしたら、そこらへんを歩き回っているかも?いや、撤去されたかもね」とこじつけをする私。
 ヨングク「本当に撤去されたとしたら、地図には残らないはず。地図にも載っていることはあるはずだよ」
 恐る恐る通り過ぎたところ戻ってみると、やはりありました!
Chichijima5 懐中電灯で必死に照らした場所のもう少し左側。見つからない=歩き回っているか、撤去されたと早とちりしてしまったが、オバケなどを信じないヨングクはしっかりしていますねぇ。
 なぜ首がないのか、現在でも謎に包まれています。
 この周辺に小学校があったのか、首は爆撃中に飛ばされ、アメリカ軍が記念として持ち帰ったとか、真相は解明されていない。

この近くに戦時中の大きな建物が建てられていたが、5年くらい前に撤去。
 小道に入ると見晴らしのよい初寝浦展望台に出られる。
 そこにもやはり、戦時中の防弾壕が現在でも残っている。
 あちこち弾の跡が見られます。
 ドコモの話をするところが、いつのまにかに小笠原観光情報。
 今年もまた小笠原に帰りたいな~。


いきなり小笠原より暑い真夏日

2006-05-02 00:26:38 | 小笠原

 4月とは思えない寒さが続いていたせいか、もう5月になったという実感がない。
数日前までは暖房を使っていたのに、一転し、今日は30度の夏日でした。

 夏の訪れを感じると、無意識に「小笠原海運」のホームページにアクセス。
今年のゴールテンウィークは4月29日(土曜日)出発、父島に着いた日に東京へ折り返し。東京で1泊した翌日にまた父島に向け出発。休む暇もなく、東京に向け、ゴールテンウィーク最終日の5月7日(日曜日)に東京帰着という、9連休の一般企業にお勤めの方にちょうどよいスケジュール。

 ゴールテンウィークが終わると、父島に3泊の通常スケジュールに戻り、今度は夏休み期間中の7月31日(月曜日)から8月20日(日曜日)までの便は父島折り返しになる。
今年の夏休みは小笠原旅行に6日間、9日間、12日間といったように選択も可能になるのだ。

 今年もまた小笠原へ帰りたいな・・・・。

 小笠原ブログによると、4月29日発の「おがさわら丸」に定員ぎりぎりの967名が乗船。\(◎o◎)/


2年ぶりの東京愛ランドフェア

2006-04-14 23:29:00 | 小笠原

  毎年の5月最後の土日に竹芝桟橋で東京愛ランドフェアが開催される。
今年も5月27日(土)・28(日)開催。
 ホームページ
 去年はなぜか開催されなかったけど、最後に行ったのは2年前の5月。
 開催されるたびに内容がバージョンアップ。
 今年はなんと「島巡りカクテルバー」のコーナーも付くらしい。
 今まで飲んだお酒は、青ヶ島の焼酎「あおちゅう」(アルコール35度)、母島で生産される「バッションリキュール」(アルコール12度)「ラム酒」(アルコール40度)。
 バッションリキュールはバッションの甘みが帯びていて、そのまま飲める。40度もあるラム酒はストレートでは飲めないので100%オレンジジュースと混ぜて飲むと格別においしい。炭酸のサイダーやコカコーラも、もちろん合います。

 東京に1番近い大島から順番にブースが並べてあり、小笠原は最も遠いところなので、端っこのブース。
 ブースごとに観光情報、写真、特産品販売が行われているので、都心に居ながら伊豆諸島全島、小笠原へ日帰り旅行の気分をさせてくれます。
 2年前に行ったときは大島のサザエつぼ焼き(1個500円。都心で食べるサザエは高すぎ)、八丈島の島寿司、小笠原のグァバ麺(小笠原でしか生育されていない、グァバという葉をずりつぶしたもの)などなど、ブースごとの美味しいものを堪能。
 もちろん、料理人は島民、食材も島から持ち込まれたものなので、島の味をそのまま再現。しかし、高層ビルを眺めながら食べる味と島のきれいな海を眺めながら食べる味が全く違うのですよ。同じ料理でも島で食べたほうが格別に美味しくなるのは気のせい??


今日から2週間船が来ない小笠原

2006-01-15 03:15:29 | 小笠原

 小笠原海運の時刻表によれば、今日(15日)14時 東京と父島を結ぶ唯一の交通手段「おがさわら丸」が父島を出航、16日(月)15時半、東京に着く。それから、年1回の定期ドックのため「おがさわら丸」を製造した、山口県下関市の三菱造船へ里帰り。

 例年なら「おがさわら丸」がドックで下関に帰っている間は東京~八丈島の「かめりあ丸」もしくは「すとれちあ丸」が代替輸送していたが、なぜか今年からは中止になったみたい。

 「おがさわら丸」は25時間半、「かめりあ丸」や「すとれちあ丸」は38時間もかかるし、お正月を過ぎての観光客が減少しているし、重油の高騰などで採算が合わなくなったのだろうか。

 2週間も船が来ないとは、同じ東京都内としては考えられない現象・・・・。

 ・おがさわら丸ドック(2000年)

 東京~父島間を何回も往復、ときには硫黄島にも足を延ばす「おがさわら丸」がわが故郷の関門橋の下を潜るなんて、すごい!!1度でもいいから「おがさわら丸」で下関に帰ってみたがった。(笑)


8月1日 行ってきます!内地へ・・・!

2005-09-01 00:01:55 | 小笠原

chichijima7 本当は乗りたくなかった東京行きの「おが丸」。自分の席に荷物を置き、船外のデッキに出てみると、ほとんどの乗客は桟橋に向かって手を振っていました。

小笠原太鼓の演奏が終わると、ゆっくり桟橋から離れていく。しばらくすると、見送りの船がたくさん追いかけて来る。おが丸が父島に着くと「おかえりなさーい」、逆に出発するときは「いっていらっしゃい」という言葉を使う。こうやって見送られると何回も小笠原に帰っちゃうリピーターがたくさんいるとか。(写真は小笠原ユースホステルのひとしさん)そういえば、私も5回目。

chichijima8 見送りの船「行っていらっしゃい」、おが丸乗客「行ってきまーす」とお互いに手を振りながらの見送り。遠くの沖で船に乗っている人達が一斉に海にダイブし、「いっていらっしゃい」。

chichijima9 1番遠くまで追いかけたのは父島タクシー(奥の画像)とPAPAYA(手前)さん。2隻の船がここで併走を停止すると、おが丸は時速40km/hで進んでいるので、あっという間に船が遠さがり、小さくなってしまった。

ああ、これで小笠原旅行は終わったんだな・・・・とやっと実感するようになる。

8月2日の正午あたり、やっと東京湾に入る。海の色が茶色になっていて、小笠原で見た海の色とは全然違う!!新橋でヨングク君と遅い昼食を取り、「楽しかったな、また小笠原に帰ろう」と約束しながら帰途に着いた。


8月1日 最後のツアー南島とドルフィンスイム

2005-08-31 00:33:34 | 小笠原

今日は小笠原最終日の8月1日。ツアーガイドのどのショップでも「おが丸」入港日午後からの半日ツアー、出港日午前の半日ツアーのプランが組み込まれているので、最後の最後まで楽しもうとドルフィン&南島上陸ツアーに申し込んだ。

ツアーガイドは前回利用したことのある「父島タクシー」さん。タクシーだけではなく、レンタカー、バイク、海のガイドなども兼ねているショップ。

腕時計を見ると、朝5時。トイレに行こうとしたら、キッチンにオーナーのひとしさんとヘルパーさんが朝食の支度をしていた。すでに明るくて太陽が昼間のように輝いていた。5時にしてはおかしいなと思っていたが、小笠原は東京より少し東側に位置しているので、朝早いのは当たり前かと気にしていなかった。物音がしたので、目覚めると6時15分。皆が顔を洗ったり、出かける支度をしたりしていた。

「6時だというのに、みんな騒がしいね」とヨングク君に話しかけると、「7時を過ぎているだから当たり前じゃないの?」「うちの時計は電波時計だから、時間が狂うはずはないぞ」とヨングク君の腕時計を見ると、7時20分、私のは6時20分。あとで原因がわかりました。グアムの電波を拾い、寝ている間時刻修正されたみたい。w(@。@;)w 何度も修正を試みたが、結局マイナス1時間のままだ。(ToT)

8時半、ドルフィンスイムに出発!!

minamijima1イルカが見えなくなったら、船に上がり、次のスポットに行くわけだが、「あっ、いたぞ!早く海に入って!」という合図とともに海へ、イルカに逃げられると「ウォッチング終わり!」と一斉に船に上がり、また見つけると同じようなことの繰り返し。海に入って、少しだけのウォッチング、すぐ船に上がるの繰り返し、まるで反復運動のようで疲れたわい。( ´o`)п

イルカは野生なので、動物園のイルカみたいに人間と戯れるのはちょっと難しいみたいです。

minamijima2 今度は新東京百景に選ばれた、「南島」に上陸!自然侵食によりできた、トンネルのような岩、扇のような形に開いた天然プールと白い砂浜。1日ツアーなら、その天然プールで思う存分泳げる。しかし、今日は半日ツアー、ドルフィンスイムに時間を費やしたため、上陸時間はわずか20分だけだった。残念・・・・>0< 

ちなみに檜原村の新東京百景は 払沢(ほっさわ)の滝。夏の間に行っても、滝つぼから出てくる風で涼しい。


月10万円で豊に暮らせる町&村(東京・父島編)

2005-08-29 23:28:10 | 小笠原

minamijima 8月29日19:00~放送の番組(チャンネル12のテレビ東京)をもうご覧になったのかな?

月10万円で豊に暮らせる町&村(父島編)が出ました!1階のリビングにあるDVDは再生専用機なので、録画できず・・・。 ( ̄曲 ̄)

エコツアーサービス・「マルベリー」の吉井信秋さんのご家族が出ていました。小笠原村に住所を置いてから3年以上の家族のみ都営住宅への入居が認められ、家賃はなんと19,800円!食費、生活費なども含めると97,000円で暮らせると紹介されていました。自然ガイドの資格を持っておられるので、お休みの日は世界一美しい南島を家族一家で独り占めという場面も・・・。本当に羨ましいです。

上の写真は南島で見かけた、現在では絶滅種になった「ヒロベソカタマイマイ」。見た目では新しい貝殻に見えるが、実際は1000年前の化石だそうです。(今日テレビで言っていました)。

昔はたくさん転がっていたが、あまりにも可愛らしさで上陸記念として持ち帰られる方が多く、激減してしまったみたいです。「貴重なヒロベソカタマイマイを南島へ帰してあげよう」とカムバック キャンペーン実施中。


7月31日 父島へ夜の50CCツーリング

2005-08-29 02:09:47 | 小笠原

oki 今日は母島最終日。母島での主な見所を全て見回ったので、14:30発の「ははじま丸」に乗るまではのーんびりすることにした。

今日の朝ごはんは・・・4年前は「母島定食朝食バージョン」として夕食に続き、豪勢なおかずばかり食卓に並んでいた。しかし、今回は素泊まりなので、「おが丸」の船内食としてカップうどんが1個残っていたので、それを半分ヨングク君に分け、朝食。まるで「一杯のかけそば」みたいに・・・。

母島唯一のタイビングショップ、クラブノア に喫茶店も併設されているので、そこで南国風サンドウィッチのランチ。沖港を見渡せる2階の客席でしばしの休憩。「今日は何曜日だったけ?」「日曜日」「日曜日なのに、その静けさは東京では考えられない」「今頃の江ノ島海岸は?」「あの場所はものすごーく人だかり、気持ちよい場所ではないな」

14時30分。ユースホステルのヘルパーさんに見送られての出発。「おが丸」は大型客船なので、ゆっくり桟橋から離れていくのだが、「はは丸」は小型の船なので、車みたいにあっという間に桟橋から遠さかってしまう。女性ヘルパーが桟橋からダイブし、手を振っていた。ヨングク「へえ、小笠原文化では、見送るときはダイブするのがエチケット?」「うん、父島だと「いっていらっしゃい」セレモニーとして多くの船がおが丸を追いかけ、船に乗っている人がダイブして見送るんだよ」

16時45分 今夜の宿、小笠原ユースホステル到着。道路もコンクリートではなく、内地と同じ舗装に2車線。秘境な的な母島から父島に戻ると都会な風景のように見える。観光は明日に回したいところだが、明日の14時には帰りの「おが丸」船上人になってしまう。今のうちに父島制覇だとバイクで観光に出発!夕食は18時30分からなので、2時間のうちに境浦と扇村、三日月山展望台の3ケ所を回った。

chichijima1 境浦にたたずむ「濱江丸(ひんこうまる)」。

案内板によれば、「太平洋戦争中(1944年6月12日)にサイパンの北方沖で米軍の魚雷による爆撃を受け、応急処置しながら漂流するうちに、父島・境浦沖に座礁」。座礁して60年以上経過しており、初めての小笠原(1997年)で見たよりも一部崩れたりして少しずつ風化していた。干潮時にエンジンの部分が丸出しになる。

沈没船までは泳いでいける距離なので、シュノーケリングセットさえあれば、十分船の内部の様子を見ることが出来る。しかし、今回は時間がないので泳ぎに行かなかった。

chichijima2 小笠原一のVIPホテル、「ホライズン」。1994年天皇陛下がお泊りになられた部屋は3階のスイートルーム。

ホームページでスイートルームの1泊料金を調べたところ、ハイシーズン47,250円!韓国最高紙幣の世宗大王(ハングルを制定した)マノン札を48枚とは・・(*'(Д)')ヒィィィ!でも、1度は泊まってみたい。

chichijima3 三日月山の夕陽を見たあとの帰り、父島の中心地。

chihijima4 小笠原ユースホステルの「出航パーティ」。「おが丸」が出航する日の前夜は必ず外でパーティをやるのがならわし。普段は父島で取れる魚介類、野菜などの「小笠原定食」、パーティの日は豪勢に島寿司などが並ぶ。3日間ともにしたホステラーたちと楽しく語らうのだが、私たちは途中参加、しかも1泊だけなので、ゆっくり付き合えず残念。

ユースホステルの夜はフリースペースで雑談したり、お酒を飲んだり、楽しく過ごせるのだが、私たちは明日で帰ってしまうので、父島を一周ツーリングしたくて、夜こっそり出発。

ユースホステルを起点に時計回りで景勝地の場所をヨングク君に案内。まず、宮ノ浜海岸。宮ノ浜海岸はシュノーケリングに適した場所で、色々な魚たちに出会える。休憩所もついているし、海のガイド屋さんに頼まない日はここでのんびりできる。しかし、真っ暗闇でどのような風景なのかわからなかった。(当たり前か) 兄島海中公園を展望できる、長崎展望台に行こうと思ったが、真っ暗だし、ガイドの意味がないと思い、パス。

「さあ、ここからは夜明道路に入ります。夜明山では、戦跡がたくさんあり、ガイドなしでは入れない場所です。もしかしたら、オバケが出るかも知れません。いいですかー?」

ヨングク君は本物のオバケに出会っても「こんにちは」と挨拶ができるほど肝が座っているからオバケなんてどうでもいいと思っていたらしい。

街路灯もなく、暗闇に吸い込まれそうながらバイクを走らせる。すると、オレンジ色に美しく光った大きな施設がパッと現れてきた。宇宙観測施設のようだ。

しばらく走ったところで4年前の記憶では、旧日本軍の通信指令所の廃墟建物が建った場所なので、たしか、ここのあたり。建物跡の向かいに首なし尊徳像があるのは記憶している。そこでバイクを停め、懐中電灯で照らすと、あるはずの場所に首なし尊徳像がない!!「たしか、ここのはずだった!ひえーっ!なくなっている!」ヨングク「4年前だからウロ覚えじゃないの?」「本当にここだってば」(もしかしたら、首なし尊徳像が勝手に歩き回っているのでは)と恐怖心がして、そそくさとその場を去り、次のスポットへ。

「はい、ここは小笠原の中で2番目に高い中央山・・・・」ヨングク「おいおい、さっきの場所に戻ろう」「首なし尊徳像か?あれは撤去されたかも?あるいは勝手に歩き回り、朝になれば元の通りになるかも?」「そうじゃなくて、本当に撤去されたとすれば、案内板に「首なし尊徳像」の文字が消えるはず。表示されているっていうのは、あるはずだよ。オレンジ色に光っている宇宙観測所も見たいし」「そうか、じゃ、行こう」

chichijima5 あっ!!ありました!!首なし尊徳像。懐中電灯で必死に照らした場所のわずか左側に位置していました。なんだー。びっくりさせやがって。

校門の跡もあるし、何で辺鄙な場所に小学校があったのか、謎が解き明かされていない小笠原のミステリースポット。「首のところは米軍が記念としてアメリカに持ち帰ったとされるが、真相は不明」だそうです。


小笠原関連TV放送

2005-08-27 23:26:19 | 小笠原

828日(日)23:00~23:30  
10CH テレビ朝日

「素敵な宇宙船地球号」
東洋のガラパゴスを守れ!-小笠原を襲う外来種

母島アンナビーチユースホステル田沢さんがコーディネイト

829日(月)19:00~19:54
12CH  テレビ東京

「月10万円で豊に暮らせる町&村」
父島フィールドガイドの吉井さん一家をご紹介。

吉井さんといえば、戦跡ツアーでお世話になったマルベリーさん。


7月30日 乳房山(登山)と南崎(遊泳)

2005-08-27 18:00:54 | 小笠原

母島2日目。明日にはもう父島に戻ってしまうため、今日は登山&遊泳というハードスケジュール。今回のユースホステルは素泊まりになっているため、朝食は沖港近くの前田商店で調達。パン、牛乳、野菜などの食品、生活用品など何でも揃えているお店。

登山の前に郷土資料館の「ロース記念館」へ(入館料無料)。昔の北港と沖港の様子、昭和2年(1927年)に昭和天皇行幸、平成6年(1994年)天皇陛下行幸の写真、母島で使われた民具、漁具などを展示。受付のおばちゃんが一生懸命に一品ずつ身振りを交えながらの解説をしていた。 「あなたは何回来たの?」「3回目です」「前回来たときは解説員に何か解説してもらった?」「4年前に来たときは解説員不在でした」「ごめんなさいね、また来てね。これからどうするの?」「乳房山に登ろうかと」「乳房山の入り口はあっちに行ってそこを曲がって・・・たくさんの飲み物を用意して」

母島観光協会に申告してから登ることになっているので、母島観光協会へ。観光協会のおばちゃんも私を見るなり「あら、4年前来たことあるんだよね」

4年前の登山で500ミリのペットボトルだけで登山してしまったため、水分が足りなくなり苦い経験をしたことがあるので、冷たいお茶をヨングク君の分も用意して、登山スタート!乳房山は標高463m、硫黄島も含む小笠原諸島のなかで最高峰の山だ。歩く距離は山頂までおよそ2.8キロ、帰りはおよそ2.3キロ。500mあたりでヘトヘトになってしまった。4年前はジソン君(「オールイン」の「チョンウォン」役の人柄に少し似ている部分がある)と一緒に登ったときは、すごく疲れを感じなかったのに。今回はヨングク君に励まされながらの登山なので、途中棄権もなく山頂を目指すことができました。もし1人だったら、棄権になっていたかも?(笑)

chibusa2

登山途中で見かけた、幻想的な風景。最初は私が先に登っていたが、途中からはヨングクの背中を見ながらの登山。いつの間にかに消えてしまった。倒れたんじゃない?道からはぐれて迷子になったのではと心配になって時々様子を見に来てくれたが・・・。

マップを見ると、山頂に達成する前の休憩所手前にたどり着いたみたい。「山頂に達する前の最後の休憩所、ここでメシにしないか?」とヨングクに話しかけるが、「こらこら、目標を達成する前に昼飯なんて・・・目標を達成したあとの昼飯はおいしいよ」「でも、山頂では屋根がついていなくて、カンカン照りの下で昼飯は暑いかも」「山を降りて最初の休憩所でメシにしたらどう。それにしても山頂まであとわずかだし」

chibusa3 パインナップルの木。母島ユースホステルの庭にもバナナの木が生えていたし。小笠原って、フルーツ・トロピカルの島だ。

chibusa4 やっと山頂に達成!登り始めてからおよそ2時間。山頂といっても、20畳程度の小さなスペース。海に突き出す展望台が新しく取り付けられていた。(写真はプロフィールに載っています)

chibusa5 山頂から見下ろす、海岸線。海の色がグラデーションになっていて、とても美しく、感動!!

山を降りてから最初の休憩所でおにぎり3個の昼飯。「そういえば、あれほど水を飲んだのにトイレに行きたいとは思わないね?」「飲んだ水が汗になって出てくるからトイレに行きたいとは思わないかも?」Tシャツを絞っただけでまるで水に浸かったかように汗水がたくさん出てきた。

chibusa6 下山途中で見かけた、沖港周辺の集落。人が暮らしている場所はここだけ。昔は母島の南部に「沖村」北部に「北村」の2村があり、旧北村地区にあたる場所は家1軒も見かけなかった。

14時過ぎ、やっと下山!行くときは緩やかな坂道、帰りは急な下り坂なので足にブレーキをかけすぎたのか、足腰にちょっと痛みが・・・。母島観光協会に下山の報告すると「乳房山登山証明書」をいただきました。山頂にある「乳房山」標識の下にクレヨンでこすると文字や絵が出てくる台があり、ここまで登ったという証明を出さないともらえないものだ。母島観光協会のオリジナルでデザインも抜群、ラミネートで施されているので百年も千年も永年保存できるものだ。(笑)

minamisaki1 日が暮れるまであと3、4時間ぐらいなので、今のうちに南崎に行かなくちゃと南崎へ急行!

「ここは都道最南端」という標識が立っていた。新宿から青梅を経て奥多摩に向かう新青梅街道も同じ都道。新宿から多摩に向かう主要道路なので、4車線、24時間ひっきりなく車やトラックが通っているのに、大きなギャップだね。ここよりももっとすごいのは青ヶ島の都道。遊園地のジェットコースターみたいに狭い道をアップ、ダウンの繰り返し。青ヶ島の話はあとで書こう。

北緯26度37分。 「北緯38度に行ったの覚えている?」「あ、そういえば北朝鮮と韓国の板門店(パンムンジョン)」ヨングクと一緒に南北停戦会談場の中で左目は韓国、右目は北朝鮮という「国境線ごっこ」もやったし。国境付近では、人が立ち入るのを禁じられてから50年以上経過しているので、自然の宝庫になっている。京義線の終着駅、都羅山(トラサン)駅は国境線に近いせいもあって軍事施設とか物々しい風景だが、京元線の終着駅、新炭里(シンタンリ)駅周辺は日本の過疎の山里によく似ている。韓国の友人からは「何であの場所に何回も行きたがるの!?つまらない場所だから2度と行くな」と止められているのだが・・・(笑)

都道最南端から母島最南端までは2.5キロの遊歩道になっていて、徒歩40分。「乳房山登山はきつかったけど、ここからは平らな道なので、楽だよ」とヨングクに話したのに、多少山道に似ているところがあった。「平らな道だと言ってたくせにウソつき!」テクテク歩き、やっと目の前に美しい景色が広がった。

minamisaki 4年前と全然変わっていない風景。

minamisaki3 海の色もご覧のとおり、透明。

minamisaki2 海の底にサンゴ。

父島も含む小笠原諸島なら、どこに行っても美しい海だが、個人的にきれいだなと思ったのは南崎の海。2.5キロも歩かないとたどり着けないし、人があまり来ないプライベートビーチのような。

yuhi2 今日の夕陽鑑賞。ヨングク君に「ブログに顔が写っている写真載せたいけどいい?」とメールしたが、「君の顔が写っている写真を載せるのなら、私の顔を載ってもよい」という返事があったので、顔がわからないような横写真にしました。 この写真でイメージしてください。(笑)

今日は「大漁寿司」という店で夕食。店の名前からみて、寿司だけかと思ったら、色々な家庭料理のメニューも揃えていた。島寿司、卵焼き、まぐろ丼など注文し、腹ごしらえ。

観光協会に「昨日ヘリポートに行ってみたけど、前回行った場所とは全然別の場所になっていた」と確認したところ、「旧ヘリポートの場所はここ」と教えてくれた。旧ヘリポートの入り口に標識があったが、「ヘリポート」の文字がかすんでいて見落としてしまったみたい。昨日は路上で★鑑賞、今日は360度見渡せるヘリポートで★鑑賞。母島で★を見るとしたら、ここがお勧めです。明るい集落から離れているため、無数の7等星まで見られる。 


7月29日 4年ぶりの帰島、そして母島へ

2005-08-24 23:58:47 | 小笠原

7月29日の朝、昨日からずーっと寝ていたせいか、いつもよりは爽やかな朝だった。父島まであと80キロ。それでもまだ船に乗っているのは「飛行機で地球の裏側に行くよりも遠い東京」だ。

10時半ごろ、父島の島影が見えるようになり、11時ごろ二見湾内を徐行。出口のところに乗船客が並んでいて、「やっと着いたぞー!」と皆ワクワクしているかような表情。11時10分、タラップが桟橋に架けられ、下船。べた凪が続いていたため、予定より20分早めに到着したみたい。

強い冷房の効いた船から降りると、むっとした亜熱帯特有の熱気が・・・。大粒の汗がだらだら・・・と出ていたが、4年ぶり見る小笠原の景観は本当に懐かしい。桟橋では「おかえりなさーい」と宿の人達の出迎えでにぎわっていた。

私たちは母島に直行なので、昼食のパンを買ったあとは、ははじま丸の待合室へ。12時30分出発、14時30分母島に到着。考えてみれば、昨日の朝10時に出発、翌日の14時30分に着くのは国内で最も長い旅ではないかと思う。

沖縄県の北大東島、南大東島は沖縄本島から東へ400キロに位置しているが、那覇~北大東島の便に間に合うように羽田から飛び出せば、その日のうちに着ける。

anna1 宿泊先は母島アンナビーチユースホステル。父島なら小笠原ユースホステル。病み付きになりそうな宿なので、今回も母島アンナビーチユースホステル。しかし、今日はオーナーの田沢家ファミリーが内地に行っているため、2人の若いヘルパーさんしかいない。さっき、リンクを張ろうと母島アンナビーチユースホステルのホームページを見たら、掲示板にオーナーのコメントが書かれていました。内地での報告でした。その下のコメントは「おがさわら丸の東京~父島の往復燃費は400万円。TSLを導入すれば、1500万円!」TSLで父島2往復すれば、家を1軒買える値段。ひぇー!

オーナーの奥さんは料理がとってもうまくて今回も楽しみにしていたのに残念。

anna2 忘れられない、アンナビーチユースホステル特製の「母島定食」。母島で取れる野菜などをふんだんに使われていて、さっぱりとした味。ずっと居候していたらダイエットできそうなメニュー。しかし、今回は「素泊まり」なので、外食だ。(写真は2001年8月)

kitakou1 母島に居られる時間はわずか2日。今日は北部探検、明日は乳房山登山、一般人の行ける東京都最南端の南崎へと予定を立てておいたので、到着してすぐ観光に出発!バイクでひたすら北上し、北港に近づくと右側に「北港小学校跡」がある。校庭は廃村してから60年も経過しているので、一部ジャングル化に・・・。

kitakou2 夕日で逆光し、輪郭などがハッキリしていないため、2001年の写真を借用しました。北港の景色は4年前と全然変わっていないので、昔の写真を見せながら「ついさっきのもの」なんてごまかせるんですねぇ。桟橋は戦前からあったもので東京からの定期便を寄港していたことも。下の「小笠原歴史」に書かれてあるとおり、戦前は人でにぎわっていたのに、今はご覧のとおり。

台風が去ったあとなので、海底は白くにごっていて透明ではなかった。残念。北港でのんびりしているうちに陽が傾いてきた。

yuhi1 夕陽ヶ丘から見える、南国らしい夕日の景色。小笠原諸島は東京より少し東側にあるため、暮れの時間は東京より若干早い。初の日の出も国内で最も早いのは北海道の根室ではなく、母島。いつかは母島で初の日の出を拝みたいな。

今日の夕食は・・・・島っ子娘でお好み焼き。

夜はヘリポートで星空を眺めようと4年前行った記憶を頼りにバイクを走らせたが、「ヘリポート」の標識が見つからず。南崎に近いところに「ヘリポート」の新しい標識があり、左折すると全く違う場所だった。仕方がないので、新夕陽ヶ丘へ。都道241号の路上なので、寝そべったりするのは危険だが、滅多に車の来ない時間帯なので、横になってみる。コンクリートなので、太陽熱の温もりが・・・。無数の星が輝いて言葉では言い表せないほどとても美しい。うっとり見とれてしまいほどの夜空。流れ星も何個か見たし・・・。デジカメで美しい夜空を撮影しても、真っ黒でした。お見せできないのは残念。


7月28日 小笠原へ出航!

2005-08-23 15:31:33 | 小笠原

ogamaru1 おがさわら丸(通称おがまる)に乗るのは4年ぶり。

最上段のAデッキから最下段のEデッキまである構造になっていて、AデッキやBデッキはホテルみたいに設備の整ったスイートルームや特1等席、1等席、ベッド部屋の特2等席。Cデッキ、Dデッキ、Eデッキは800人も乗れる、じゅうたん敷きの雑魚寝タイプ。いわゆる普通の2等席。2等席だけチケットを購入しても座席の指定がなく、先に並んだ者から順番にC、D、Eデッキになる。Dデッキは窓のない部屋なので、昼夜の感覚がマヒになってしまうし、圧迫感がする。窓のあるCデッキのほうが開放感がして爽やかなので、当日の朝は8時に着けるように早めに出発。

ヨングクが先に着いたという連絡があったので、並んでおいてねと返事したが、「人がまばらでどこも並んでいる人がいない」とのこと。窓のついている部屋(Cデッキ)の隅にしたがったのだが、中央の通路側だった。

10時 ボーっと汽笛とともに竹芝桟橋から少しずつ離れた。しばらくすると羽田空港、三浦半島、房総半島が見えるようになる。大きな揺れもなく、車に乗っているかような感覚だし、横になるとすぐ爆睡モードに入ってしまったみたい。目覚めたのは八丈島をすぎたあたりの18時頃。ヨングクに「まだ昼間なのに、あんたはよく寝るなあ」と言われてしまった。

夕食は船内のレストラン。「本日のお勧め」は手作りになっていておいしいが、中華丼、八宝菜などは冷凍レトルト食品じゃん??

食後、シャワーを浴びてまた寝る。24時間も寝るのはゆったりとした小笠原タイムに切り替えるのにちょうどよいかも。(笑)

<<おがまるの設備案内>>

シャワー24時間、公衆電話3台(衛星回線を通すので、50度のテレホンカードで通話できるのは約5分。インターネットに接続できるモジューラジャックがついているが、1分100円もするので、ネット接続に使う人は見かけなかった)、レストラン、軽食スナックコーナー、ビデオ鑑賞ブース(映画1作品1000円)、カラオケルーム、チャイルドルーム、ゲームコーナー、ジュース自動販売機数台 缶160円、ペットボトル200円、日清のカップヌードルシリーズ200円)ラーメン用の給湯器、貴重品ロッカー(無料)、案内フロント、売店。

給湯器があるので、コーヒーのヘビードリンカーの方はインスタントコーヒーとカップを持ち込めばタダで飲み放題!冷房が強すぎるので、長袖1枚用意したほうがよいです。


小笠原の歴史

2005-08-23 02:38:26 | 小笠原

hahajima01

hahajima02

旅先の歴史を調べてから行くことにしている。
小笠原の歴史を少しだけ紹介。

1593年 松本城の領主、小笠原貞頼氏が小笠原諸島を発見
 どうやって上陸できたのか、いろいろ文献を調べたが見当たらず。

1876年(明治9年) 欧米系やハワイ人からの移住者が多く、外国領になるのを恐れ、明治政府は「日本の領土である」と諸外国に通達。

1940年(昭和15年) 町村制が敷かれ、父島に東京府小笠原島父島大村・扇村袋沢村、母島に沖村・北村、硫黄島に硫黄島村の5村を設置。
左の写真は、母島の北部にある北港あたりの戦前の様子。北村役場、郵便局、駐在所、宿屋、小学校などがあった。
右の写真は現在の様子。かつて村の中心地でにぎわっていたという面影すら見つからない。残っているものといえば、小学校の階段や校庭のみになってしまった。

1944年(昭和19年) 太平洋戦争による国令で島民を内地へ強制引揚げ。
1945年(昭和20年) 終戦、小笠原諸島はアメリカの軍政に入る。
1968年(昭和43年) 6月26日の正午、小笠原諸島を日本に返還、東京都小笠原村設置。
 アメリカ国旗を降納し、同時に日の丸を掲揚した記念すべき日。

<返還後の小笠原への交通手段>
初代(1968-1973) 椿丸 東京~父島 なんと44時間 (遅れは日常茶飯事平均54時間。東京を出てまる2日かかる)
2代目(1973-1979) 父島丸 38時間
3代目(1979-1997) おがさわら丸 28時間 →その船はフィリピンに売却
4代目(1997-  )おがさわら丸 25時間30分(山口県下関市の三菱造船生まれ)
今のおがさわら丸は下関生まれなので、観光客が年間の中で最も少なくなる1月、関門橋の下を潜り、定期点検。
「おがさわら丸」が下関に帰省している間の代替船は東京~八丈島路線の「かめりあ丸」になるが、28時間かかるそうだ。
5代目は東京~父島を17時間で結ぶ大型高速船のTSLを今秋に就航する予定だったが、莫大な赤字が懸念されるため、せっかく作ったTSLを廃船にしたそうだ。投資した金額は500億円。

父島から南へ約200キロ離れた硫黄島に自衛隊の空港があるので、羽田~硫黄島の航空便を新設し、硫黄島から母島・父島行きの高速船を就航させていれば、半日で行ける計算になる。TSLに投資した巨額を硫黄島に港を作ればよかったのでは。旧島民の墓参りなどでおがさわら丸が硫黄島に行くことはあるが、寄港できる場所がないため、沖で停泊し、小型のボードで上陸しているらしい。

それにしても、昔は父島まで44時間以上もかかるなんて・・・。


小笠原へ一緒に行った友人

2005-08-22 00:17:57 | 小笠原

今回の小笠原旅行で一緒に行った友人は・・・・ヨングク君。
冬のソナタに出ていた、主役のヨン様の同級生を演じた「ヨングク」の顔や性格に全く似ているので、メールで送るときは「ヨングク」と打っている。
本人が目の前にいるときは、いつものとおりのサインネームだ。(笑)

ヨングク 
 本名は リュ スンス (???)

4年前の小笠原旅行で一緒に行った友人は・・・・チャンナラ(???)さん。
彼女も私と同じく海の近くで育ったせいか、島めぐりが趣味。
残念ながら日程が合わず、私が東京に到着した便の次の便で小笠原へ。
2航海なので、10日間近く小笠原に滞在していたそうだ。
1航海とは、東京発のおがさわら丸が翌日、父島に入港、3日間停泊したのち、同じ船で東京に戻るスケジュール。
2航海とは、父島で1回おがさわら丸を見送り、次の便で東京に戻るスケジュールなので滞在日数は10日。
小笠原をじっくり堪能したければ2航海の旅をお勧めしますよ。2航海の旅のつもりが3航海、そして移住っていう人も
いるのかな・・・?(笑)

話を脱線してしまいますが、私の母も韓国俳優の「パク・ウォンスク」に似ている。
彼女の出ている作品は、日本の女性(日本名=笛木優子 韓国名=ユミン)がろう者役を演じる「わが家」、今オンエア中の「オールイン」、「ロマンス」。どの作品でも共通しているのは気の強い母親役。
テレビでは、音声韓国語を日本語字幕で表現しているのだが、(うちの母も)日本手話を日本語にすると、話し方のニュアンスも似ているし、容姿も・・・。(笑)


小笠原日記の始まり~!

2005-08-21 01:31:03 | 小笠原

minamisaki

毎年夏が来るたびに「海」と「山」のことを思い出す。

私は山口県生まれ、東京の都会生活に憧れ、東京で暮らすようになったが、生まれてから18年間も海と山に囲まれた何もない田舎で過ごしていたせいか、田舎を求めているうちに小笠原村、青ヶ島村、檜原村、奥多摩町など東京都内の秘境に何度も訪ねるリピーターになってしまった。

現在、千葉県に暮らしているのだが、山口から東京に転居ししたときは、23区と奥多摩の真ん中あたりで暮らしていた。
奥多摩に行きたければ新青梅街道、檜原に行きたければ五日市街道でまっすぐ行けるような地域なので、休みの日になると、奥多摩や檜原をドライブし、都会の喧騒さを忘れさせてくれた。
しかし、今は千葉県なので、あの場所に行くのは年に1回か2回程度になってしまった。

伊豆諸島は御蔵島を除いて全部訪問してしまった。
東京から比較的に近い島だと、東京→大島→利島→新島→式根島→神津島の「さるびあ丸」(東海汽船)
東京から遠い島だと東京→三宅島→御蔵島→八丈島に「すとれちあ丸」(東海汽船)→青ヶ島への乗り換えは「還住丸」(伊豆諸島開発)
東京から最も遠い小笠原だと各島に寄港せず父島に直行する「おがさわら丸」(小笠原海運)→母島への乗り換えは「ははじま丸」(伊豆諸島開発)。

限られた休みの間、電車みたいに手軽に各島を移動することができないので、今回は1ケ所という目的地を選択するのだが、なぜか最南端の「小笠原」にしてしまう。
青ヶ島も伊豆諸島のなかで最南端だし、最後に行ったのは2002年の夏。
小笠原も2001年の夏に行ったきりなので、4年ぶりの小笠原。
本土なら檜原、海洋なら小笠原にする、最も遠いところを選択する性格なのかなあ??


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