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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

母島・新夕日ヶ丘

2009-08-06 00:01:00 | 小笠原

200908060002  7月28日 18時15分。
 小笠原諸島は東京より東側に位置するので、日没は東京より2~30分は早いです。
 バイクに乗らなければ、集落から歩いて行ける「夕日ヶ丘」もサンセットのスポット。
 今回はバイクを借りてきたので、小高い場所から眺める新夕日ヶ丘に行ってみました。

200908060003  
 空模様がドラマのように次々と変わるので、そこにずっといても飽きません。
 


200908060004  

 私の撮った夕日だけど、ちょっとイマイチ。
 

 おのっち君の作品は・・・

200908060005  
 太陽が西に傾き、影も長くなっているところをパチリ。
 

200908060006  
 芸術的な夕日の作品だ・・・。
 


ヨングク君も面白い作品。

200908060007  
 ここが夕日の絶景ポイントだよ!と教えてくれる目印のようなものだけど、都道に準拠したものではなく、母島オリジナルのものがよかったかも・・・。



200908060009
  不思議な写真。
 ヨングク君はそのような構図を好んでいるみたいです。




200908060008  
 きれいな夕日撮れましたねぇ・・・!

200908060010  
 7月22日の皆既日食もまだ昼前なのに、このような夕焼けが見られたらしい。

 


4年ぶりの母島!(沖港~アンナビーチ母島ユースホステル)

2009-08-05 00:00:00 | 小笠原

200908050003  竹芝桟橋を10時に出発、母島に着いたのは翌日の15時半。
 ここまでたどり着くのに、本当に遠かった・・・・。
 それでも同じ「東京都内」とは信じられませぬ。
 母島は南北細長く、人が暮らしているのはこのあたりの元地と静沢周辺のみ。
 昔は母島といっても、南北2つの村があった。
 北部は「北村」、真ん中あたりより南は「沖村」。
 昔の北港は北村小学校、郵便局、村役場、駐在所、鰹節工場などなど建ち並び、賑わっていた。今は桟橋だけが昔の名残だそうです。

 ユースホステルのお母さんが出迎え。
 4年前に来たときはご一家が内地に行ってしまい、すれ違いでした。
 8年ぶりの再会。とても短い間ですが、お世話になります

200908050005  ここに来るのは本当に4年ぶりだなあ・・・と懐かしさがよみがえってきました。
 観光協会の横に大きなヤシの実が成っています。



200908050001  これは・・・・沖縄でもよく見かける「アリアケカズラ」というお花ですね。
 ハイビスカスに似て非なるもの、キョウチクトウ科だそうです。
 (これはネットで調べたもの)


200908050004  
 ヨングク君の作品。

200908050002  2000年オープンからお世話になっています。
 母島が好きになってしまったのは、このユースホステルのおかげかも?
 内装はオープンのときと変わらずのピカピカなのに、潮風の影響なのか輝いていた黄色が・・・。
 日本最南端のユースホステルは沖縄県の八重山諸島・竹富島にあります。
 ここは国内で最も遠い、ユースホステル。
 ここに来るまではオーナーは北海道出身、お母さんは青森県出身かと思っていましたが、反対でした。
 オーナーの田沢さんは長年ユースのお得意様。旅行や仕事で出張するときも必ずユース。
 私はユースを利用するとしたら、父島と母島だけなのは、宿泊者は同じような目的を持って来られているわけなので、交流しやすさもあるからでしょうか。

 田沢さんは沖縄で農業をしながらユースをやってみたいと夢見るようになり、経験を積み重ねるために放浪の旅に出かけた。
 すぐに沖縄に向かったわけではない。北海道の酪農、次に渡ったのは大島、八丈島、青ヶ島、小笠原。母島に着いた翌日、乳房山の山頂から眺めに感動し、「沖縄はやめた!ここにしよう」と決めたのは1981(昭和56)年のこと。
 20年の間に国内だけではなく、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、ブラジル、イギリス・・・飛び込みで雇ってもらいながら生活するつわものであった。
 1981年に当初の目標を立てたとおり、2000年に念願だったユースホステルをオープン。
 田沢家の元気な子供たちと一緒にリビングルームで食事するのが慣習になっているので、それが心地よいのかリピーターも多いらしい。

 父島の「小笠原ユースホステル」は母島ユースホステルの先輩。
 1985(昭和60)年オープン、特に若者に大変人気のある宿。
 ゴールテンウィーク、夏休み、年末年始は予約が殺到し、なかなか予約が取りづらくなっています。
 昔はババ抜きで皿を洗う当番を決めたりしていたけど、今回はヘルパーさんが6人もいらっしゃるので、ババ抜きはありませんでした。
 「おが丸」が出航する前夜は恒例の「出航パーティー」が行われます。
 さらにユース滞在中に誕生日を迎えると、ヘルパーさん手作りのケーキで祝ってもらった思い出があります。(ずっと昔の話ですが・・・)
 あのときはとても嬉しくって、父島と母島に泊まるなら両方とも「ユースホステル」にしようと決めたわけです。


小笠原でしか入手できないものとは?

2009-08-04 00:01:00 | 小笠原

200908040013  これです!!
 内地の靴屋さん、ABCショップ、マリンコーナーなどでも絶対に売られていないような気がします。 
 足元まで見るということはないけど、古びた「ぎょさん」を履いていれば、現地の人だということがわかります。
 
 「ぎょさん」とは「漁サン」、つまり「漁師サンダル」を意味するもので、数年前は茶色しかなくまるで居酒屋の便所サンダルのようでした。
 茶色だけだったら、まあ遠慮するつもりでしたが、今回は目を引くような青、黄、赤、緑、紫、黒・・・といつの間にかに、「ぎょさん」が小笠原ファッションのひとつになったんだ!?と思えるくらい、カラーバリエーションが豊富。
 売られているところはフリーショップの「まるひ」さんと「何でも館アサヒ薬局」さんだったような気がしますが、写真撮っておけばよかった・・・。

 この商品の特徴は・・・・
 内地で売られているビーチサンダルは鼻緒が埋め込み式で使っているうちに外れてしまうこともありますが、これは絶対に外れることのない一体成型。
 漁船に乗っても、滑りにくい、脱げにくい、ゴムが柔らかく長く歩いても疲れにくい・・・よい性能づくめです。
 道理で小笠原の島民たちは年間通して、この「ぎょさん」を愛用する理由がわかりました。
 「ぎょさん」なくして、小笠原快適ライフはあらず。

 東京の渋谷や新宿で茶色の「ぎょさん」で歩くのはちょっと勇気がいりますが、青はファッション性あるかも?
 いろんなカラーバリエーションがあるのに、あえて「青」を選んでしまったのは、碧い海が好きだからでしょう。


つかの間の父島滞在、母島へ・・・

2009-08-04 00:00:00 | 小笠原

 船の中での会話。
 「父島や母島も含め諸島を小笠原と名付けたのは、発見した人の名字から?」と聞かれました。
 「はい、そのとおり・・・」
 小笠原の歴史について、うろ覚えなので、ここで改めて復習。

 1593年(安土桃山時代)、信州の城主、小笠原長時の孫、小笠原貞頼(さだより)が発見。無人島のまま、しばらく放置。
 1830年(江戸時代)、5人の欧米人と15人のハワイ人が帆船で父島に到着。
 最初は20人の外国人が定住、その子孫はトレーラーハウスのオーナーさん(毛利荘)。
 セーボレーと名乗っていたが、日本では印鑑を使う習慣があるため、当て字の「瀬堀」になったそうです。
 1853年(江戸時代)、ペリー提督が二見港に入港。この島をアメリカの領土にしようと考え始める。
 幕府が小笠原をアメリカの領土にされては困ると、小笠原島開拓を発令、外国奉行の水野忠徳らが父島送り。
 1862年(江戸時代末)、扇浦に日本政府仮設所を置く。
 1875(明治8)年、先住民が小笠原島を日本への帰属を了承。
 1882(明治15)年、先住民全員が日本に帰化。
  ・
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 1940(昭和15)年、町村制を施行。
 父島に「大村」、「扇村袋沢村」 (父島だけでも人口7462人) → 現在2003人 
 母島に「沖村」、「北村」 (母島 1905人) →現在454人
 硫黄島に「硫黄島村」(1164人)が設置される。 →現在 自衛官のみ
 1945(昭和20)年、終戦。
 小笠原諸島は米軍の統治下に置かれるようになり、青ヶ島村が東京都最南端。
 1968(昭和43)年6月26日、小笠原諸島返還。小笠原村発足。

200908040001_2  東京から南へ1000キロ。
 唯一の交通手段は「おが丸」だけで25時間半もかかります。
 25時間半かけてやってきたのは、この風景。
 まもなく、二見港に寄港。
 真っ先に父島タクシーさんが歓迎していました。
 本業はタクシーなのに、船を使ってドルフィンスイム、兄島海中公園、南島観光が主でレンタルバイクもやっています。

200908040003  東京から1000キロ、お疲れさまです。
 でも、夏休みの間はせっかくここにたどり着いても、数時間後にまた東京へ・・・。
 


200908040002  
 小笠原に滞在していると、そんなものは珍しいとは思わなくなりますが、到着したばかりだと懐かしいものばかり目に付くので興奮しながらパチリ。
 


200908040004  南の島でよく見かける、ハイビスカス。
 自宅でもイエローのハイビスカス育てています。
 (冬の間だけちょっと心配ですが・・・)



200908040005  スーパー小祝さんに寄ってみました。
 島ゴーヤー グラムあたり70円。
 小笠原でもゴーヤー獲れるなんて素晴らしい。
 ゴーヤーがあるのはこれだけだけど、うちなんちゅ(沖縄の人)のようにゴーヤーを消費していないかな・・・。

200908040006  スーパー小祝さん名物のウミガメ缶詰。
 初めて小笠原に来たとき、ウミガメ刺身や煮物を少しだけ頂いたことはあるのですが、ハマるほどの味ではありませんでした。
 食べられるけど、ちょっと苦手なほう。


200908040007  郵便局にも寄ってみたいな~。
 おのっちさん「郵便局に行ってみる?数年前に出会った職員さんいらっしゃるのかな?」
 「母島からの帰りに郵便局に寄ってみよう!」


200908040008_2  生まれ育った場所でもないのに、この風景は本当に懐かしい。
 初めて来たのは1997(平成9)年。そのときは右も左もわからない、小笠原ビギナー。何回来たか、数えてみたら今回で7回目。
 4年のブランクがあっても、変わらずの街並み。


200908040010  派手な看板が見えるところは、スーパー小祝さんです。
 おがさわら丸入港日は次々とパンや牛乳、肉、野菜などの食料が運ばれ、にぎやかになります。
 商品はまだ並んでいないので、買い物客はあまり見かけませんでした。


200908040009  「小笠原寿司」。
 上の3つだけは、郷土料理の「島寿司」です。
 冷蔵庫のなかった昔は少しでも保存が効くようにサワラという魚を醤油漬けにしたもの、なかなか入手できない「わさび」の代わりに練りからしを使っています。
 このような島寿司は青ヶ島のアジサイ荘でもいただきました。(気前がとても良く、すごく大きなジャリでした)
 小笠原近海で取れた魚をネタにしているので、どれも初めて聞く名前ばかりでした。

200908040011  4年前に来たときは、「おが丸」が入港1時間後、「ははじま丸」が出航。
 今回は2時間後の13時半出発に変更。
 (4年前は14時40分母島到着、今回は15時40分) 
 
 
 2時間あれば、ゆっくり食事もできるし、お土産店めぐりもできるので、そのほうがゆったりしていいかなと思います。

200908040012  母島に近づくつれに天気が怪しくなってしまいました。
 島の上に黒い雨雲が・・・・。
 これはたぶん、南の島によくあるスコールでしょう、と気にしないでいたら、晴れてきました。

 母島も4年ぶり、本当に懐かしい!
 青ヶ島も2002年が最後で、その5年後空から集落の街並みを見たときは「懐かしい!」と叫びたくなるような気持ちと同じぐらいです。(笑)

 一緒に行った友人も写真撮りまくり、画像を送ってもらいましたので、これからは使わせてもらいますね


おがさわら丸ブリッジ(操縦席)見学

2009-08-03 01:05:00 | 小笠原

200908030001 おがさわら丸のブリッジ(操縦席)見学は特に船内放送はしないそうです。
 小笠原フリークのみ知るサービスらしい・・・?
 フロントで「ブリッジを見学したい」と予約の申し込みをします。
 東京から父島に向かう便のみ見学ができます。
 見学希望者が多い時は、数回分けて実施するようになっています。

 ふだん解放することのない扉から入ると、そこに乗務員の部屋がいくつかありました。
 夏休み中は父島に着いてすぐに折り返しになってしまいますが、ふだんは父島に3泊なので、乗務員の住居スペースになっていました。
 おが丸が父島に滞在中は仕事から解放、きっと父島を満喫しているに違いない。

 上の写真はエンジンコントローラールーム。

200908030002  東京から父島まで1000キロも休まず動かしているエンジン。
 硫黄島まで延ばすときは +280キロ。
 おが丸は最高速度40km/hなので、硫黄島まではほぼ7~8時間で行けます。


200908030003
 無人で動かしているかように見えますが、航海士さんが駐在しています。

200908030004_2  
  父島まであと1時間半の地点。
 



200908030005  後ろ姿は小笠原海運のフロント係、ブリッジ見学ツアーのナビゲータさんです。
 ドックおじさん(父)と同じぐらいでしょうが、この年齢でも「おが丸」を愛しているのか、バリバリの現役。

 東京と父島を数え切れないほど、往復しているかも知れない。

200908030007  うっすらと島影が見えます。
 小笠原諸島の北部にある、無人島の聟島(むこじま)列島。
 別称「ケータ列島」とも呼ばれています。
 


4年ぶりの小笠原~!!

2009-08-02 00:00:00 | 小笠原

 東京のほうが小笠原より暑いはずなのに、戻ってきた今日はなぜか涼しさにびっくりしてしまいました。部屋の気温を見ると、23度。9月中旬並みになっています。なんででしょうか?
 携帯電話で現地からのリポートをやってみましたが、衛星回線を通すため「ハイスピード」でもタイムラグが発生し、内地よりもちょっと遅いような気がしました。
 でも、テレビ電話はカチカチするといったようなコマ送りはなく、スムーズに使えたような気がします。

 小笠原タイムは今日は何曜日なのか、気付かないほどスロータイムのはずなのに、あっという間の1週間でした・・・。
 夏休みの間は小笠原でも「繁忙期」になり、なかなか取りにくいと聞いていますので、2ヶ月くらい前に宿とチケットの確保、1ヶ月くらい前にオプショナルツアーの予約。
 
 7月27日、いよいよ出発です。
 小笠原に持って行くべき身の回りのものをすべて自宅に置き忘れたまま小笠原に来てもなんくるないさーと旅する夢を見てしまったので、「おが丸」のチケットも忘れていないかとチェック。
 ずっと昔だが、おが丸が出た午前10時以降、目を覚ます夢。
 目覚まし時計も設定を間違えていないかと丹念に・・・。

 これで準備万全!あとはおのっちさんとヨングク君と竹芝桟橋で交流するだけだ。
 久しぶりに小湊鉄道と羽田空港行きの高速バスで浜松町へ。
 出勤途中のサラリーマンばかりなので、小笠原行きスタイルの私だけが結構目立っていたかも知れない。

200908020001  午前10時、出航。
 酒ノさん、母島からやってきた親子さんもわざわざ私たちのために見送りに来てくださいました。
 父島ではたくさんの人に見送られるのですが、東京での見送りは嬉しいです。ありがとう。

200908020002  
 この風景の25時間半後は紺碧の世界だ。



200908020003  まもなくレインボーブリッジの下を通過。
 天然楽園村に連れてくれる、「小笠原海運」の文字が頼もしい。
 「おが丸」は1997(平成9)年に山口県下関市の三菱造船で製造。
 下関三菱造船の近くに私の故郷がある。
 
 奇しくも目的地は父島の「二見港」。これも故郷の地名と同じです。(山口の二見)
 小笠原の二見には帰っているのに、山口の二見はしばらくご無沙汰なので、近いうちに帰ろうかと思案中です。両方とも距離は1000キロ。
 
 27日はほとんど船の中で過ごしたので、この日の「小笠原日記」はこれで・・・・。


東京湾内に入りました(> д<)

2009-08-01 14:12:41 | 小笠原
東京湾内に入りました(>  д<)
今はどこなんだろうとデッキに出たのは御蔵島近海(9時40分頃)通過中。 小笠原で見たとおり、青々しくてきれいな海だったというのに今はアクアラインの見える東京湾に入りました。
あと1時間で竹芝桟橋です。
おが丸も竹芝で一泊し、明日の10時にまた父島へ。また同じ船に乗って帰りたいな~。
でも3日間は夜間だけ激しいスコールの大雨、ほとんどよい天気に恵まれました(^O^)


また帰って来るよ!小笠原

2009-07-31 14:11:57 | 小笠原
また帰って来るよ!小笠原
小笠原では「さようなら」を絶対に言わない。
「行っていらっしゃい」だそうです。
たったの3日の小笠原は足りないような気がするので、別の季節に行ってみようかな。夏とは違った小笠原見つけられそう。

ブログ更新サボってしまったので、いきなり現地リポート最終回になってしまいました(+_+)


母島出発

2009-07-30 14:22:51 | 小笠原
母島出発
母島滞在は2日だけ、ちょっと短いけど満喫できました。
母島簡易郵便局、村役場、小笠原警察署母島駐在所巡り(母島における犯罪発生件数や道路交通法取締りや違反件数とかの取材。これは多分犯罪発生はゼロでしょう)、それから顔や体じゅう真っ黒に日焼けしたサーファーっぽい、初老男性が経営する「大漁寿司」でランチ。
これも目玉が飛び出すほどびっくりする量でした。 中華麺はポールにキャベツどか盛り。こんな中華麺見たことないぞ、と言えるほど。ビックリしすぎたのか携帯で撮るのを忘れてしまいました。


7月30日の母島

2009-07-30 13:12:54 | 小笠原
7月30日の母島
憧れの職場(?)小笠原村役場母島支所へ行ってみました。
村役場職員の7割は小笠原村出身ではなく、内地からだそうです。
村の顔も兼ねているので観光情報を聞くととても丁寧に対応してくださいました。
静沢あたりで散策できるコースといえば海軍父島特根隊母島派遣隊(静沢80高地海軍施設)。
1時間あれば、兵舎、弾薬庫などの跡(というか廃墟)が見られます。

携帯電話からの更新なので写真いっぱいは載せられないのでのちほど。

あと少しで父島に戻ります。


7月29日 2 日目の夕食

2009-07-30 13:01:30 | 小笠原
7月29日  2  日目の夕食
サンセットツアー以降、更新をサボってしまいました。
母島に来て携帯にいじりまくり…じゃなくて母島を堪能すべきかなと思います。
さて、昨日の夕食メニューは母島漁師さんの釣った、ばちまぐろ。同じまぐろのちあいの漬け、北海しまえび(道東で取れます)、しまのきゅうりとしまのにがうりのサラダ、内地産のとりの唐揚げ。


クラブノアのサンセットツアー

2009-07-29 20:19:16 | 小笠原

クラブノアのサンセットツアー
クラブノアさんはダイビングサービスだけではなく、ネイチャーガイド、ナイトツアー、サンセットツアーなどのガイドを行なっています。
今回はサンセットツアーを申し込んでみたところ、私だけの貸切、手話のできるガイドさん付きでした。 手話と交えながら難しい言葉ダイビングに使う水中筆談器を使いながらガイド。
今日のサンセットは水平線付近に厚い雲に覆われてしまいましたが、残光と言えるマジックアワーが美しかった。


カレーを待つ間のヨングク

2009-07-29 14:31:46 | 小笠原
カレーを待つ間のヨングク
遅いランチタイム。島内三軒の飲食店全部営業終了。
幸いにもダイビングサービスのクラブノアさんがラストオーダー14時までなので間に合いました。
オーダーしたのは南国情緒たっぷりのココナッツミルクカレー。
「お時間いただきます」とのことなのでエメラルドグリーンの沖港を眺めながらお昼寝中。


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