「所有」ということについて考える

2012-10-12 13:20:54 | Weblog





これも前々から思っていたこと。「所有」という概念とは一体、何なのか。





「子供」は、親・・・と言うか”保護者”の「所有物」に近いであろう。

「養育義務」というのがあって、放棄したりすると法律で罰せられる。

でもだからと言って、「子供」が親の思い通りにならないのはご周知の通り。

それはいいとして、

一体、いつから子供は親の「所有物」でなくなるのだろうか?


・・・自分のこと振り返ってみても、わからない。

自分の足で歩き出した時からだ・・・・・いや、違うか。

家を出た時からだ・・・・・そうとも言えないかな。

はっきりとした「この時から」って、区切りは・・・ないかも知れないよね。



全然違うんだけど、

家、って、「所有」するひと とそうでないひと と、いるよね。

思い起こしてみたら俺なんか「所有する家(持ち家)」に住んだことって、

(子供の頃から考えても)今までの人生で一回も・・ないかも知れない。

しかし、それでどう、ってことなどない。

ローン払い続けるのと、家賃を払い続けるのって・・そう大した違いはない、という説もある。

ヤドカリのように(笑)、いろんな所に住んで、

それはそれでとても楽しい。「家」を所有したい、とは思わないな。

キャンピングカーが家、でもいいと思うよ。

段ボールの家はちょっと・・・・嫌だけどさ。


次、クルマ。

以前の知り合いがポルシェ・カレラを所有していたことがある、と言っていた。

でも乗ってたのは何年かの間だけで、その間ずっとローン払い続けてたんだってさ。

維持費とかに音を上げて、結局売ったらしいんだけど。

・・・・・・それって、長期間の「レンタル」とあんまり違わないよね?「所有」なの?

いや、ポルシェがうらやましくてわざと言ってる・・・・のではある部分もあるけどさ。

それにしても。

「所有」とは何か、ということを考えさせられる話では、ある。




それでギターなんだけど。

ギターだけはしかし、「所有」したひとに、何らかのパワーと運命を与えてくれる物・・・・

だと思ってしまう。特にオールドギターは、そう。(オールドじゃなくても。)

・・・・ちょっと大げさではあるけどさ。

サーストン・ムーアいわく「魔法の剣」であるところの、ギター。

俺はギターを手に入れた日から、今の「俺」になったのだ、と言える。

ピーナッツブックにおける「ライナスの毛布」だった、

「シロ」と「クロ」にとっての「欠けたネジ」だった、




・・・・・・・・・・・・・・・ってまぁ、そんな話。




「所有」について最後に。

我々のこの、「人体」を構成する物質は全然、特殊なものではなくて、

互換可能である。そのほとんどを占める「水分」は、日々大量に、出たり入ったりしている。

そしてその「水」は、「地球上で一番ありふれた化合物」なんだって。

「水」は世界を大循環する。

我々は世界であり、世界は我々であるのだ。

この身体すら、本当の意味で「所有」などしていない、とも言えるよね。



「本当の意味で所有しているもの」って、それなら何?




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「なんにもない」のかな。
















コメント
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