「ブレード・ランナー」考

2012-10-11 17:44:34 | Weblog


前々から思っていたんだが・・・


映画「ブレード・ランナー」に出てくる「レプリカント」は、

ロボットではない。

機械部品なんか一切使ってない、血と肉で出来た身体である。

だって、レプリカントか人間か、の判別方法って例の

「フォークト・カンプフ」っていう心理テストか、もしくは

骨髄液を取り出して調べるか・・・しかないのだ、劇中で。


P.K.ディック作の原作のタイトルは

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なんだけど

「アンドロイド」の定義を、ディックがどう考えていたのかわからない。

普通・・・っていうかSFで「アンドロイド」は、

「外装が人間に近いロボット」である。「ロボット」よりソフトな感じ。

「サイボーグ」になると「改造人間」といった趣である。もとが人間。


ディックの他の作品に「シュミラクラ」という、

遠隔操作されたり、自動操縦で意思を持って動く「人間もどき」が出てくるのだが、

こっちの方がレプリカントに近いかも。

「電気羊・・・」執筆時に、「シュミラクラ」という名前をまだ

思いついていなかったのかも知れない。

「シュミラクラ」の語源は「シュミレーション」で、

「レプリカント」と言語的に相似している。

「レプリカント」というのはディック創作の言葉ではなく、

映画制作時に誰かが思いついたらしい。

だから「レプリカント」って、もしかして

「バイオ養育されたクローン人間」なのではないだろうかと推察される。

個体によっては「偽の記憶」を植えつけられている。

だから自分のことを人間だと思っている個体も存在する。

そして遺伝子情報はいじられている。

4年、という「寿命」が組み込まれていて、子孫は残せない。

タフで攻撃的で力が強かったり

・・・っていうのは、単に、もとの人間の個性のような気もするが、

本当のところ・・どうなのかは、わからない。

小説版「ブレード・ランナー2」(ディック作ではない)では

ロイ・バティのオリジナルの人間はもともと脳細胞に異常があって、

「恐怖を知らない人間」らしい。

だからレプリカントのロイ・バティもあんな奴なのだ。


でも重要なのは、結局、この「ブレード・ランナー」世界

(映画「ブレードランナー」、小説「ブレードランナー2」、

原作「アンドロイドは電気羊の・・・・」の3作品全部)において、

何が真実なのか、ってことが全然わからない、ってことだ。

主人公であるデッカードは果たしてレプリカントなのか?

プリスは?

「フォークト・カンプフ」も信用できない。

あんなのは、子供だましだよね。

”「共感」に対する反応としての瞳孔の収縮”なんて・・・・陳腐だ。

でも陳腐だからこそ「ディック的」で素敵だ。




「自分が何者かわからない」

「世界も自分も、自分の記憶すら・・・偽者かもしれない」

という感覚。


これこそが、ディックが追求し続けたテーマ。


それはとても、興味深いよね。






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