「かもしれない」

2012-01-16 08:39:15 | Weblog



「四十にして惑わず」という言葉の意味は、

「四十くらいになったら惑ってはいけない」ではなく、

「四十くらいになったら人は自然と、惑わなくなる」

ということなのだそうだ。

何に対してか?、というとこれはやはり、

「生き方」なのだろう。

「生き方」って、いろいろあるかもしれないな・・・と

今になって思う。

「選択肢」があったか?と言われれば、

「なかった」としか答えようがないのだが。

「生き方」というのはそういうものではなかろうか。

だとしたら人は、「惑い」など、

全然持たずに生きているのかもしれない。

あちにフラフラ、こっちにフラフラ・・・と

惑ってるように見えたとしてもそれは、

ただの「必然」でしかなかったんだぜ。

結果的に人は、生きたいようにしか生きられないし、

それはそれでいいのかもしれない。

もしくは、

良くも悪くも、ないのかもしれない。







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