2024年の6月3日。

2024-06-03 20:28:27 | Weblog

1988年の6月3日はもう、36年も前なのだ。

あの時生まれた赤ちゃんは36歳になる。

僕は・・・というか僕と僕の同級生たちの多くは、今年で58歳になる。

早生まれの人は57歳か。

あれから36回も、夏、秋、冬、春 を超えたのだ。

しかし今さら思うのだが、

我々のこの命って、この身体のこと・・・・でもあるよな。

僕は精神生命体でもあるのだが、

その精神をつくって、支えているのは この身体でしかない。

この身体が消えたら、僕も消滅する。

あとには、ほとんどガラクタみたいな遺品が残るだけだ。

(ブログも消えずに残るかもしれない。)

そう考えると人間存在って・・・・・はかない。

墓のない人生は、はかない というコピーを考えたのは中島らもだ。

はかない、は漢字で書くと 儚い だ。

そうか、にんべんに、夢で はかない と読むのか。

しかし、いくら 儚い と言ってもニンゲンって

ウスバカゲロウよりは何万倍か長生きだけど、それでも

100年にさえ、なかなか手が届かない。

でもどれだけ長生きしたところで

我々の生きる意味や

存在意義は、わからないのだろう、としか思えない。

生きることに意味などない、という説もある。さもありなん。

出来れば、そうであって欲しい気もする。

 

昨日ネットで拾い読んだ「こう生きればよかった」みたいな話の中で、

要約すれば

「幸運がやって来たならそれを最大限に生かすことを考える、

不運がやってきたら

それによってダメージを受けないことを第一に考える。」

みたいなことを言ってる人がいた。

なるほど。

でも

後から考えてこうすればよかった、ああすればよかった、みたいなのって

本当に無意味だと思う。

僕は自慢じゃないが

幸運はアホみたいに計画性なく使い果たしてしまったし、

不運に対しては完全にノーガードで受け止めようとして、まともに喰らってしまった。

それで結局、価値のあるものは何も残らなかったけど、

鈍く、重い、痛み(みたいなもの)を、かなり長いこと引きずって歩くことになった。

 

でもそれでしかなかったし、そうするしかなかったし、

他に思いつかなかったし。

 

後悔してもしょうがないからしないのだ。

 

 

気が済んだか?と聞かれたとしたら、

どうだろう・・・・・・・・・・・・・わからない、としか

答えようがない。

 

 

 

 

 

 

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