銀河鉄道の夜(初期第三次原稿)」を読んで

2008-03-27 10:33:24 | Weblog
周知のことかもしれないが、

宮沢賢治という人が生前に出版された本は二冊のみで

(童話集「注文の多い料理店」と、詩集「春と修羅」)、

後の膨大な作品群は全部、遺稿という形で世に出たものなのです。

死の床で彼は「私の死後、出版して欲しい」と言ったというし、

「迷いの跡なので、焼き捨てて欲しい」とも言ったという。



この、新潮社文庫「ポラーノの広場」解説で初めて知ったのだが、

(以下引用)

「(「銀河鉄道の夜」自筆草原稿は)

一たんラストまで書きおえられた第一次原稿に、

賢治は十年近くのあいだおよそ七回にわたって手入れをした。・・・中略

・・・その結果として残っている現存原稿を読み解いていくと、

七回にわたる手入れのあとがさらに大きく四次にわたる層を形成している

ことがわかるのである。」

(引用終わり)

ということなのだそうだ。




今回、初めて読んだ

「銀河鉄道の夜(初期形第三次原稿)」。

まず大きな違いは、ジョバンニとカムパネルラが全然親しくない、

という設定かもしれない。

ジョバンニはカムパネルラに憧れていて、

「ぼくがカムパネルラの友達だったらどんなにいいだろう」

という台詞さえある。

このジョバンニの切なる願いを作者が叶えた結果、

四次原稿の設定に至ったのかもしれない。


もうひとつ。

カムパネルラが川で流されてしまって行方不明、という

現実の出来事がこの第三次原稿では描かれていない。

これでは銀河鉄道のことが、単なる

”ジョバンニの見た夢”、ということになってしまう危険性が大いにあるのだ。

カムパネルラの水の事故の件は、どうしても必要だと思う。

そしてそこでカムパネルラを探す父親、というのが描かれてこそ

プリオシン海岸で化石発掘している大学士との照応がはっきりするのだ。

(プリオシン海岸の学士はカムパネルラの父親、鳥捕りの男は

ジョバンニの父親である。)


カムパネルラの父親によってもたらされる、

「ジョバンニのお父さんが帰ってくる(かもしれない)」、

という”救い”も重要。



カムパネルラを川で捜索する場面は、第四次原稿でも挿入される場所が

違うものが存在して、それぞれ出版されている。

(昭和四十三年に原稿改訂が行われているせいか?)



しかし、第三次原稿と四次原稿の最大の違いは、

「ブルカニロ博士」の存在と役割に尽きる。

第三次原稿では作者の分身である(としか思えない)、この博士が

非常に重要な役割を演じるし、とても本質的なことを語る。

いわく「宗教と化学(科学?)はいずれひとつになる。」

(博士の台詞そのままではない。)

きっと賢治自身がもっていたであろう、非常にポジティヴな

未来へ向けた世界観である。


この、ブルカニロ博士の場面のあるかないかで、

第三次原稿と第四次原稿は、まるで別物・・という印象である。

童話としての完成度は言うまでもなく

第四次原稿の方が高いだろう。でもね・・・・・。




それと、これはささいなことかも知れないが

第三次原稿でのジョバンニは、切実にお金を必要としている。

お母さんのための牛乳が手に入らなかったのだ。

この事態に対して、最後にブルカニロ博士から、金貨二枚という

「救い」が与えられる。

このエピソードは、削除されるべくしてされたのかも知れないけど。




いずれにしろ、

この「銀河鉄道の夜」という童話は完成しないままなのだ。



細かい違いはまだまだあるけど・・・・


初期第三次原稿を初めて読んでみて感じたのは

賢治が、彼の頭の中にある壮大なイメージを、

いかにわかりやすく翻訳(?)するか、ということに傾けられた

労力、というか努力の大きさ、だった。


かなり圧倒された。


改めて宮沢賢治の偉大さを想うものであります。
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