徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島、新港岸壁臨港線のこと

2009-06-21 23:00:10 | 徳島で

予定では「糸崎な夜、その5」のつもりでしたが

夏の帰省予定を立てていると写真の整理が追いつかず、差し替えしました。

まだ2ヶ月も先のことですが東京-大阪一万円以下の便はどんどん無くなっていて

少々焦っています。

あの線は今回乗ってみたい、そこまで行けばついでにこっちの線も・・・

雨とはいえ一日これで潰してしまいました。

タイトルの新港岸壁への臨港線、一度も撮らなかったことについては

何度もお伝えしていますが全く悔しい限りです。

1967or6806_0702

ずいぶん前に掲載したことのある写真ですが

画面一番右、給水塔の手前を分岐していくのが臨港線です。

(左端、列車が走っているのが中田に向かう本線)

今までこの先は大きく弧を描いて新港岸壁に至るものと思っていました。

終端の倉庫街で貨車が数両止まっているのは何度か見た記憶がありますが

途中の経路を辿ったことはありませんでした。

ところが先日、国土地理院のHPで古い空中写真を見ていると

そうではないことが判明しました。

先ずはその写真をご覧下さい↓

http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MSI611&courseno=C18A&photono=6

’61年6月1日、高度1,800メートルからの撮影とあります。

新港の一万トン岸壁には同型船が3隻接岸していますが自衛艦のようです。

画像解像度を200dpiにしないと判りにくいと思いますが、トレースして略図を作ってみました。

Skomatushima

これでも結構時間がかかったんですが最後は手抜きになってしまいました。

赤線が臨港線です。

この写真によると臨港線は機関庫脇から一旦日赤病院(当時)の方に進み

スイッチバックして新港岸壁に進んでいることがわかります。

どう見ても弧を描いてそのまま岸壁に向かうのは無理です。

そういえば昔、徳島からバスで小松島港に行くと

日赤病院前のバス停を過ぎてしばらくすると列車なんか来そうもない踏切で一旦停車して、車掌さんが下車して安全確認をしていましたが、それが臨港線でした。

C11やその後はDE10が推進で貨車を日赤病院の方に押し込んでいたので

岸壁へは先頭に立って引っ張って行ったのでしょう。

1988_1

↑私よりずっと出来が良いので借用させていただきます。

Compiled by 「金長狸」様(ありがとうゴザイマス)

この写真の当時は阿摂航路が阪神-徳島・高知の最短ルート(空路を除く)

として栄えていてた時期で小松島港駅も大活躍していたはずです。

下の方、小松島駅本屋の前は神田瀬川河口の旧港で

昔々は客船もこちらに接岸して本屋で船車連絡が行われていたのではないでしょうか。

私が写真を撮り始めた’67年には本屋向かいに船会社の建物(待合室か)が残っていました。

本屋の先は貨物ホームでしたがすでにここでの荷扱いはありませんでした。

それ以前は盛んに貨車と船の間で荷物がやり取りされていたと思います。

S196806_0717

↑神田瀬川添いの線路の先端近くから小松島駅の方を望んでいます。

左側が神田瀬川、遠景中央は貨物上屋で

右側は客貨車支区の貨車検修所です。

’67年6月か7月の撮影。

S19840428

↑ずっと後、既に50系に替わった時代の写真です。

駅本屋の方から貨物ホームを望んでいます。上のモノクロ写真とは反対側からの撮影。

S19840433

↑奥に進んで貨車検修所の前から神田瀬川の方を見たところ。

舳先にクレーンを載せた貨物船が接岸中です。

そういえば日赤病院も今は元・機関庫の近くに移転しているようですが

S19690505_1709

昔は給炭台の遠景に赤十字マークも鮮やかな建物が見えていました。

「糸崎な夜、その5」は写真を整理して近々掲載します。

コメント (9)
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