徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

「糸崎な夜」1971年8月、その6

2009-07-20 12:51:24 | 県外(糸崎、布原 ほか)

関東は梅雨明け、三連休で夏休みも始まりました。
身内のブログによると、徳島では阿波踊りのイラストポスターが盗まれ
ネットで高額取引されているとの徳新記事が。
そのモデルになっているアニメは全く知りませんが、阿波踊りまでもう一ヶ月を切りました。
徳島に帰省してスカッと夏らしい写真を撮りたい・・・

で、

もうすぐ終われそうな、38年前の夏、山陽本線「糸崎な夜」です。

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ブルトレの通過、バックサインが読めません。前回の「つくし」の続きのネガなので1レ「さくら」(東京→長崎・佐世保)3:32ではないかと思います。
小生の20系初乗はこの数年後ですが、乗り心地の良い車両でした。10系寝台はガタピシという感じでしたが(特に連結部は高速ではドッシャン・ガッシャンと踊っていました)20系は静かで柔らかいフワフワしたような感じでした。それと、
写真のように下りの場合ナハネフ20や22が最後尾になりますが、車掌室は半室(写真で右側)で、左側には通路にあるような折り畳み椅子一席と灰皿まで付いていて展望室になっていました。ここから流れ去るレールや駅を眺めるのは最高でした。

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↑301レ「音戸1号」(新大阪→下関、呉線廻り)定刻3:48。時計は3:55頃なので少し遅れていたんでしょうか。
この列車、座席車はグリーン車すら1両も組まない完全な寝台列車でした。
呉を通るせいか制服姿の海上自衛官?が見えます。

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同列車の発車だと思います。時計は4時を過ぎていますが、所定なら3:51頃通過する3レ「みずほ」が遅れていたのではないでしょうか。

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↑9303M「音戸52号」(大阪→下関、本線経由)4:10。4番線(下り本線)が続きます。
当夜、「音戸」は定期2本の他に下りでは51・52・53号の3本が運転され、このうち52・53号は電車。中でも写真の52号だけは呉線を廻らず本線経由です。そのせいか、あるいは運転時間帯のせいか乗車率良さそうです。
カレチ氏が3人集まっていますが皆さん蝶タイ。駅助役さんもそうだったので当時の制服なのでしょうか。
手前の車両は半室ビュフェです(たぶんサハシ165)

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↑5レ「はやぶさ」(東京→西鹿児島・長崎)定刻4:52。時計は5時を過ぎており、やはり遅れがあるようです。
昨日18時丁度に東京を出て既に11時間、8月14日の朝になっていますが西鹿児島までは後まだ10時間36分もあります。
「はやぶさ」は上下とも唯一糸崎停車のブルトレです。他の列車は前後の三原か尾道に停車です。
地元の人らしい当日の旅客らしい人が増えてきました。

今回ずっと4番線の写真ばかりですが、この時間帯になると動くのがしんどくなってベンチに座ったまま望遠で撮っていたんだろうと思います。

次回でこのシリーズは終わりに出来そうです。

 

 

 

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「糸崎な夜」1971年8月、その5

2009-07-05 23:51:37 | 県外(糸崎、布原 ほか)

昨日は久留里線で国鉄色に復元されたキハ30の運転初日だったそうです。月初の土曜はだいたい出勤なので行けませんでしたが、ネット上には早速写真が出てますね。
前照灯がブタ鼻だ、下回りが灰色だと難点はあるもの全体的に良い感じです。残る2両もそのうち復元塗装されるそうですが、運用を確認して混雑しそうな夏休み前に行ってみたいと考えています。そのかわり、
「客車倶楽部」さんで紹介されていた「ノスタルジックトレイン№2 昭和45年・夏」(芸文社)を買ってきました。関西の昭和30~40年代の写真、しばし読みふけってしまいました。「俺には彼女おれへん」・・・文章も共感できます。

さて、
糸崎駅での山陽本線夜行列車も「その5」。1971年8月14日の午前2時を過ぎたところから開始です。

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↑左は13M「月光2号」(新大阪→博多)2:18、右は1214レ「阿蘇」(熊本→名古屋)2:22と思ったんですが、よく見ると右の機関車は前照灯2灯に見えます。とするとEF65、ということはブルトレか?。月光型とブルトレの離合の組み合わせは3時間前の23:20頃に6009M「月光1号」と6レ「はやぶさ」があります。案外こちらかもしれません。

次は当夜の急行列車では一番の豪華列車。

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↑211レ「雲仙3号」(京都→長崎)2:42。オロネ10・オロ11にオシ17そしてスハネ16×4を含む13両編成。宇田さんの著書ではこういう列車を「フルセット」と紹介されていました。撮影時間中にオシ17連結列車は他にも「桜島・高千穂」がありましたが、4号車で隣がスハネなので雲仙3号と特定出来ます。

当時山陽線急行で最豪華列車は、当夜撮影時間外でしたが37・38レ「安芸」だと思います。両端はオハネフ12、オシ17にオロネ10はなんと2両、中間のハネ5両の他に糸崎回転のハネ3両を含む13両編成。荷物・郵便車はおろかロザすら持たない完全寝台列車。全車両、裾が絞られた広幅車体の軽量客車で統一された美しい編成。
これに対抗出来るのは区間外ですが35・36レ「瀬戸1・2号」くらいでしょうか?食堂車(オシ16は自慢できる)、スロ54、オロネ10、スハネ16はなんと8両、殿はオハネフ12で座席はスロ54のみ、そしてこれ以外はオユを含め10系。そういえばNで編成作成計画が手つかずのままです・・・

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ナハ10が3両続いて後部にスハフ42が2両、最後部のスハフ42は博多回転車です。それにしても乗車率良いです、立ち客が見えるようです。

 

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↑待避中の6214レ「雲仙1号・西海52号」(長崎・佐世保→新大阪)2:57と、通過中の26レ「あかつき1号」(西鹿児島→新大阪)2:47。パターン・ダイヤなので上りは毎時47分頃にブルトレや月光型が通過します。

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上りの臨急は一人で最新型車両のボックス席を独占出来る程よい状態。所属はもちろん大ミハです。

 

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どうもこの時間帯は列車が特定できなくて・・・現代のデジカメなら撮影日時データが記録されますから簡単に割り出せます。ホントに便利だと思います。

 

1971(昭和46)年8月14日午前3時を過ぎました。

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↑215レ「つくし3号」(大阪→博多)3:22です。登場間もないパレット荷物車スニ40やオユ10も繋いでいるので荷物列車かと思っていましたが、マニ2両にスニ40そしてオユ10という編成順序は「つくし3号」と一致します。3号とはいえ1号と2号は昼間の電車急行で運転区間が同じなので統合されたようですが、元は確か「玄海」だったと思います。14両編成ですが、うち4両は荷物・郵便車で座席車はスハ44・スハフ43の3両のみ、ロネはマロネ41、残りはオハネ12とスハネ16という寝台列車です。

 

 

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広角で撮った写真なので上記2枚とは離れた所にありましたが、「大荷36」という運用で検索してみると「つくし3号」とわかりました。インターネットは便利ですねぇ。広窓からしてオハニ61から再改造されたマニ60だと思います。

遅くなったので以下次号。

コメント (9)
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糸崎な夜1971年8月、その4

2009-06-14 23:29:50 | 県外(糸崎、布原 ほか)

本題に入る前に徳島ネタ。

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きのうは特別な日だったので女房が買ってきてくれました。

残念ながら以前紹介した神谷町のコンビニではなく

有楽町の「村から町から館」です。

どちらも川島町の「おいし工房」製です。

「マヨ」とありますが、どっちかというとドレッシングです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルに戻ります。
糸崎駅での山陽本線夜行列車、その4になります。
日付は変わって1971年8月14日も午前1時を過ぎました。

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午前1時を過ぎたばかりの糸崎駅下りホーム。
天麩羅そばだけでなく売店も終夜営業、それほど夜行列車がありました。ペットボトルはもちろん未だなくて缶飲料さえ珍しいこの頃、当夜我々はもっぱら洗面所で水道水を飲んでいました。

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上とほぼ同じ構図ですが台車やベンチに座っているのは郵便車乗務(または積み卸し)の郵政職員の方々。当時はれっきとした国家公務員の皆さんです。まもなく到着する急荷31レ 1:07(汐留→熊本)を待っているのだと思います。前にも書きましたが、この糸崎駅は岡鉄郵(岡山鉄道郵便局)と広鉄郵の乗務境界駅だそうで当夜も何度となくこういう光景を目にしました。

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その急荷31レ(たぶん)が到着。急行荷物列車とあって停車時分は3分位。郵袋の積み卸しが大急ぎで行われています。

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↑207レ「天草」(京都→熊本、筑豊線経由)1:28だと言うことにしました。205レ「日南1号」(大阪→宮崎)0:40では、とずいぶん悩みました。上の写真で手前のBネは便所の窓形状からオハネ12と特定出来ます。ところが、
下の写真で続くBネは、同じく便所窓形状からスハネ16の様です。
3番線なので下り待避線。
手持ちの編成表では43系座席車・オハネ12・スハネ16と続く列車はありません。オハネ12はスハネ16と共通運用だったのでしょうか。そう考えて「天草」としました。というのは、
「日南1号」(下り)は寝台列車で座席は2両のみ、編成表ではスハ44+スハフ43となっています。一方、「天草」はオハ46やナハ10をずらりと繋いでいます。よく見えませんが、座席は2両だけではなさそうです。

※2011年1月追補
いつも勉強させて貰っている「客車倶楽部」様の掲示板によれば、
オハネ12の便所窓は中途よりスハネ16状の横長タイプに改修されたとのこと。
と言うことは写真の2両ともオハネ12の可能性が出て来ました。オハネ12が入って無い日南1号の可能性は無くなり、逆に「つくし3号」の可能性が強くなりました。

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↑上の写真の列車が待避中に4番線を通過していくEF66牽引のコンテナ特急。貨物とはいえさすが特急、定期急行を待たせて通過していきます。
安っぽい三脚をいっぱいに伸ばして載せているのは私のペンタSP(タクマー105㎜付き)です。

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↑209レ「日南3号」(京都→都城)1:41に違いないと思います。
オロ11を使用する列車は撮影時間中に桜島・高千穂や雲仙3号もありましたが、2両連続して繋いでいるのはこの日南3号(上りは1号)だけでした。
写真左端に写っている鳥の巣箱のようなものは郵便ポストでここに投函すると郵便車内で仕訳された消印が押されます。


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↑通過中の14M「月光1号」(博多→新大阪)と待避中の302レ「音戸2号」(下関→新大阪)1:57だと思います。
ホームの関係から上り列車なのは間違いありません。月光型は撮影時間中に金星、月光1・2号、明星1・2号とありますが定期急行待避中に通過するのは14Mだけのようです。(明星は明け方近くにありますが)

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↑今回、列車特定で一番悩んだ写真です。
時計の針は23:10頃とも1:55頃とも見えます。ところで右端を通過する列車はどう見ても「日向」です。下りの「なは・日向」は日中走行なので上りだろうと思います。上り2D「なは・日向」(西鹿児島・宮崎→大阪)は所定19:17分頃の通過なので、最初は2時間くらい遅れて通過中で時計は23:10頃だと考えました。しかし、
向かいで通過待ちのスハネ16のサボは大阪あるいは新大阪のようです。大阪・新大阪に上る寝台で一番早いのは304レ「音戸1号」の0:50。結局、時計は1:55頃で停車中の列車は302レ「音戸2号」(下関→新大阪)1:57ということにしました。

ひとつ上の写真の続きと言うことになります。望遠と広角は別のネガフォルダーに入っているので順序は特定出来ませんが。この仮定通りなら「なは・日向」は7時間近い遅れで14M「月光1号」続行していたことになります。

ネットで調べてみると「客車倶楽部」様の過去ログの中に
’71年8月、土砂崩れによる山陽線不通で「なは・日向」が岡山から伯備線・芸備線を迂回運転して広島に抜けたことがあった」
旨の記述があったのでひょっとするとその影響が出ていたのでしょうか。

代替輸送機関の少ない当時は、今のように簡単に運休とはせず何がなんでも目的地まで届けるのが特急のサービス、という様な気がします。
既にこの時、鹿児島線は全線電化が完成していましたが、日豊線は宮崎まで電化が届いていなかったため未だ82系DCでした。「かもめ」も鳥栖から先が非電化だったので同様に82系で岡山-新大阪間でどちらも一二回利用したことがありますが、車体はかなり疲れていました。
広島-岡山間では電車特急に10分弱劣りますが良く走ったなぁと思います。

 

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↑特急2本の通過を待ち(仮定)数分遅れの午前2時丁度頃発車していく302レ「音戸2号」(下関→新大阪)。
ホームのベンチにはまた郵政職員の姿が見えます。このあと2:10に216レ「つくし3号」(オユ10連結)、続いて2:22に1214レ「阿蘇」(スユ43連結)がやって来るので何れかを待っているんだろうと思います。

1971年8月14日の午前2時になったところで次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「糸崎な夜」1971年8月、その3

2009-06-07 22:10:21 | 県外(糸崎、布原 ほか)

鉄ピク・アーカイブスセレクション14「国鉄の気動車1960」が見あたりません。かの尼損にもなかったのでアキバと神保町の書泉や丸善に行ってみましたが無い。久しぶりに本屋を廻ってみていろんな趣味誌が出ているのに改めてびっくりしました。

さて、山陽本線夜行列車です。
その3は1971年8月13日の23時を過ぎたあたりから開始。

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F58の乗務員交代。広島区から岡山区への引き継ぎでしょうか。次位の客車の妻窓から12系の臨急のようですが列車名特定出来ません。

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ーム端の詰め所(事務室というのか)。鉄電やテレスピーはもちろんですがヤカンと灰皿も欠かせません。

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9218レ「天草51号」23:10(熊本→新大阪)。1番線は上り待避線です。13日は下りがピークなので上りはガラガラ、ましてこの列車は新大阪着が4:38という時間設定の悪さもあるのかもしれません。

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6レ「はやぶさ」23:18(西鹿児島・長崎→東京)。下り5レは4:52ですがホームの位置関係から上りです。「はやぶさ」は上下とも東京発着のブルトレで唯一糸崎停車でした。

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4レ「みずほ」23:47(熊本→東京)。時間が遅いせいか「みずほ」「さくら」は三原も尾道も通過です。

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18M「金星」0:11(博多→名古屋)。寝台電車も登場から既に4年経っていましたが、当時はまだみんな「月光型」と呼んでいたと思います。
この「金星」は「みずほ」の30分後、「さくら」の20分前をずっと平行ダイヤで走って行きます。

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「月光型」は三つ目なので遠くからでも識別できます。上の写真は外側を通過しているので下り列車。前後の写真から6009M「月光1号」23:22(新大阪→博多)か、11M「明星1号」0:18(新大阪→熊本)ではないかと思います。

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こちらは前照灯が腰にあるのでEF66のようです。もちろん通過。

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EF58牽引の下り列車が到着。

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205レ「日南1号」0:40(大阪→宮崎)のようです。
「日南」のサボが見えます。下り3号も寝台+座席の編成ですが、所属が大ムコなので205レと特定出来ます(下り3号の客車は都城=鹿ヤコです)。

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205レは寝台列車で座席車は二両だけ。この座席車の後ろにはマロネ41を先頭にした大分回転の寝台車4両が繋がっていたはずです。

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ほぼ同じ時間に向かいのホーム2番線を通過する2レ「さくら」だと思います。

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304レ「音戸1号」0:50(広島→京都)でしょう。
呉線廻りのこの列車は、この2年前に来た時は当駅でC62からEF58に機関車交換が行われていました。

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座席主体の定期列車、しかも停車時分があるのでいっときホームが華やぎます。

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ホームの賑わいをよそに荷扱車掌さんが執務中です。停車時間が長いのはマニを3両も繋いでいるからでしょうか。

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一方こちらは2両しかない寝台車スハネ16。所属表記が「中ヒロ」のままです。「中」は中国支社ですが、この当時既に広島鉄道管理局に改編されているはずなので本来「広ヒロ」なんですが書き換えが間に合ってないようです。(四国では四国支社→四国総局)

まもなく1971年8月14日の午前1時になろうかというところで以下次号。

 

 

 

 

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「糸崎な夜」1971年8月、その2

2009-05-24 21:55:48 | 県外(糸崎、布原 ほか)

ついに関東にも、と思ったら早速埼玉でも出ました。南東風の世代には流感(=流行性感冒)です。風邪薬も「総合感冒薬」と書いてありました。1957年以前生まれの人間には罹らないそうです、南東風は余裕でクリア。ガーゼのマスクしか使わんけんッ。

先週、2時間以上かけて作成した記事をアップしようとしたら消えてしましました。こんなことがこれで二度目です。が、めげずに再作成。連載は止めません。

 

日が暮れてからの糸崎、いよいよ下り夜行がやってきます。
今回も前2回同様、ネオパンSSSを1600相当に増感現像していますが、温度管理がズサンだったのでもっと進んでいるかもしれません。

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9603レ「みやざき」19:41(名古屋→都城)、あるいは6213レ「雲仙1号・西海51号」20:12(新大阪→長崎・佐世保)の何れかだろうと思います。

その1に掲載した列車一覧で「全指」とある列車はほとんど12系です。大阪万博から一年経ってすっかり臨急の主役になっています。

600番台の列車番号は当時名古屋-九州間の列車が使用していました。

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上記列車から乗務を終えた弁当車販さんが下車しました。時間的に岡山から乗務したのではと思います。

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岡山?に帰るため上りホームに移動しています。荷物台車移動用のエレベーター使わせてあげればいいのに・・・

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次も12系。8207レ「天草51号」22:03(大阪→熊本)、あるいは6215レ「西海1号・べっぷ2号」22:45(大阪→佐世保・大分)ではないかと思います。
時間的に糸崎下車客も結構あるようです。

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ベンチの女性二人は随分長く座っていました。左に写っている洗面所が懐かしいです。弁当・駅ソバなどの給食設備と共に幹線のちょっとした駅には必ず設けられていました。

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317M「とも3号」22:12(新大阪→三原)ではないかと思います。この時間帯には「宮島」「山陽4号」の電車急行がありますが、空いているようなので次駅三原止まりの「とも3号」ではと考えました。

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同じく電車急行ですが、乗車率が良いので305M「宮島」20:40(新大阪→広島、呉線廻り)、あるいは1411M「山陽4号」21:32(岡山→広島)ではないでしょうか。
急行「山陽」は岡山発着で翌年の新幹線岡山開業で接続列車としての本領を発揮しますが、この当時は新大阪方面から宇野行き特急「うずしお」の接続を取ってあり関西方面からの利用が考慮されていたようです。ちなみに「山陽4号」は新大阪17:25発の「うずしお3号」の接続受けです。
糸崎名物の天麩羅そば売り、提げているヤカンには出汁つゆが入っています。プラスチック製の丼には茹でたそばと天麩羅が入っており、注文するとヤカンからつゆをかけてくれます。

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9219D「佐賀」21:38(大阪→佐賀)です。当夜の数多い臨急の中でも一番特異な列車だと思います。なにせ全区間中で非電化区間は鳥栖-佐賀間のみです。※2019年1月28日「古典軌条」様のコメントを受け、この列車は筑豊本線経由だと知りました。よって小生が思っていたより非電化区間はだいぶ延びます。お詫びして訂正します。この区間を直通させるため延々と架線下油を燃やした来たのでしょうか。たぶん臨急増発しすぎで車両がなかったんでしょう。

コメントを頂戴してからの勝手な発想ですが、わざわざ筑豊本線経由にするのは、博多経由にすると圧倒的多数な福岡市民に押さえられる可能性があるんで、わざとそうしたんではないかと。どうでしょうか・・・

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そんな国鉄の事情(推察)とは関係なく、全車指定のこの列車は下りのピークとあってなかなかの乗車率です。大阪を発ってから既に4時間半、かなり疲れましたが終着まではあと9時間半あります。グリーン車のない編成からして各地の予備車の寄せ集めでしょうか。全車非冷房ですが当時四国ではかなり冷房化が進んでいたのでは。

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次の停車駅は4分後の三原。この夜、当列車の他に
「みやざき」「くまもと」と行き先をそのまま名称にした臨急が走っていました。写真右に写っているのは3年間ずっと一緒に撮ってた小松島市民K野クンです。

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13日のローカル列車もそろそろ終わりです。80系も3年前に来た時には「とも」「周防」などのローカル急行に使われていたはずですが、このときはすっかり各停の主役になっていました。

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当日の昼行優等列車の最後は1009M「しおじ5号」22:21(新大阪→広島)。
駅名標を出そうとすると列車が見えない・・・

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21レ「あかつき1号」22:27(新大阪→西鹿児島・長崎)。上の「しおじ5号」の7分後に新大阪を出ますが、4時間近く走った糸崎でもその差は変わりません。PC列車としては俊足で、表定68.37㎞/h。この後、さすがにセノハチは下りでもきついのか広島着は15分差になります。

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6215レ「西海1号・べっぷ2号」22:47(大阪→佐世保・大分)だと思います。冷房完備なのに空いています。

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ホーム端の詰め所前、助役が通過監視看視する所はスポットライトの様に照明があってそこだけよく写ります。

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10レ「あさかぜ3号」22:35(博多→東京)。この頃になると東京まで上る夜行列車がやって来ます。あさかぜはこの時刻ですでに3号(博多発17:00)。この後「富士」「はやぶさ」「みずほ」と続いて殿の「さくら」の通過は0:32頃でした。

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もうすぐ13日の23時になろうというところで今回はお終いです。
以下その3に続きます。 

 

 

 

 

 

 

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