浜松在のMacchanが現在住んでいる地域は、天竜川右岸の河岸段丘上にある。何故か大きな河川では中流から河口にかけて、地盤変動で水面から数十メートルの高さに両岸が盛り上がり更に川に削られて丘陵になっているところが多い。天竜川はその昔「暴れ天竜」といわれて、しょっちゅう水害をもたらしていた。
8世紀にしたためられた「続日本紀」という文献に、何度も洪水があって天竜川の流域が変わったという記述があるそうだ。Macchanが現在借りて耕している畑は「馬込川」の川岸近くにあるが、この川はその昔天竜川の本流だったのが洪水で流れが変わり取り残されたのが元だと言われている。江戸時代以降「治水」という観点から堤が作られ、天竜川本流の堰から人工的に水門コントロールで農業用水として使用されてきたという。
その馬込川にも支流がたくさんあって、近くには「染地川」や「御陣屋川」というのがある。Macchanが住み始めた30年近く前は、子供たちが魚とりをして嬉々として遊ぶ本拠地だった。この10~20年は「治水」を理由に、全国どこでもやってきた「川底&両岸」のコンクリート化で趣の薄い河川になってしまった。結果小魚は群れず、淵や瀬がない均一の流れになって野鳥も少なくなった。
通りかかる度に川面を覗き込むのが好きなのでよく橋の上から眺めるが、今でも大きな鯉の群れや亀が悠然と泳いでいるのを目にする。それはそれで風物詩なのだが、やはり関連の生物がたくさんいてそれを捕ったり釣りに来る子供や大人が大勢居て初めて「自然豊かな郷土」というのではないかな。
8世紀にしたためられた「続日本紀」という文献に、何度も洪水があって天竜川の流域が変わったという記述があるそうだ。Macchanが現在借りて耕している畑は「馬込川」の川岸近くにあるが、この川はその昔天竜川の本流だったのが洪水で流れが変わり取り残されたのが元だと言われている。江戸時代以降「治水」という観点から堤が作られ、天竜川本流の堰から人工的に水門コントロールで農業用水として使用されてきたという。
その馬込川にも支流がたくさんあって、近くには「染地川」や「御陣屋川」というのがある。Macchanが住み始めた30年近く前は、子供たちが魚とりをして嬉々として遊ぶ本拠地だった。この10~20年は「治水」を理由に、全国どこでもやってきた「川底&両岸」のコンクリート化で趣の薄い河川になってしまった。結果小魚は群れず、淵や瀬がない均一の流れになって野鳥も少なくなった。
通りかかる度に川面を覗き込むのが好きなのでよく橋の上から眺めるが、今でも大きな鯉の群れや亀が悠然と泳いでいるのを目にする。それはそれで風物詩なのだが、やはり関連の生物がたくさんいてそれを捕ったり釣りに来る子供や大人が大勢居て初めて「自然豊かな郷土」というのではないかな。