

座間ハーモニーホールの広報誌に出た記事の写真です。
右は本公演9/2の広報ですね。 いやいや今回驚いたのは左の広報。
いわゆる「客寄せ事前無料公演」なら3月末にやったんですよ。それがさらに7/21に再度やろうという企画。本気だな。本公演は会場を満員にするぞの意気込みでしょう。 すばらしい。 うん、ということはこの日はまた合唱でON舞台だな。よし、やってやろうじゃないの。
そういえば、練習スケジュール 7/21に予定は入っている。けど場所が「小ホール」となってるだけで、時間は「不明」となってる。こういうことだったんだ、事前公演が最初から計画されてたってことか。
当然3月の公演より中味濃くするだろうな。ということは合唱団も衣装着て、動いて歌うんだろうな。 ますますやる気が。
今日の練習で中味を聞いてみよう。 となれば、今日からは楽譜無しの、後ろで立って雰囲気付けて歌うぞ。
5/20追記
7/21は我々合唱団は歌わないそうです。先生の「オペラを楽しむ」「愛の妙薬を楽しむ」の講座とソリストさんの歌だそうです。
ただ僕たち合唱団は受講必須指示がでてます。かつ夕方からはいつもの歌練があります。 疲れそう。
18日夕方「怒りがこみ上げてくる」報道を聞いた。
「日大の監督が被害者、およびその家族に直接謝罪する方向で調整してる」んだそうです。
あの時といっしょじゃないですか。柳瀬元秘書官が国会招致を受ける前の話ですよ。
ここも「調整」する事件ですか? って言いたい。違うでしょう。調整された方法で鎮静化するんじゃなく、真実を語って、原因を明確にし、再発防止策を確立することでしょう。 その過程で個人として、組織として、スポーツマンシップたりえない事項があるなら社会的な罪を認定することでしょう。
何かあったら「調整して片付ければいい」という安易な手法、文化がはびこってませんか? 誰だ! こんな安っぽい国文化にしてるのは? だから「政治家」じゃなく「政治屋」と呼ぶんです。日大事件にも「調整」することを仕事だと考えてる人がいるんですよね。
「調整」という言い方は報道メディアが事の進展状況を表現するのに使ってる単語なんだろうか? それだったら使い方間違ってるよ。「調整」とは「A,B,C案があるけどどれにするか」を決める行為。「関係者の中でどれにする」かを決めることだと思いますが。
「日大の監督が被害者、およびその家族に直接謝罪する方向で調整してる」んだそうです。
あの時といっしょじゃないですか。柳瀬元秘書官が国会招致を受ける前の話ですよ。
ここも「調整」する事件ですか? って言いたい。違うでしょう。調整された方法で鎮静化するんじゃなく、真実を語って、原因を明確にし、再発防止策を確立することでしょう。 その過程で個人として、組織として、スポーツマンシップたりえない事項があるなら社会的な罪を認定することでしょう。
何かあったら「調整して片付ければいい」という安易な手法、文化がはびこってませんか? 誰だ! こんな安っぽい国文化にしてるのは? だから「政治家」じゃなく「政治屋」と呼ぶんです。日大事件にも「調整」することを仕事だと考えてる人がいるんですよね。
「調整」という言い方は報道メディアが事の進展状況を表現するのに使ってる単語なんだろうか? それだったら使い方間違ってるよ。「調整」とは「A,B,C案があるけどどれにするか」を決める行為。「関係者の中でどれにする」かを決めることだと思いますが。
ここにきて日大選手による反則プレーが大きく取り上げられている。スポーツ庁の鈴木長官まで意見を述べる事態だ。
確かに酷い。サッカーなら「一発退場&3試合出場停止」クラスじゃないですか。相撲でなら「拳固でパンチ」、野球でなら「打席のピッチャーに故意の死球」ですよ。あれは「一連の流れの中で起きた反則行為」では決してない。「やりに行った行為」でしょう。
だとすると「個人の意思」か、「組織にただよう暗黙の意思」か、はたまた「組織内で指示命令があった」のか が問われますね。まっそういう流れになってきましたが。
あれっ最近別の世界ですが、同じ様な事態で1年も1年半もまともに機能してない組織がありますね。確固たるルールは無視して、やりたいようにやり、自分の思いだけを実現していく。その後問題化すると、自分は関係してない、個人がやった事と逃げまくる。
日大の選手はあの試合でさらにファールを繰り返して退場処分になったらしいですが、ベンチに戻ってもコーチ、監督から注意されるでもなく、殴られることも無かった。この流れも同じじゃないですか。
お国のTOP権力者が自ら悪い「風潮」「文化」を醸成してないだろうか。
新潟の女の子の殺人なんかも「我慢できない。律っせない。」個人が増えてる現れでしょう。国のTOPが我慢しないんだもの、自らを律しないんだもの。 そしてその本人が「道徳」を語り、「憲法」を語る。 どうなってるの? 大丈夫か?
確かに酷い。サッカーなら「一発退場&3試合出場停止」クラスじゃないですか。相撲でなら「拳固でパンチ」、野球でなら「打席のピッチャーに故意の死球」ですよ。あれは「一連の流れの中で起きた反則行為」では決してない。「やりに行った行為」でしょう。
だとすると「個人の意思」か、「組織にただよう暗黙の意思」か、はたまた「組織内で指示命令があった」のか が問われますね。まっそういう流れになってきましたが。
あれっ最近別の世界ですが、同じ様な事態で1年も1年半もまともに機能してない組織がありますね。確固たるルールは無視して、やりたいようにやり、自分の思いだけを実現していく。その後問題化すると、自分は関係してない、個人がやった事と逃げまくる。
日大の選手はあの試合でさらにファールを繰り返して退場処分になったらしいですが、ベンチに戻ってもコーチ、監督から注意されるでもなく、殴られることも無かった。この流れも同じじゃないですか。
お国のTOP権力者が自ら悪い「風潮」「文化」を醸成してないだろうか。
新潟の女の子の殺人なんかも「我慢できない。律っせない。」個人が増えてる現れでしょう。国のTOPが我慢しないんだもの、自らを律しないんだもの。 そしてその本人が「道徳」を語り、「憲法」を語る。 どうなってるの? 大丈夫か?

もう食べられるんと違います? 実に楽しみ。3人の口で分けたらほんの少々か。
そうだ、土曜日に孫が来るとか言ってたな。見せてやろう。収穫はそれからだ。えっそうなると僕の口には入らんかも。
プランターを埋めてる葉は先日剪定したサザンカの小枝&葉です。キュウリは根を横に張らせるんだそうで、プランター表面の乾燥はまずいと書いてありました。わざわざ「マルチ」なんて買わなくったて、廃物利用で十分でしょうの結果がこれです。
そして問題。芯止めの続報。子蔓が伸びてこないんですが。この高さでStop? そんなことないよね。やめてよね。カーテンにならんし、実もならんじゃないか。

この写真の左奥に問題のキュウリプランターが写ってます。その手前がゴーヤのプランター。こっちも伸び悪う。同じ土を使った連作は良くないと書いてあったな。

昔から同期のまとめ役みたいなことに首を突っ込んでる身だから、「静かな積極性」で会の開催に努力してきた。
僕たちの年代は「戦後ベビーブーム」の終わり頃にあたり、同期も450名いた。ただうちの高校は当時「男子高」的な存在で女性は74名しかいなかった。
昨夜は86名(内女性12名)が集まった。開催を決めた時、目標100名と設定したのでこの点ではちょっと不満だが、一般にこの年齢になると2割が集まったら成功という話もある。ほぼその数値なので良しとするか。
会は実に簡単。大きい広間に丸テーブルを10台、洋食のコース料理を定席で頂く。席は抽選。こうしないと偏り、多くの人と話さないで終わってしまう。それじゃ意味ないでしょうで、反論もあったが押し通した。良かったんじゃないかな。着席で食事と言ってもいつの間にか移動して、話したい人と話してる。食事と歓談がほどよくMIXされた感じで2時間。そこから1時間は全くのフリーであっちでがやがや、こっちでがやがや。いい雰囲気でした。つまり何も催しは無しです。前は指名して近況報告等もやってもらったのですが、聞く人のいない中でのスピーチほどやる気のでない責任はないですからね。
最後の閉会の辞を述べる役があったが、その時の雰囲気で話た。思い着くまま素直に話ができたという自分なりの感想。参加者にも少なからず届いた内容になったのでは。要は「こういう集まりを大事にしていこうよ。これからは1人減り2人減りするんだから」みたいな話じゃなかったかな。
あっという間の3時間でした。やはりいいですねこういう集まりは。参加者も満足してたものと確信はしてる。こういう会を本物にするのは幹事さんの努力じゃなく、参加者の楽しもうとする意欲だと思いますね。 よかったよかった、記念の会が大成功で。
これから参加者からの感想がSNSで上がってくる。それも楽しみだ。
写真の掲載について:個人の特定が無い写真なので掲載可と判断した。(筆者)
今の国会、僕はもう結論を出した。だから諸問題がどこに落ち着くのか、日本国の民主度がどの程度なのかを確認しようと、静観を決め込んでいる。
そんな今日、衆院財務金融委員会で麻生大臣が辞任した福田淳一前事務次官について「(被害女性にはめられたという)可能性があることは否定できない」とまた自論を語ったらしい。糾弾され、最終的には「撤回」したらしいが・・・。
ここまでひどいと「静観」というわけにはいかん。
「誰だ! こんな非常識大臣を任命したのは。そして注意一つしない任命責任者は誰だ!」
これでは我が国の民主度は限りなく「ゼロ」に近いと諸外国から笑われてるでしょうね。それなのに安倍さんも麻生さんも堂々と「日本の〇〇大臣です」と言って、世界レベルの会議に出席されてる。これがますます日本国の評価を下げる結果になってるんじゃないでしょうか。
またまた書くが、怒りましょう国民のみなさん。
そんな今日、衆院財務金融委員会で麻生大臣が辞任した福田淳一前事務次官について「(被害女性にはめられたという)可能性があることは否定できない」とまた自論を語ったらしい。糾弾され、最終的には「撤回」したらしいが・・・。
ここまでひどいと「静観」というわけにはいかん。
「誰だ! こんな非常識大臣を任命したのは。そして注意一つしない任命責任者は誰だ!」
これでは我が国の民主度は限りなく「ゼロ」に近いと諸外国から笑われてるでしょうね。それなのに安倍さんも麻生さんも堂々と「日本の〇〇大臣です」と言って、世界レベルの会議に出席されてる。これがますます日本国の評価を下げる結果になってるんじゃないでしょうか。
またまた書くが、怒りましょう国民のみなさん。



グリーンカーテンです。西日がきつい窓に毎年カーテンを作ります。当然実利も考えてです。これまではゴーヤを2株で覆ってました。
「毎年同じじゃ」「変化つけて冒険も」って気分が働き、今年はキュウリを1株挑戦してみました。もう一つはキュウリが上手く成らなかった時の「慰め」に例年通り(失敗しませんから)ゴーヤを植えました。
まず問題が発生。ゴーヤの成長が遅い。植え付けて1週間か10日で先端が30cmほど成長して、ネットに絡み付くまでになるはずなのに、今年は芯が伸びてこない。「こりゃ欠陥品を買ったな」、安い苗だし、交換するなら早いうちにで即断。新しい苗を買ってきて植え替えました。でも欠陥苗も捨てるにしのびなく、横に植えておきました。その結果が写真。当然ですが小さい方が欠陥苗、今だにがんばる意思を見せてくれません。「晩熟」ということもあるので薄い愛情ですがかけてはいます。
さて挑戦のキュウリですが、これが元気なんです。グイグイ太い本幹を伸ばしてます。下の方にはもうキュウリちゃんが3,4本成長してます。「おうおうこれはいいじゃないか」と感激しきり。早々に自作のキュウリが食べられそう。
でも初めての挑戦なので先に不安もまだあります。「キュウリの蔓ってどんどん枝解れしてカーテンになるんだろうか?」ってこと。ゴーヤは主芯の先端は切って(摘芯)、子蔓、孫蔓を伸ばすのが育て方。キュウリもゴーヤ似だから同じだろうで、すでにかってに摘芯しちゃいました。どうなることやら。キュウリは水を大量に吸い上げるらしく土表面を乾燥させないように、朝夕の水やりが肝心と勉強しました。

斑の感じとこの赤い花のコントラストが可愛いくないですか。
生命力豊ですからいくらでも増えます。今4鉢です。
お譲りしますよ、代わりの鉢を頂ければ。
さて何のこっちゃ? ですよね。 解る人はそういう目的の写真を意識されてるか、昨日今日の「ラジオ深夜便」の4時からのトークを聞いたかでしょうね。僕は両方に該当します。
渡辺達生という69歳の写真家(女優さんの写真集でも有名な方らしい)が自分の人生を語りつつ、最近やってる「寿影写真」の撮影活動について話してくれた。「遺影」じゃなく「寿影」と氏が命名したようです。あの時あそこに掲げられる写真はもっとその人が現れてていいんじゃないか、それなのに何かの集合写真の一部を切り取り、拡大修正した写真じゃその人となりが見えないだろうと気づいて「寿影」撮影を始めたとのこと。
この思いに賛同する人達が大勢が写真撮りに訪れてるらしいです。有名人では竹中平蔵、川渕三郎、竹中直人、内海桂子、萩本欣一さん等々。一般の人も多いようです。3年過ぎたらまた撮り直ししましょうもコンセプトらしいです。
氏は撮影の際宝物を1つ持ってきてもらうんだそうです。それを手にしながら、それについていろいろ話をしてもらうんだそうです。話してる時の顔が最高なんだそうです。解るな。僕だったら何をってもいくかな? ついつい考えちゃう話だ。
「何?お前はもうそんな写真のこと考えてるのか?」と聞かれれば、「うん、少しな」と答えます。これは両親からの教育です。僕の両親は遺影写真を生前からきちんと用意しておいた人です。だからその時「写真、写真」とあわてることはありませんでした。しかも、自ら「これにしてください」との意思が入ってて、両親の人となりが感じられる遺影でした。「ぼくもああありたい」と考えるのは極自然だと思います。でも最近自分のスナップ写真ってないんですよね。逃げてるっていうのもありますね。
「渡辺さんのところで撮って貰おうかな」と考えないでもないです。あまりに高価じゃ手が出ませんがね。毎年正月に「今年だったらこれを使って写真」を用意してはと数年前から考えてはいるんですよ。
渡辺達生という69歳の写真家(女優さんの写真集でも有名な方らしい)が自分の人生を語りつつ、最近やってる「寿影写真」の撮影活動について話してくれた。「遺影」じゃなく「寿影」と氏が命名したようです。あの時あそこに掲げられる写真はもっとその人が現れてていいんじゃないか、それなのに何かの集合写真の一部を切り取り、拡大修正した写真じゃその人となりが見えないだろうと気づいて「寿影」撮影を始めたとのこと。
この思いに賛同する人達が大勢が写真撮りに訪れてるらしいです。有名人では竹中平蔵、川渕三郎、竹中直人、内海桂子、萩本欣一さん等々。一般の人も多いようです。3年過ぎたらまた撮り直ししましょうもコンセプトらしいです。
氏は撮影の際宝物を1つ持ってきてもらうんだそうです。それを手にしながら、それについていろいろ話をしてもらうんだそうです。話してる時の顔が最高なんだそうです。解るな。僕だったら何をってもいくかな? ついつい考えちゃう話だ。
「何?お前はもうそんな写真のこと考えてるのか?」と聞かれれば、「うん、少しな」と答えます。これは両親からの教育です。僕の両親は遺影写真を生前からきちんと用意しておいた人です。だからその時「写真、写真」とあわてることはありませんでした。しかも、自ら「これにしてください」との意思が入ってて、両親の人となりが感じられる遺影でした。「ぼくもああありたい」と考えるのは極自然だと思います。でも最近自分のスナップ写真ってないんですよね。逃げてるっていうのもありますね。
「渡辺さんのところで撮って貰おうかな」と考えないでもないです。あまりに高価じゃ手が出ませんがね。毎年正月に「今年だったらこれを使って写真」を用意してはと数年前から考えてはいるんですよ。