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寿影

2018年05月09日 15時50分50秒 | つれづれなるままに
さて何のこっちゃ? ですよね。 解る人はそういう目的の写真を意識されてるか、昨日今日の「ラジオ深夜便」の4時からのトークを聞いたかでしょうね。僕は両方に該当します。
渡辺達生という69歳の写真家(女優さんの写真集でも有名な方らしい)が自分の人生を語りつつ、最近やってる「寿影写真」の撮影活動について話してくれた。「遺影」じゃなく「寿影」と氏が命名したようです。あの時あそこに掲げられる写真はもっとその人が現れてていいんじゃないか、それなのに何かの集合写真の一部を切り取り、拡大修正した写真じゃその人となりが見えないだろうと気づいて「寿影」撮影を始めたとのこと。
この思いに賛同する人達が大勢が写真撮りに訪れてるらしいです。有名人では竹中平蔵、川渕三郎、竹中直人、内海桂子、萩本欣一さん等々。一般の人も多いようです。3年過ぎたらまた撮り直ししましょうもコンセプトらしいです。
氏は撮影の際宝物を1つ持ってきてもらうんだそうです。それを手にしながら、それについていろいろ話をしてもらうんだそうです。話してる時の顔が最高なんだそうです。解るな。僕だったら何をってもいくかな? ついつい考えちゃう話だ。

「何?お前はもうそんな写真のこと考えてるのか?」と聞かれれば、「うん、少しな」と答えます。これは両親からの教育です。僕の両親は遺影写真を生前からきちんと用意しておいた人です。だからその時「写真、写真」とあわてることはありませんでした。しかも、自ら「これにしてください」との意思が入ってて、両親の人となりが感じられる遺影でした。「ぼくもああありたい」と考えるのは極自然だと思います。でも最近自分のスナップ写真ってないんですよね。逃げてるっていうのもありますね。

「渡辺さんのところで撮って貰おうかな」と考えないでもないです。あまりに高価じゃ手が出ませんがね。毎年正月に「今年だったらこれを使って写真」を用意してはと数年前から考えてはいるんですよ。
コメント (4)
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