カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

コオロギの声

2016-11-15 | 雑記

 コオロギの鳴き声は美しいが、実際には(声帯による)鳴き声ではない。コオロギは羽をこすり合わせて音を出している。右の羽が上になっているが、その羽の裏側に一本のスジがある。拡大すると板状のぎざぎざが230ほど並んでいる形状になっている。そのスジの名前もそのまま「ヤスリ器」という。下に合わさる左の羽は盛り上がった部分があって、そこは「摩擦器」という。この二枚の羽を振るわせて擦り合わせることによって、音を出している訳だ。さらに羽の先の方は丸くなっている部分があって(発音鏡という)、音を増幅させていると考えられている。
 鳴き方には三種あるとされている。一匹でいるときは「本鳴き」といって、比較的ゆっくりとした鳴き方をしている。短く鋭く鳴く時は、雄どうしが小石の下などの場所を争っている時、いわゆる縄張り争いなどの時に鳴く「おどし鳴き」である。そして羽をあまり高くあげずに優しく震わせて鳴く時がある。「さそい鳴き」といわれ、雌を交尾に誘っているのである。そのように状況によって、鳴き方を変えて言語のように相手にメッセージを伝えているのかもしれない。また、コオロギは雄しか鳴かない。何か雄としての魅力や価値が、音色の感じでコオロギの雌たちには分かるものと思われる。
 コオロギの耳は実は前足についている。前足に薄い膜のある耳があって、この音色を受け止めるのである。コオロギたちは、何か人間の聞こえている音とは別の情報を、この前足の耳を使って感じ取っているのかもしれない。
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ホームビデオも映画になるかも   6歳のボクが大人になるまで。

2016-11-14 | 映画

6歳のボクが大人になるまで。/リチャード・リンクレーター監督

 題名の通りなのだが、ある少年が大学生になるまでが描かれている。それだけでは何の変哲もないが、本当にその役者さんたちが、その歳月を12年かけて撮影した。なんでも監督の自宅に毎年夏に集まって、コツコツ撮影したんだという。途中で監督が死んだとしたら、出演しているイーサン・ホークが、代わりに続きを撮るという約束までしていたんだそうだ。役者さんが死んだとしたら、完成しなかったんだろうね。
 まあ、そういうことが先ず話題になった映画なのだが、リンクレーター監督の名が知れた最大のヒット作である、ビフォア・シリーズという作品があるから、この作品も意味があるという気もする。当初「恋人たちの距離」というタイトルで最初の作品が発表された。列車で知り合ったアメリカ人の青年とフランス人の若い女が、一日中おしゃべりをするだけという斬新な映画だった(これがものすごくスリリングで面白い)。しかしその後9年して、続編が撮られる。これもおしゃべりだけ(こうなったのかと驚いて面白い)。さらに9年後、その続編まで撮られた(これは、物悲しくつらい)。通して、イーサン・ホークはずっと出ている(もちろん恋人役も)。
 結果的に息の長い映画の連作になったということらしいのだが、このような時間軸の変化の面白さに、監督は「6才の」を撮るアイディアを思いついたに違いないと思う。そして、同じ役者が徐々に年齢を重ねていく姿を映画として目の当たりに観て、確信に変わったのだろう。まさに観ている観客も(それは僕のことだが)、この変わりゆく子役の顔の変化を見て、なんだかすごいドラマを見ている実感を持つのである。何という映画だろう。凄すぎるではないか。
 でもまあ、リンクレーター監督の映画というのは、先の連作と同じく、基本的には登場人物がおしゃべりをしているだけのことである。本当にそれだけなので、何だこりゃ、と言われたら、それだけのお話である。実際の時間軸も長いけれど、映画の尺としても2時間45分これが続くと、これはいったいどうしたことだろうと思うかもしれない。観終わると、それはそれで仕方ないとは思うけれど、この映画の好き嫌いは、だからたぶん分かれるだろう。別段そんな仕掛けなんていらないんじゃないの? それはごもっともかもしれないが、ビフォア・シリーズも観てから言ってよ、と僕は思う。たぶん、ぜんぜん違う印象を持つんじゃなかろうか。何という凄まじい映画なんだと分かるはずだ。まあ、もっと時間がかかっちゃうけれど。
 それにしても少年のお姉さん役は監督さんの娘さんだったんだね。まさに家族とその付き合いのある人たちで長年にわたって映画を撮ったという、奇跡的だがほのぼのとした素晴らしく変な映画なのだった。
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超変な世界を旅する   ワープする宇宙

2016-11-13 | 読書

ワープする宇宙/リサ・ランドール著(NHK出版)

 副題に「5次元時空の謎を解く」とある。書名にもワープの文字があるし、SFチックな感じもあるが、そうして実際に内容的にもそのような傾向を感じないではないが、しかし空想科学の世界の話なのではない。不思議だが、やはり違うようだ。次元の違う話は5次元どころか10次元11次元なんかも出てくるし、10の-33乗の極小世界のことも出てくる。相対性理論と量子力学も当然基本的に出てくるし、ひも理論・超ひも理論もてんこ盛りである。正直に言ってちゃんと読んでもちゃんと理解できた自信は無い。でもまったくちんぷんかんぷんで理解不能なのかというと、見栄を張っている訳ではなく、それなりに面白く理解できていくような感覚はある。信じられない世界が繰り広げられているし、実際に観測の叶う世界の物語ではないにもかかわらず、その理屈を様々なたとえ話を交えながら理解できていくような快感がある。教科書的な概略から踏み込んだ仮説まで様々あるが、軽快な文章で飽きさせない。ただし大部の本なので、どうしても読むには根気が必要だろうけれど。
 そういう訳で最新というか物理の世界では、理論的には成り立つが、観測が極めて難しい領域の理論で物事を考えなければならない話になっている。そうでなければ説明がつかないというより、より物理世界が成り立っていることを理解するために、そう考えるより仕方がないということと、新しい理解のための飛躍があるということだ。見えている世界だけで説明がつかないことが多すぎて、しかし見えないことによってその理論が成り立つ可能性すらある。ちょっと説明に矛盾めいたことが出てしまったが、そもそも現在では観測が不可能なくらい極小であったり次元が違う世界であったりする世界の理論があるからこそ、そこにありながら何物かわっていない泡のようなエネルギーなどのものが説明不可能だし、またこれからそれらのものが分かる為の土台として、そのような理論がもっと発展して構築されていく必要がある。さらに時代が下ってそのことを観測できるような装置や方法が見つかると、恐らく後追いでそれらを証明する発見がある事であろう。近年話題になったヒックス粒子に至っても、何十年も前に理論上はあると予測されていたものが、やっと観測されるに至る環境が現代に整ったからこそ発見されたのである。
 まあとにかく途中でかなり訳が分からなくなりながら読み進んだことではあったが、そのようなわけのわからない世界がちゃんと説明されるようなシュールな現実があるらしいことを知るのは、大変に楽しいとはいえるのだった。これを説明するのは大変に難儀だけれど、知らない人よりもずっとものの見方には敏感になるのではないか。人間の頭が単に空想上作り上げた作り物以上に、現実の物理世界は異常に不可解だなんて、まったく夜も寝られない思いである。
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不利でも克服日本のワイン

2016-11-12 | culture

 日本のワインが美味しくなったと言われる。いや、ずいぶん前からそれなりに旨いという話は聞いたことがあるし、僕くらいの消費者としてなら、普通に美味しくいただいている。むしろ日本のワインの方が割高のものだって多いということも実感があるから、運送費を差し引いても価格的に同等なら、既に高級ワインなのではないかと思っていたところだ。それでも安い海外のワインというのは、そうとう安いんだろうな。
 ということなんだが、これは国際的な評価において、日本のワインの美味しさは相対的に高くなっているという話だった。もちろんそれは理由があって、実際の取り組みが功を奏して実力が認められたのだという。
 まず、他国のぶどうの産地と比較して、やはり日本は雨が多いという点がある。作物が育つのに雨は必要なものだが、雨量が多いと糖度が下がるのだという。他の作物でも聞いたことのある話だ。ぶどうの木の植え付け間隔を狭めて、互いに水分を根から吸収させにくくしたが、やはりそれだけでは糖度が上がらなかった。植え付ける土壌自体をかさ上げし、いわば水はけのよい場所で育成して初めて高い糖度を実現できたという。そのような原料である葡萄を育てることに成功して初めて、美味しいワイン造りの土台が育ったということだろう。
 さらに他のワイナリーでは、普通は後から酵母を足すところが多い中、その土壌に育つ天然酵母のみで葡萄を育てたりしていた。また場所によっては、高地にあることで寒暖の差が大きくなる。そのような環境でおいしく育つ品種を選んで成功しているところもあるということだった。
 要するに、美味しいワインのための葡萄を育てるにおいて、日本の環境は必ずしも有利では無かった。しかしそこを工夫して良いワインになる葡萄を育てることに、近年成功している成果が表れているという話である。
 もともと不利だからこそ工夫して克服するということもあって、人気が出来ても大量生産上の問題があるとか、産地の表示問題など新たな課題はあるようだったが、まずはスタート地点での水準が上がったことは、喜ばしいことだろう。ワインのことが分からないにせよ、比較的身近なところに旨いものがあるというのは、なんだかひいき目もあって嬉しいかもしれない。
 実は先進工業国というのは、ほとんど農業大国でもある。日本も事実上そうなのだが、なんとなく国内の印象としては、そのような実態は理解されていないようにも感じる。主に国内の消費として需要があれば、国内の農産品は当然活況を呈することに繋がっていく。そうやって農業というのは、消費の需要と共に伸びていくものなのだ。だとすればそれは、日本のワインを飲む消費者のレベルが、それなりに高くなっているためだとも考えていいのではないか。美味しいもののレベルが上がる国というのは、少なくとも個人レベルの幸福度も上がるような気もするが、さて、そこのあたりはどうなんでしょうね。
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それでも買う? 高額転売チケット

2016-11-11 | net & 社会

 チケット転売による高額チケット問題というのがある。コンサートやイベント、テーマパークなどのチケットが、業者や一部の転売目的の個人などから買い占められ、多くの人が正規の値段での購入を阻まれる実態がある。どうしても行きたい人や良い席を確保するためには、ダフ屋や転売サイトなどから、正規値段の数倍から数十倍という高額料金を支払わざるを得ないという(人気アイドルものでは16万円とかざらという)。電話やネット販売などのチケットの購入については、特殊なソフトウェアなどを使ったり、複数名義を使った方法などでなければ、人気のあるチケットはまず購入自体が大変に難しくなっているらしい。一般の人が正規で購入する方法が、ほとんど絶たれていることに問題がありそうだ。ダフ屋というのは都道府県の条例で取り締まれるが、正規でチケットを取り扱える業者は存在しており、またそのような業者へ転売目的でチケットを売る個人も、恐らく仕事として成り立つプロの存在として居るようだ。
 主催者側も対策は進めており、個人認証確認で購入者を特定したり、座席番号が入場以後にならないと分からない(いい席の価値が事前に分からない)ようにするなどの処置を取っているところもある。しかしながらそのために余分な課金がなされたり、入場に時間がかかったりするようなこともあるらしい。転売されたチケットをネット上で確認し、無効化するところもあるらしい。それぞれ一定の効果があり、そのような処置をしている場合には、ゼロではないが、転売実績はかなり減らせているという。
 モノの値段は需要と供給によって決まるというのは、特に間違ったものではない。不公平はあるものの、自由経済においてこのような隙間の問題をついて商売を成り立たせるという業者については、必ずしも断罪するのみで済む問題では無い。
 恐らく需要と供給のバランスが著しく欠けている場合においてのチケットの価格差が大きいとも考えられる。クラッシックやオペラなどの催しでは、最初から席の価格差が大きいなどがある。海外タレントのコンサートでは、最初から10万円のチケットが売られたこともある(聞いた話では、海外では最初から30万程度のチケット販売というのもあるらしい。凄いですね)。相撲なども、タニマチ価格で升席が売られたりしているようだ。そのような場合でも転売されることはあるのだろうけれど、やはりその実数はそんなに多くはならないのではないか。そもそも最初に設定されている正規の値段が、需要側からの感覚として安すぎるために、買い占めて高額にしても利ザヤが稼げることに(多少売れ残っても、買い占めて高額にして一部の大きな負担をする人に売りさえすれば利益は確保できる)、商売を成り立たせている理由がありそうである。
 主催者側としては、多くのファンに購入できる価格で、さらに採算ラインとしては実施可能であると判断して、もしくは一般的な常識の範囲でチケット価格を決めているのかもしれないが、そのために需要側として過剰な競争を生んでいることに無頓着すぎるのではないだろうか。また転売業者などがチケットを買い占めたとしても、経営的には赤字にならないからか。しかしながらそのために多くの席がまとまって買い占められて、結果として転売が上手くゆかず空席がみられるような会場もあるらしい。見た目にも残念だろうし、それ以上に本来獲得できる利益も失っていることを悟るべきではないか。さらにいずれにせよ購入が困難である実情を踏まえての、ファン離れを起こす危険もあるのではないか。
 転売業者などが、何らかの事情があって購入したが行けないなどの人を救済する処置としてチケットを購入し、その差額で商売をすることに対しては非難する人は少なかろう。主催者のチケットが最初から高額なら、転売サイトの安売りチケットは、逆に消費者には助かる存在になるだろう。人気の高いチケットの値段は、最初からもっと高額にすべきなのではないだろうか。
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事実は素直に見ること

2016-11-09 | 時事

 トランプ大統領の誕生となった。驚くべきことには違いないが、実はそんなに驚いていない。もともと十分ありうると思っていたからだ。そんなことを言うと後だしジャンケンみたいに聞こえるだろうけど、ひょっとするかもという可能性は、ずっと変わらずあったことではなかったか。
 それはいいんだけど、日本のアメリカ通らしい解説者で「トランプはあり得ないが」と前置きして、善戦するトランプ氏として大統領選を論じていた人たちはどうするんだろうと思っていた。ところが多くの人は、驚きはありながら、番狂わせ的な状況を説明しているに過ぎなかった。中にははっきりと絶対にあり得ないと発言していた人が、そのままそんなことを言っていた。当然ながら今後もそんな人ばかりじゃないかとも感じた。
 言いたいことは、まずはその不見識を認めるべきなんじゃないか。政治家の事を笑えないぞ。何しろブッシュ・ジュニアでも大統領をやってた国なんだから、トランプで驚くほうがどうしているんじゃないか。
 それと株価などを通じて混乱する日本などの反応を報じている。トランプがトンでも無いと、一所懸命報道していた賜物だろう。でもまあ普通に考えて、トランプ氏が言っていた通りに何かをやるかなんて、まだ何にもわかんないと思いますよ。はっきり言って、ほとんどのことは出来ないだろう。でも出来たら出来たで、それはほんとにトランプ大統領が凄いということで、面白いですけど(それで済むかは別として)。
 実はトランプ氏が大統領になるかもしれないと事前に言っていた人を、(日本人では)僕は二人しか知らない。一人は松本大氏。もう一人は向井万起男氏。二人とも本当に偉いなと思いました。実はネタをばらすと、そのおかげで僕も「トランプありうる」と考えるようになっていたのです。二人ともアメリカでの現象を実に素直に捉えて、結果は最後まで分からないと、はっきり言って(書いて)いた。それもずいぶん以前から一貫して。改めて現実を見るということを考えさせられた事実だった。
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実は爺さんキン肉マン   キャプテン・アメリカ~ウィンター・ソルジャー

2016-11-09 | 映画

キャプテン・アメリカ~ウィンター・ソルジャー/ジョー・ルッソ、アンソニー・ルッソ監督

 アメコミかなんかのヒーローの実写なのだろう。よく分からないことが多い内容だったが、要するに皆はそういう背景を了解して観ているのだろう。実は年齢が95歳という年を取らないむきむきボディの青年がキャプテン・アメリカといわれていて、先の大戦などのヒーローらしい。武器というか丸い盾を持って戦うが、いわゆる超人である。よく分からないのは年を取らないなどと一緒で、超人だが、これは鍛えてなった超人らしく、超能力やサイボーグなどの類ではなさそうだということだ。敵もよく分からないが、やはり超人で、しかしどうも組織の仲間のようでもある。アクロバティックに戦うし、一緒に戦っている女性もカッコよかったりする。そういうもんだ、ということなんだろうが、特撮は素晴らしいが、なんとなく古臭いのはそういう設定だからだろう。その上に僕のように事情を知らない人間には、物語を呑み込むのに時間がかかって、結局よく分からないことが多すぎたように思えた。
 しかしまあ、あんまり考えずにアクションを楽しむジェットコースター映画なのだろう。退屈して寝てしまって、三度ばかり見直して諦めてしまった。僕が楽しめない映画ということは、それなりに多くの人が楽しめる可能性が高いともいえるかもしれない。まあ、僕も体調が悪かったという感じもあったのかな。たぶん疲れてるんだろうと思います。今回はすいません。
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残酷の意味を体験する サウルの息子

2016-11-08 | 映画

サウルの息子/ネメシュ・ラースロー監督

 アウシュビッツにおいて、ガス室で殺された同胞のユダヤ人の死体を処理する役目を負わされたユダヤ人たちがいたらしい。主人公の男は、まさにその役目を淡々とこなしている。おそらくこれをやらなければ、自分らも殺されるということなんだろう。そんなある日、ガス室処理でも死ななかった男の子が、結局ユダヤ人医師から窒息させられ殺される。それがどうも男の息子らしい。男は自分の息子の死体を盗み、ユダヤ式にラビという司祭に弔ってもらおうと奔走する。そんな中、この死体処理の仕事をするユダヤ人たちは、蜂起して脱走を企てていくのだが…。
 映像がまず随分変わっていて、主人公の顔を数十センチ離れたところからずっと撮りつづけている。男の背後にある人物や風景などはピンボケである。男と対峙して話すなどの時に男と同じくらいの距離にいるものであればピントは合うが、後のものは、なんだかぼやけてはっきりしない。しかしながら服を脱がされて殺された死体は肌色だし、ナチの制服姿の兵隊などはなんとなくわかる。歩き回るときになんとなく見える背景も、収容所内であることは分かるようになっている。はっきり見せられてもショックかもしれないが、このなんとなくピンボケでありながら悲惨な日常であることは、ある意味想像力がかき立てられて、かえって迫力があるかもしれない。それにほとんど男と一緒に行動を共にしている訳で、この男が体験している生の感覚が、なんとなくだが伝わってくるようだ。
 人々は淡々と殺され、脱がされた衣服からは金品などが奪われ、死体からは金歯が抜かれる。殺しても殺しても次々に人が送られてきて、さらにガスでどんどん殺す。おそらく糞尿や血などを掃除して、また新しい人間をガス室に運ばなければならない。ユダヤの同胞は、何の感情も表に出さず、淡々とその処理の仕事をやり続けるのだ。
 基本的には凄まじく、そうして恐らく多くの人の胸を打つ作品だろうと思う。
 しかしながらどういう訳か、僕にはあんまり合わない作品でもあった。息子のためとはいえ、周りの迷惑を顧みず自己中心的な行動をしているようにしか、この主人公を見ることが出来ない自分がいたせいである。このような環境下にあって、せめてユダヤ的に息子の亡骸を弔いたいというのは分からないではないが、そのために犠牲になったり迷惑をしたり実際に死んでしまう人が多すぎるのではないか。
 ただしかし、ナチスものの映画の多くは、ナチスが残忍で酷いという思いが強すぎて、一方的に非難する目が存在するように思える。この映画には、その凄まじく残忍なものを描きながら、その残忍さに加担させられた同胞のユダヤ人を映すことで、何か別の客観視させられながら戦争を考えることになっているように思える。たとえ暴力に屈し仕方のない状況にありながらも、ナチスと共に人を無残に殺し続けている事実には変わりは無いのである。そうして恐らく、そのほかの仕方なかった立場にあった大衆の姿が、有刺鉄線の外の世界にも存在したはずなのである。これは映画賞を取って当然の映画であることは間違いあるまい。
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生ビールのサーバーの記憶

2016-11-07 | 掲示板

 雑誌の椎名誠のエッセイをぱらぱら読んでいたら、生ビールの話であった。生ビールを飲んで旨いのはしあわせなことなのだが、気になったのは居酒屋の生ビールのサーバーの清掃の件であった。椎名氏はこれをあまり信用しておられないようで、特に夜中に疲れて適正にサーバーを清掃していない居酒屋がたくさんあるのではないかと考えているようだった。サーバーを毎日掃除しなければ、生ビールが通る管のようなところが汚れたままだったり、残ったビールでカビが発生したりして、まずくなるという。事実そのような生ビールを飲まされた経験などがあるのだろうか。残念な生ビールはごめんだから、内容は一緒である瓶の生などを注文するというようなことが書いてあった。
 僕の学生の頃のことだからかなり昔だが、僕は居酒屋ではないがファミレスでバイトをしていた。その頃にもビールメーカーというか酒屋というか、サーバー用の樽を納入に来る業者さんがいて、そうして持ってくるたびに熱心にサーバーを清掃していた。さらに僕らバイト君たちに対しても、とにかく毎日清掃をしっかりするように注意していった。僕は店を閉める最後の時間帯のバイトが多かったので、当然この指導を受けた。細かい手順まではさすがに忘れてしまったが、これは欠かさず掃除したことは間違いが無い。カビが生えるからとかいうようなことを考えて掃除していたわけでは無かったように思うが、このような店というのは、よく掃除をさせられるものだった。僕は家ではほとんど掃除の類はやったことが無かったが、バイトでの掃除は好きだったかもしれない。早く終わって帰る為というより、これで仕事も終わりだ、という解放感もある為か、仕事の中でもこの終わりの掃除は楽しかった。厨房の元ヤンキーの先輩も、盛大に鼻歌を歌いながらじゃんじゃん掃除する。客のいないファミレスの店内というのは、独特の雰囲気に変わって楽しい気分にさせられるのだった。
 とまあ、30年も昔の話であるから、現代の飲食業の現場が違うのかどうかは僕には分からない。さらに僕の働いていた会社は倒産して今は無い。前にも書いたが、飲食の裏話としてパセリはいまだに信用できないが、ある程度のチェーン店のような店なら、必ずマニュアル化して掃除しているんじゃないかと思う。それにいくら酔っぱらいだからといって(最初の乾杯なら酔ってもいないし)、生ビールがかび臭いというのであれば、ほとんどの客は分かるんじゃないかな、と思ったことだった。
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思想を抜きに戦中を記録すると   小さいおうち

2016-11-06 | 映画

小さいおうち/山田洋二監督

 原作があるらしいが読んではいない。山田洋二監督作でミステリ作品と書いてあったので、なんとなく興味を持って観た。
 物語は亡くなったおばあちゃんの回想(手記)を中心に描かれる。おばあちゃんは戦前から戦中までの間、山形から東京へ出てきて、ある家の女中をしていた。おもちゃ会社の常務宅には、若い妻と男の子がいた。主に戦前でありながらのどかな家庭風景と、最終的には不倫劇の目撃譚という構成になっている。「家政婦は見た」戦中版、という感じなんだろうか。家政婦は見た、は見たことないけど。
 最終的には不倫劇が主になっている感じだけれど、基本的には戦前の中流から上流の東京の家庭を通して、戦渦に巻き込まれていく日本の国内事情にあって、恐らく戦後教育の印象とは違ったのどかな日本の雰囲気を伝える物語になっている。監督も戦前生まれということもあるのか、戦後生まれの人が感じているだろう当時の日本の雰囲気に対して、修正したい気分などがあったのかもしれない。劇中に様々に戦禍の様子が語られる場面があるが、一般の人間にとって、戦争はどこか他人事で、最初はむしろ冷静に考えていた様子が見て取れる。段々ときな臭くなっていくことにはなるが、特に主人公の奥さんは、戦争そのものよりも、恋に夢中になって、その時代に無頓着という感じなのだった。おそらくだが夫とも年の差がある為か、自然な若者同士が惹かれあう恋愛劇ということもいえるかもしれない。しかし女中の目からすると、平和な家庭の不和の原因となる重大な秘密であり、さらにこの家庭を愛するあまりに許せない思いがひそかにあったということなんだろう。
 確かに最後あたりで明かされる謎については、ミステリ作品と言えなくもない展開であるけれど、そういう訳で、実際の印象は戦後の教育のために勘違いしているらしい我々への啓蒙的な意味があるようにも感じた。もっとも多くの資料が語っている大衆からの圧力から政治が強権的になる様子はあまり無く、あくまでホームドラマである。戦前はあんがい豊かそうな日本の姿があって(例えば女中とはいえ、給与というより家族のように生活できることで両方が満足しているような感じ。貨幣を伴わない侍従関係とでもいうような)、そういうものに満足していた人々の生活があったのかもしれない。さらにひょっとするとミステリと言えるのは、このおばあちゃんが生涯独身を通したことにあるかもしれず、そうするとちょっと深読みもできるかもな、などとも考えたところだった。
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北の将軍よりも怖いかもしれないサウジ

2016-11-05 | HORROR

 サウジアラビアのことが紹介されているドキュメンタリーを見た。サッカーのアジア予選で戦うことのある国くらいしか知らなかったので(それに案外親日国とも言われている)、ちょっとした驚きだった。なんとなく中東でも平和な国なのかもしれないとは思っていたが、とんでもなかった。
 まず、国自体がサウード家が統治している王国である。一応表向きには政治体系があるように見えるが、一族が政治も支配しており、事実上家族会議が国会のようだ。国土も広く13の州があるが(砂漠が多いようだけど)、これの知事も一族でなければなれない。法律や憲法もあるんだか無いんだか。いや、イスラムの戒律を基本にしているとはいえ、判決はかなり恣意的な感じのようだ。殺人や強姦は死刑で、麻薬や同性愛も死刑である。戒律に反するものは重く、ポルノなども重刑に処される。飲酒は鞭打ち。酒瓶は見つかればすべて割られる。窃盗は手首切断もある。死刑は斬首で、遺体は高い場所などにさらされる。裁判はあるようだが、街頭で警察などが目に余るもの(と彼らが判断したもの)は、そのまま斬首しているように見える映像も紹介されていた。勧善懲悪委員会というものがあるようで、宗教的に認められないものを取り締まり、逮捕する。女性がベールを被っていなかったり、さらに化粧などをしていると、殴ったり蹴ったりしていた。基本的に女性には人権は認められていないということらしく、男性と一緒でなければ自由に歩くことも出来なさそうだった。女性が一人で買い物していたら、通りがかりの機嫌の悪い男は殴ったり蹴ったりしても咎められない。もちろん仕事もできないし車の運転もできない。貧富の差も激しく、女性が生活のために物乞いをあちこちでしている。国民の四分の一は貧困層らしい。一方でサルマン国王の個人資産は、日本円で約910兆円といわれている。例えば一日一億使っても365億しか一年で減らない訳だから、もう少し国民に分けてもよかろうと個人的には思うが、たぶん国王はそうは思わないのだろうと思う。それにしても一日一億使うだけでもずいぶん大変だろうな。よく分からんが。
 報道の統制も厳しく、これらの映像はすべて隠しカメラだった。外国人を見つけると勧善懲悪委員会が寄ってきて撮影をしていないかチェックしている。捕まればどうなるか分からない。音楽は原則禁止で、公園でギターのようなものを弾いていた人は、指の骨を折られ、もちろん楽器も壊されていた。もちろん反発する人もいて、ツイッターで自由な発言をしている人が紹介されていたが、ほどなく捕まり、行方が分からなくなった。また自由な格好をしたいとしている女性活動家も、事実上の軟禁状態のようだった(地位の高い女性かもしれない)。
 観光ビザはおりないから観光客はいない。言論統制もしかれているし、このような恐怖政治だから、危なっかしくて人々はうっかり何も言えない。サウジには壁にも耳があるというらしい。日本にも障子に目あり、ともいうが、それは困ったことである。
 このような国であるが、おおむね西側はそのような現状に事実上目をつむっている。そのようにして外交上友好関係を結んでいる(日本もそうだ)。理由は既に分かっているだろうが、サウジアラビアには、世界一の石油の埋蔵量があるからであろう。また、石油価格は上がり下がりはあるものの、サウジが増産すれば、消費国の経済はそれなりに助かるわけだ。サウジ国内の人権よりも、自国の経済の方が政治的には重要という本音の現れかもしれない。我々の暮らしの安定のために、彼女らの犠牲になった人権があるという図式になるのかもしれない。まったく、あらためて考えさせられる王国の姿である。
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お父さんが偉いと思う、平野レミ

2016-11-04 | 雑記

 新聞読んでたら「平野レミ」。個人的にはこのようなテンションの高い人は苦手だが、まあご年配の方だし、お元気なのは何よりかもしれない。ともあれしかし、実はあんまり知らない人でもある。和田誠さんの奥さんだったんだ! 僕は和田誠さんの映画評が大好きで(もの凄い情報量。さらに一連の仕事も素晴らしい)、本当に尊敬してるんです。
 高校生の時に英語の授業で英文を訳していて、15分くらいたって先生が「訳しているところが違うよ」と指摘。「早く教えてくれないなんて意地悪。こんな学校もう嫌だ」と思って「みなさんさよなら」といって教室を出てしまう。父に学校やめたいと言ったら、すぐに認められた。父は、徹底的に好きなことをすればいいと…。それで、好きだったシャンソンを歌うために歌手になるが、シャンソンでは売れないと言われ歌謡曲を歌わせられた。で、4枚目のレコードが「カモネギ音頭」。嫌になって歌手もやめてしまう。しばらくして、辺見マリの写真の下に(恐らく間違いで)平野レミと書かれてある新人歌手のパンフレットを見た関係者のおかげで、可愛いからという理由(ラジオなのに。まあ、久米さんの考えかもしれない)で久米宏のラジオ番組に採用される。それで久米さんのラジオを聞いていた和田誠が気に入り、久米さんはダメと言ったが、出会って一週間で結婚した。
 その後出産子育てを経て料理番組に出演して人気が出て、自身が開発したフライパンなどが売れたりした、のだそうだ。なかなか面白い人ですね。長男さんの奥さんが上野樹里で、二男さんの奥さんがモデルさんだそうだ。まあ、そのあたりはどうでもいいか。
 まあ、これらは僕のためのメモ。しかしだからといってこれから平野レミが出ているテレビを見るかというと、それは分かりません。でもなんとなく、これからも末永く人気が出るといいな、と思いました。
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鏡に自分の姿を映そう

2016-11-03 | Science & nature

 野菜の無人販売や、オフィスの料金箱へ投げ銭するようなコーヒー・メーカーなどで、小銭の持ち合わせが無かったなどの理由なのかどうか知らないが、無銭で失敬する輩というのは一定数いるらしい。相手の善意に期待して、あえてそういうシステムを採用している立場の人からすると、なんだか悲しい現実を思い知らされることになるということだろう。ヒトは性善説にあらず、ということまで思い及ぶ人もいるかもしれない。
 かといって自動課金する装置を作ったり、人間が常駐するような経費もかけられない。いっそのこと止めてしまうというのも世知辛い。せめて継続できるくらい被害を少なくできないものだろうか。
 一般的に知られているのは、第一は防犯カメラの設置だろう。近年の記録媒体は膨大になっているので、撮りっぱなしでもかなり放置できる。もっともカメラ自体を壊される等の二次被害の可能性も残るが。また、そういう大仰なこともしたくない、という心情もあろう。
 人の目を巨大化させて壁に貼り付けるというのも効果があるらしい。見られているという意識が、そのような不正を押しとどめる効果があるのだろう。目だけではかなり不気味だから、人の顔(ポスターなんかだろうか)でも少しくらいは効果があるという。他人の目の意識は、出来心防止になるのは間違いなさそうだ。また、鏡があるのも悪くないらしい。不正を働く自分の姿を見るのは、耐え難いことなのかもしれない。
 受験生の机に鏡を置くと、休憩時間が短くなるというデータもある。一日のスケジュールを守れないような人の机を鏡の前に置くと、スケジュールを守るようになるとも言われている(実際仕事がはかどるという実感のある人が多いらしい)。経理担当者の机のそばには、必ず鏡が必要かもしれない。
 ちなみに女性の多くは鏡を前にして化粧をされている訳だが、まあ、それは不正とはちょっと関係ないのでしょうね。失礼いたしました。
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血糖値スパイクから身を守る

2016-11-02 | HORROR

 健康診断の結果は正常でも、食後すぐに短時間だけれど急激に血糖値が上がるような人がいるという。これを「血糖値スパイク」と呼ぶらしい。問題なのは特別に検査しなければ分からないことと、この血糖値スパイクを日常的に繰り返している人は、血管が傷つけられ、突然死やガンの発症、認知症へのリスクがあがるなど、さまざまな問題を引き起こす原因であるということのようだ。
 メカニズムとしては、食後誰でも血中の血糖値はある程度上がるのは当たり前だが、膵臓からインスリンがでて血中の糖を細胞に取り込むということがなされている。ところが人によっては細胞が、この糖を上手く取り込めない場合がある(個人差であるとか、生活習慣などに原因があるらしい)。そうすると当然血糖値は跳ね上がる。それでは困るということでさらにインスリンは大量に放出されるが、それが体にはいろいろと都合が悪いらしい。
 まず細胞が糖を取り込めない状態で、大量の活性酸素というものが発生する。これが血管そのものを傷つけることが分かっている。血管の壁が傷つくと、それを修復するために免疫細胞が血管と細胞の間に入り込み、その結果血管自体が狭くなる。これがいわゆる動脈硬化で、動脈硬化が起こると、心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高くなるというわけだ。そういうものが突然死ということにもつながる。
 また多量のインスリンが放出されると、記憶力が低下することが分かってきた。脳内を調べると、アミロイドベータといわれる物質が増えていることが判明。この物質がアルツハイマー型認知症の原因とされ、神経細胞を殺す有害な老廃物であることが分かっている。要するにこのアミロイドベータを大量に蓄積させることに繋がっている。また、インスリン自体が細胞を増殖させる作用があって、がん細胞を増殖させてしまう危険もあるという。
 まったく恐ろしいことだが、そのような血糖値スパイクを起こしているだろうとされる人は、推計で日本に1400万人いるとされる。40歳以上だと2割ほどが疑われるらしい。いわゆる肥満やメタボ予備軍のような人ばかりでなく、痩せている人でも体質なのか生活習慣のためなのか、一定以上潜んでいる。
 しかし悲観してばかりで諦めるのは早い。ちゃんと予防する手立てはある。しかもそんなに難しくは無い。
 まず、食べる順番である。先に野菜を摂り、肉魚を食べ、最後にご飯やパンを食べるといいらしい。まあ、そうかと思うけど、肉魚をご飯と一緒に食べるから美味しいともいえるので、最初の野菜以外は、それなりに難しいかもしれない。
 また、正常値の人でも朝ごはんを抜くと、その後の食事で血糖値スパイクが起こることがあることから、食べる間隔をあけすぎるのも良くないのかもしれない。翌日検査の人などはどうするんだとも思うが、病院だからそれは無視するかもしれない。検査後ガッツリというのは、危ないかもしれない。また、習慣的には朝ご飯は食べましょうという常識的なことかもしれない。
 三つ目は、食後にはむしろすぐに体を動かす方がいいらしい。すぐに寝ると牛になるという迷信はあるが、以前は食後の運動は控えた方がいいと言われていたことも聞き覚えがあるかもしれない。血流が筋肉などに流れ、胃の消化吸収を妨げるためである。逆にいうと消化吸収が遅れることになって、急激な血糖値上昇も抑えられるということらしい。激しい運動をする必要は無く、食後に軽く散歩する程度でいいらしい。
 どうも自覚症状があるような現象ではないようで、結局は自分なりに防御としてそういう可能性を排除すべく生活習慣を考えるしか、今のところ方法はなさそうだ。考えてみるとそれらの習慣が極端に負担になるとも考えにくい。むしろ血糖値スパイクで将来に不安がある方が、恐ろしい日常というべきなのではなかろうか。
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ひろい机にご用心

2016-11-01 | 雑記

 営業などを別にすると、机を前にして仕事をしている人というのはそれなりにいると思う。特に経理などを担当している人は、基本的に座業というか、机の前に座っている時間が長いことだろう。映画なんかで会社の場面などがあると、特に大会社のオフィスなんかは、ずらりと机が並んで、多くの人がそれぞれに机に向かっていたりする。壮観という感じだが、皆が一斉に座って何かしている生産性って不思議ですね。
 実際には知らないことだが、たぶんこれもテレビか映画の影響だろうけど、雑誌の編集だとかテレビ局などのようなオフィスだと、実にデスクも煩雑に使われている印象がある。資料などがうずたかく積まれ、机の上にはものを広げる余裕も無い。さらに紐などに写真などをつるしたりして、無いスペースを無理やりに活用したりしている。まったく大変である。資料などが多いと言えば、例えば研究室のように多少のスペースの余裕のある大学教授などの部屋でも、机の上に煩雑に書類が積まれて、その埋もれた先に先生が座っておられるような場面も時に見られる。整理が悪いというか、あの空間で探し物が見つかるはずが無いようにも思われる。もうあれは、どうしようもないという絶望感のようにも感じられる。
 一方で、大会社の社長などは、広々としたソファーを備えた不必要に広い部屋の奥に、さらに広い机がドカンと置かれて、机の上にはもちろん広々としたスペースがある。たまに書類が乗っている場合もあるかもしれないが、済めば秘書などが、それらを違うところに運んでいくのだろう。抽斗の中にはキューバ産の葉巻なんかが隠されている。事実上仕事で机を使う主目的などないのではないか。
 ところで世の中には様々な不正事件が起こっている。殺人や強盗はともかく、会社などの経済活動においても、よからぬことをたくらむ輩は後を絶たない。特に横領など、自己中心的な犯罪に手を染めてしまう人というのは、働いている人の中に紛れ込んでいるようだ。
 世の中には暇な人がいるようで、このような犯罪者とふだん働いているデスクの作業の出来る広さに相関関係があるとした研究があるのだそうだ。広いスペースが与えられている立場の人ほど、横領などの犯罪に手を染めやすいのではないか、と言われている。社長などが会社の金は俺のものだという考えを持っているのかはともかく、大きな組織の社員においても、ある程度の机の広さを持つことが許されている立場の人は、犯罪に手を染めやすいとも言われているらしい。
 まさか横領を恐れてデスクのスペースを平社員に与えていないということでは無かろうが、横領さえできない権限の人だから、机が狭いのかもしれない。逆に、監視の目が届かないような広さが確保されると、人間というのはイカンことを考えてしまうのかもしれない。むやみに広い机を欲しがる人が会社にいたら、要注意かもしれないです。
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