カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

青色にはご注意

2016-11-23 | 境界線

 日々徐々に衰えながら生きていると思うことがある。それは他でもなく目の衰えで、とにかく生活の中で見えにくいものが増えた。小さい文字を近づけたり遠くしたりメガネをはずしてみたりして忙しい。子供の頃にご年配の大人が同じようにいろいろ苦労しながら文字を読もうとしている姿を見て、何をしているんだか不思議に思ったことがあるように思う。そのうちに僕は近視になって眼鏡をかけるようになったが、老眼というものがあるというのは、言葉の意味としては理解できても、その後の将来に自分に降りかかることがあろうこととはとても信じられなかった。虫眼鏡でなければ見えないようなものならともかく、老眼の人以外には何の苦労も無く読める文字が読めなくなるなんてことが本当に起こるのか。しかしそれはちゃんと起こってしまった。悲しいが何よりそれが事実として正しいことを身をもって理解できるのである。
 老眼とは別に、少しの暗がりで色の識別が難しくなっているらしいことを知った。特に紺や黒との区別がつきにくくなっているという。ベージュと白なんかも怪しくなっているらしい。よく似た色の靴下を、交互に違って履くようなことが起こるらしい。十分に明るいところなら問題なく識別できるが、多少薄暗いとか、蛍光灯の色合いなんかでも見間違うらしい。これは年齢の経過が最も多いが、それなりに若くても間違う人がいるらしい。
 なんでも人になる前のはるか前、哺乳類のご先祖様が海水生活から陸へ上がって行った頃の話。海(水)の中では青い色を見分ける能力が高かったが、陸に上がると青以外の色を見分ける能力が必要になる。そうして青を見分ける色覚というものがどんどん少なくなって、人になるとむしろ青を見る能力の方が少なくなってしまったのだそうだ。その上に加齢による目のレンズのくすみと、青を見分ける色覚自体が衰えるために、見分ける能力が落ちてしまうらしい。結構壮大な歴史の流れが原因らしい。これはもう個人の力ではいかんともしがたい。
 青が見えにくくなることで大きな危険にさらされるのは、ガスコンロの火の色を見落としたりすることなどがあるらしい。じゃあオレンジ色ならいいかというと、それは不完全燃焼の可能性があるから、別の危険が生まれそうだ。もう見えないのならオール電化にするか。それも災害などで不便なこともあるらしいし。
 青い空が見えなくなるという話では無ないし、悲観ばかりもしてられない。出来るだけ明るい場所に出て、物事はしっかり見るようにしなくては。あんまりしっかり見たくないものは、そのままにしておいてもいいかもしれないけれど。
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