カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ホームビデオも映画になるかも   6歳のボクが大人になるまで。

2016-11-14 | 映画

6歳のボクが大人になるまで。/リチャード・リンクレーター監督

 題名の通りなのだが、ある少年が大学生になるまでが描かれている。それだけでは何の変哲もないが、本当にその役者さんたちが、その歳月を12年かけて撮影した。なんでも監督の自宅に毎年夏に集まって、コツコツ撮影したんだという。途中で監督が死んだとしたら、出演しているイーサン・ホークが、代わりに続きを撮るという約束までしていたんだそうだ。役者さんが死んだとしたら、完成しなかったんだろうね。
 まあ、そういうことが先ず話題になった映画なのだが、リンクレーター監督の名が知れた最大のヒット作である、ビフォア・シリーズという作品があるから、この作品も意味があるという気もする。当初「恋人たちの距離」というタイトルで最初の作品が発表された。列車で知り合ったアメリカ人の青年とフランス人の若い女が、一日中おしゃべりをするだけという斬新な映画だった(これがものすごくスリリングで面白い)。しかしその後9年して、続編が撮られる。これもおしゃべりだけ(こうなったのかと驚いて面白い)。さらに9年後、その続編まで撮られた(これは、物悲しくつらい)。通して、イーサン・ホークはずっと出ている(もちろん恋人役も)。
 結果的に息の長い映画の連作になったということらしいのだが、このような時間軸の変化の面白さに、監督は「6才の」を撮るアイディアを思いついたに違いないと思う。そして、同じ役者が徐々に年齢を重ねていく姿を映画として目の当たりに観て、確信に変わったのだろう。まさに観ている観客も(それは僕のことだが)、この変わりゆく子役の顔の変化を見て、なんだかすごいドラマを見ている実感を持つのである。何という映画だろう。凄すぎるではないか。
 でもまあ、リンクレーター監督の映画というのは、先の連作と同じく、基本的には登場人物がおしゃべりをしているだけのことである。本当にそれだけなので、何だこりゃ、と言われたら、それだけのお話である。実際の時間軸も長いけれど、映画の尺としても2時間45分これが続くと、これはいったいどうしたことだろうと思うかもしれない。観終わると、それはそれで仕方ないとは思うけれど、この映画の好き嫌いは、だからたぶん分かれるだろう。別段そんな仕掛けなんていらないんじゃないの? それはごもっともかもしれないが、ビフォア・シリーズも観てから言ってよ、と僕は思う。たぶん、ぜんぜん違う印象を持つんじゃなかろうか。何という凄まじい映画なんだと分かるはずだ。まあ、もっと時間がかかっちゃうけれど。
 それにしても少年のお姉さん役は監督さんの娘さんだったんだね。まさに家族とその付き合いのある人たちで長年にわたって映画を撮ったという、奇跡的だがほのぼのとした素晴らしく変な映画なのだった。
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