沖縄みそ汁
2016-11-17 | 食
沖縄に行くと食べ物がずいぶん違うな、と思う。これは同じ日本なのに、という前文が必要かもしれない。同じようなものがたくさんある中で、やはりなんだか勝手が違うような、そんな気がする。というか、まさに違う旨さがある。例えば豚肉料理はたくさんあるけど、沖縄で食べる豚肉料理は違う工夫があるのだ。もちろんそれが楽しくておいしい訳だが。
地元の人が行くような店がいいとリクエストして、連れて行ってもらったことがある。そこは普通のソーキそば屋さんというか、大衆食堂のような店で、昼時より少し前だったにもかかわらず、すでに混んでいた。多くの人は沖縄そばも食っていたが、何か違うモノが入っているどんぶりとご飯を食べている人も結構いる。あれは何だろうと漠然と思っていたら、「味噌汁」だという。みそ汁というふつうのネーミングに、普通の人は完全に驚くのではないかと思う。かくいう僕は、かなり驚いた。何故なら、ふだん僕らが朝から食べているみそ汁とは、その風格がまったく違う。鍋物の具をどんぶりにそのまま移して、さらに何か手を加えているような感じがする。それは普通はみそ汁とは言わないはずで、しかし目の前にはみそ汁と言われている現物がある。普通はご飯に何かおかずがあって、そうしてみそ汁もついて嬉しいな、と思っていたところが、みそ汁そのものがメインのおかずとしてまずあって、それにご飯がついている図式になっている。それは何か構図そのものが狂っているというか、何か3次元の世界とは違うモノであるような、衝撃の食べ物のように見えるのである。
ということで、その時の僕は、あまりに驚いて食べたくなくなってしまった。結局沖縄そばを食べたと思う。精神的に逃げたと言われたらそうかもしれない。味噌汁に負けたくないと思ったのかもしれない。二日酔いにもいいよ、と言われたけど、二日酔いだと思われたくなかったのかもしれない(何しろほぼ毎日二日酔いだし)。そういう訳で、これは宿題として僕の中に残された課題のような記憶である。さらに実はこの具の中に、ランチョンミート(スパムだろうか)のようなものが入っているのが見えた。そのようなものが入っているというのが、もちろん入っていてもいいのかもしれないけれど、何か僕の心の保守的な部分に、警告のようなものを発したのかもしれなかった。今考えると、残念な狭量さだったと思う。人間に一番大切な何かを忘れていたに違いない。まだきっと、若すぎたのが悪かったのだ。
ということなんだが、来年は沖縄に行く機会がありそうなんだよな。今からなんだか少し、ドキドキしているかもしれない。