カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

勢いが必要だ

2007-12-05 | 雑記
 公園で杏月ちゃんのリードを放すと、脱兎のごとく駆け出して、放れていることに気付くと、僕の方めがけて、またものすごい勢いで駆けて戻ってくる。そのままの勢いのまま抱きしめると、たまらない幸福感に包まれる。勢いよく生きているって本当にしあわせだなあと思うのだ。大人になるとこの勢いが出せなくなるので幸福が減るんじゃないかとさえ思う。子供を見ているとしあわせなのは、ただ可愛いというだけじゃなく、そういうわけの分からない勢いのよい生き方に影響されてしあわせを感じているんじゃなかろうか。それはただ元気というものとは違う純粋な信念のようなものだ。子供や動物の生きているという実感が、いつの間にか忘れ去れることによって、大人というか、日本人が出来上がっていくのではないかと僕は疑っている。それって、本当に成熟なんだろうか。まだ僕は完全には大人になりきっていない感じもするけれど、子供にも戻りきれないというところでもある。引き返すというか、せめて勢いは持っていたいものだと思う。だって、しあわせだって思える毎日を送れることは、人生の最大の目的なんじゃないだろうか。あとのことは、全部付属品のようなものじゃないか。そこから個人のわがままとか何とか言うような話になりがちなのは、既に大人の悪いところだ。考えないじゃないが、勢いって重要なポイントだと、杏月ちゃんは教えてくれているのだろう。

 仕事でものすごくたくさんの書類に印鑑を押して、数字もたくさん見て、本当に疲れた。右側に積んであった書類が、仕事が済むと左側に積み上げられていく。左側の書類の山が高くなって右側の書類が全部なくなってしまうと、ものすごく愉快な気分になった。つまらない仕事のようで、やっぱり済ませるということが、成果が分かるということが、幸福感になるということなのだろう。モジモジして後回しにしている自分もいるのだが、エイヤッと重たい腰を上げて手を出して、良かったなあと思う。まあ、次もあるわけで、一時の幸福感なのだが…。

 昼にうどん屋に入ってカウンターの席に着くと、オープンキッチンなので厨房の仕事振りを眺められた。けっこう繁盛しているようで、次々にうどんを釜でゆでてゆく。うどんの玉をホイホイと手に取りカマに投げ入れたり、茹で上がったうどんの湯を切って並べられた丼や土鍋などに移していく。器を準備するおばちゃんも忙しくそのうどんの上にトッピングしたりしている。忙しいのは大変だろうけれど、こういう忙しさはあんがい楽しいんじゃないかとも思う。ホイホイどんどんうどんを茹でて、幸せが続くといいなあと思った。僕はなんとなくうどんは遠慮してワカメそばを食ったのだが、この店はうどん専門店なので、そばのほうはたいして旨くなかった。次はちゃんとうどんを注文できるように、精進を重ねようと思うのだった。
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