カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

壁は崩壊した

2007-12-03 | 時事
 福岡国際マラソン中継を堪能する。現代の高速レースそのものの展開に時代を感じる。国際的には駆け引きというか、こういうサバイバルのみのレースというのが、マラソンの姿になったのかもしれない。いや以前からそうだったのかもしれないが、さらにその厳しさが如実に現れているという感じだ。そういう中で佐藤敦之は流石に見事で、非常に力強いものを感じた。スピードレース出身者でないと長距離も制することは不可能になったのだろう。
 今回初マラソンだというのに、マラソンの準備を一月しかしていないらしいというのに、まさにワンジルは驚異的だった。新聞を読むと、流石に練習の時は40キロはしんどかったという話で、トヨタの監督さんの談話も「初めて彼が人間だったと知った」というようなことである。それでも本番にちゃんとその力を発揮することが出来るのだから、なんという非人間的な力だろうか。ある意味でこのコメントの意味も凄まじいのだが…。
 人間は確かに平等であるべきだとは思うが、アフリカ勢の身体能力の高さは、同じ人間ではないことを証明していると思う。努力で超えられる壁ではないのではないか。もちろん彼らは能力が高い上に、非常にまじめに努力もする。当たり前のように日本語でインタビューも受け答えできる。誠実で人格的にも偉いのだ。ワンジルは年齢も21歳であることを考えると、経験がモノをいうマラソンという競技において、その将来性は計り知れないものがある。最後まで競っていたエチオピアのメルガのような、普通にものすごい人が大勢いるアフリカ勢において、それでも頭ひとつ抜け出す力のある人間は、まさにワンジルのような人なのではないか。これから続く駅伝も目が離せなくなってしまった。

 チャンネルを変えると大学ラグビーも試合をやっていて、これも早稲田の驚異的強さに圧倒された。これは同じリーグのチームではない。これだけ普通ではない軍団が出現したことは、次の段階に行かない限り通用しないということである。日本においてのラグビーというスポーツは、間違いなく次のステップを踏んでいる。そしてそれが出来るということを早稲田が証明している。壁が崩れたということを、まさに目撃した。これが社会人や、高校などに波及すると、本当に面白いことになるのではないだろうか。

 上限というのは、自分自身が決めていることだ。こういうショッキングなレベルの高さを見るにつけ、自分自身のブレークスルーも必要だなあとは思う。次元が違うからあきらめるのではなく、自分自身も次の段階まで、まずは登る努力をしなきゃ、ということだろう。
 なんとなく元気になって散歩していると、体が暑くなって上着を脱ぐほどになった。それでもぐんぐん歩いていると、やはり気温は下がってきて汗が冷えて寒いのだった。ま、計画して戦略を練ることからだな、ということである。気分だけでは駄目なようだ。
コメント
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