カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ゴミを棄てにいく

2007-12-22 | 雑記
 男子棟の出入り口の喫煙所のそばの階段下に、日頃から空き缶などを積んで置いている。基本的に溜まったら棄てに行くのだが、今回はたまったのと年末恒例なので棄てることになった。二tトラックにコンパネを組んで嵩を増す。どんどん放り込んで積み上げる。軽トラックにガンガンなど。電池に人形などもある。ワゴン車にオムツや燃えるゴミ、蛍光灯など。布団、ベッド、畳、化粧品の瓶、ハンガー、陶器、額縁、ダンボール、雑誌、プラスチック、プリンター、カラオケセット、傘、靴、タンスの破片などなど。こうしてみると随分たくさんのものが棄てられているものだ。全部いらなくなったもの。白いトカゲも住処を失い寒空の中どこかへ這っていった。
 ただ棄てるものを車に積むだけではない。ペットボトルの蓋も分けなければならないらしい。分別しながらなので7人がかりで一時間ばかりの作業になった。
そうやって集めたゴミを30分ばかりかけてゴミ処理場まで持っていく。田舎なのでゴミを集めに来ることはない。皆自分で処理場まで持っていかなければないのである。
 不便なせいもあるかもしれないが、田舎の人はマナーが悪く、そこら辺の山に勝手に棄てている人も多い。田舎に限らずわざわざ遠くから棄てに来る人もいるという。職場へ通じる道の脇には延々とゴミが棄てられている。ゴミが棄てられているところには、また新たなゴミが棄てられていく。たぶん罪悪感が薄れるのだろうと思う。悪の連鎖のゴミ街道である。斜面ところにはゴミの不法投棄禁止の看板がある。拾う人はいないのである。
 最近は街中でもゴミ箱が減っている。テロ対策だとかいう話を聞いたことがある。ようわからんがすさんだものだなあと思う。
 つれあいは家の掃除をするとき、あえてさらにゴミを散らかすのだそうだ。これだけ散らかったら掃除しなければならならない、ということになるらしい。
 養老さんは子供から「どうせ散らかるのだから掃除しても一緒」だと屁理屈を言われたとき、「どうせ死ぬのだから今死ね」と言ったという。
 ゴミを拾うのは人間が生きているということなのだろう。ゴミが散らかるのは死にかけている証拠なのかもしれない。
 処理場でゴミを棄ててトラックを計測してもらって料金を払う。そうして一服して缶コーヒーを飲んだ。生きている限りゴミを生産し続ける。人間って因果なものだとつくづく思うのだった。
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