カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

時をかける少女/細田守監督

2007-12-06 | 映画
 ずいぶん昔から何度もリメイクのあるのは何故なのだろう。もちろんお話がいいということはあるけれど、この話を作りこみたいという欲求もあるということだろう。繰り返しというのは、アイディアとしてやはり面白いのである。ちょっと違うが似ているというか、ついでにお勧めは「タイムアクセル12:01」とか、「恋はデジャ・ブ」なんかも観てはどうか。名作ではないが、それなりに一連の繰り返しを楽しむことが出来るだろう。そして、やはり共通するのは切なさだ。時間とは切ないのである。
 ところで実写版なら僕らの世代は原田知世なのだが、既に彼女の存在が切ないなあと思う。高校の頃以前(たぶん中学)彼女と同じクラスだったというヤツがいて妙に羨ましいと思ったが、こればかりはどうにもならない。僕は理系クラスだったのでほとんど女のいない上に、女優さんになりそうな人もいなかった。まあ、それは彼女らのせいではないけれど、僕らだって誰も有名になりそうなヤツもいなかったわけでお互い様だ。しかしながら断然無名の方が人間はしあわせだろうとも思うので、それはそれでいいのだ。そういうわけで原田知世の「天国にいちばん近い島」というのを諫早の映画館まで観に行って、かなり強烈に失望した思い出までも懐かしい。誰もが思うことだろうが、いつまでも男の子のような子供っぽい声が良くて、話の内容はどうでもいいが、話を聞いていたくなるような心地よさがなんともいえない魅力として、彼女のアイドル生命を持続させているのではないだろうか。
 それにしてもこのアニメはなかなかいい出来だと思う。はっきりいってかなり感動した。ウチの息子は「これってジブリ」と聞いてきたが、そういう水準という意味なのだろうか。
 運命というものはそんなに信じていないけれど、このように時間ともにパラレルに物事が進行していくという考え方は、僕には限りなく恐ろしい。自分自身は連続して存在しているので時間を飛び回っていても支障がないようだが、ある時間において進行していくそれぞれの人たちの運命はどうなってしまうのか。未来というものはこの話を元にするとひとつだけではなく無限に広がっていってしまう。夢を壊すようだが、タイムマシンがこれから先も発明されないのは、このような矛盾を解決できないからではないか。いやしかし、タイムマシンが出来る未来軸に生きている人と、そうでない軸にいるだけであるという考えも出来るわけで、この理屈を支持するだけでいくらでも空想は広がりを見せそうだ。時間とパラレルということの組み合わせが、いまだにSFの世界で人気があるのはそのためだろう。問題は必ず話が進行する上で矛盾が出来るので、そこの理屈を旨くぼかす必要がありそうだ。説明が過ぎても話のテンポを奪いかねない。
 この映画が成功したのは、そういうことをあえて明言していない世界観の構築に成功したためだろう。本当に見事なリメイクで、以前の作品も汚すこと無く実にあっぱれであると思った。

追伸:恋の駆け引きに負けた人間が何故命令口調になるのかは、僕の長年の疑問だ。怒りと応援する潔さという意味なのだろうか。僕はたぶんそんな風にならない性格なので、どうしてもこの気持ちが分からない。この疑問を考えるためにも、誰か解説してくれないものだろうかと思います。
まあ、そういうのをぬきにしても、面白いので本当にお勧めです。
コメント
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