カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

パラレル・マザーズ、僕のネタバレの感想

2024-05-22 | つぶやき

 映画「パラレル・マザーズ」を観終わった後、ちょっと気になってこれを観た人々の感想をググってみたわけだ。普通ネタバレはあんまり書かないけど、ネタバレしなくては書けない内容が多いので、ここに分けて感想を書こうと思う。この映画を観ようと思う人は、ご注意を。
 他の人の感想で一番驚いてしまったのは、ジャニスの行動の意味について、僕と多少解釈が違うようなのだ。ジャニスは子供の取り違えを疑いDNA鑑定をする。そうして自分と娘のセリシアが生物学的な親子でないことを確信して、悟る。当たり前だがジャニスはひどくショックを受けて、知っている弁護士に電話するが彼は不在で、慌てて後で自分から掛けるという。ここで病院にかけるべきではないか、という感想を持つ人もいたようだが、基本的に弁護士だろうと病院だろうと、同じ意味であると考えるのが自然だろう。法的な処置その他のことを知る上では、弁護士の方がより適切で、その後に病院に問い合わせるという手順を踏むのが、いわゆる一般的に過ぎない。まあ、そこはいい。
 それから彼氏に掛けるが、途中でやめる。そうして本当の自分の子を育てている可能性のある、母親のアナに掛ける。しかし子供を風呂に入れているとかで、本人は電話口には出られない。その後彼氏から何の電話だったかという電話が来るが、誤作動か何かだろうと嘘をつく。そうして翌日には、自分の携帯電話の番号を変えるのである。
 これらの行動で明らかなのは、自分の血のつながっていない目の前にいるセリシアを、なんとしても自分の子供として傍に置いておきたい、という気持ちの現れのはずである。
 ところが多くの人の感想は、ここで何としてでも元の自分の子供を取り戻そうとする行動を取った、と考えているらしいのである。混乱したようすはよく分かるが、取り乱した後に改めて子供を抱いて自分の電話番号を変えたのだから、これはやはり身近にいる血のつながっていないものの、深い愛情を注いている赤ん坊を手放したくない、という行動であるはずなのである。何故多くの人は、これを読み間違ったのだろうか。
 その後しかし、自分がどうすべきなのかはっきりとは決められないまま、いや、その戸惑いを胸に秘めたまま、その他の関係のやり取りをしているのである。それは彼女の苦しみだったはずだ。そうだったが、やはり真実を話すべき時が来たと考えた時に、アナが育てていた生物学上の自分の子である可能性の高い娘が死んだことを聞かされる。ここでもかなり動転するが、しかしだからこそ、もう少し慎重に、後になって自分の子がこのアナの子であることを確かめるのである。それからもしばらく、複雑な恋愛のやり取りなどがあって、改めてアリシアは、実はアナの子であると告白することができる。僕がこの映画で最大限驚いたのは、それを知ったアナは、アリシアを抱いて荷物をまとめて出ていくのである。自分の気持ちをちっとも考えない身勝手なジャニスだと罵ってまで、そのような行動をしてしまう(もちろん嫉妬心が混じっている、複雑な心境なのだが)。その高圧的な行動を、ジャニスは許さざるを得ないのである。しかし普通に考えてそれはあり得ないことで、観ている僕からすると明確な誘拐である。少なくとも許しがたい暴力だろう。アナはジャニスを愛するがゆえに、まだそこまで愛してもいないアリシアを奪って復讐しようとしているだけのことである。ふつうの見方をするとそうなるように感じるのだが、これも多くの人とは感じ方が違ったようなのだ。何故なのだろうか。
 結果的にこの映画は、一度は同性愛も受け入れはしたが、そうではなかったからこその大団円ということにはなる。それはなんとなく都合が良くて驚いたが、そうでもしなければ収まらなかったというべきだろう。
 そのような感想が、僕の正直なところである。結果的に不倫の勝利という物語なわけだが、そういう風に捉えると、さらに理解がこんがらがることだろう。映画を観るという事や、物語を追うということは、そういう事なんだと僕は考えるのだが、実際はどうなのであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする