録画でカバーズという番組を見ていたら、杉山清貴とオメガトライブが出ていた。知らなかったのだが彼らは解散してて、なんだか再結成して出ていたらしい。それもテレビは一回こっきりのラストステージなんだとか。
僕の十代の半ばあたりで売れていた記憶があり、まちでもラジオでもよくかかっていた。何でも夏の定番と言った風情があったのだが、そういう売られ方をしたもののようだ。活動期間は短くて、売れているうちに解散しようってことで解散してたらしい(談)。
改めて見ると杉山清貴は、なんだか松木監督みたいになっているし、だいぶ雰囲気は違うなあ、という感じなんである。そうなんだか、声は張りがあるし、バンド演奏のかっきりと締まっているし、いいんじゃないかという感触である。正直に言って若い頃の僕は、歌謡曲は熱心に聞いてなかった時期が長くて、オメガトライブの良さはよく分かっていなかったのである。今聞いてみると、しっかりしているうえに、バンドとして上手いだけでなく風情がある。まあ、それぞれは長年やってるんだろうから当たり前かもしれないが、自分たちの求められていることをしっかり知ってやっている感じがする。解散したんだから何か当時問題意識を持っていただろうことは想像できるが、今でも仲が良さそうなんである。何よりそういうのが、はた目には素晴らしいのではあるまいか。
で、まあ最近というか、当時のいわゆる日本のシティポップと言われるくくりで、一連の楽曲などの再評価がなされているというのは、聞いたことがある。僕はこれも不勉強であんまり知らない部類なのだが、何しろ同時代なのでまったく知らないわけではない。そういう時代の空気感というのは確かに覚えていて、しかし僕にはノスタルジーなのであって、今風にいい感じという時代感は、今一つということかもしれない。しかしながら確かに米国のヒップポップなんかで、シティポップ風の楽曲は聞いたことがあって、ラジオなのでよく分からないが、あちらの黒人がこういう演奏をやってるのかというのは、かなり意外性がある。音楽に国境なんてないというが、時間軸も含めて飛び越えるというのは、やはりそれなりに面白いことかもしれない。
それでさらに意外だったのは、彼らはカバーとして中森明菜を歌っていたのである。それもかなり素直にそのまんまに。で、思ったことは、中森明菜を完璧にやっても、杉山清貴とオメガトライブだったことだ。当たり前と言えばそうなのかもしれないが、完コピで相手の側に立って再現していて、そうなのだ。彼らの存在感を見た、ということになるのであろう。