サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をめぐるドキュメンタリーを観た。以前は米国で禁書扱いを受け、よく読まれながらも迫害を受け続けている作品である。サリンジャー自身が生前メディアに露出することが少なく、謎めいたところもあって、さらにこの作品は国家などへの反抗の書として、悪い評判ばかり上るようになる。しかしながら熱狂的に支持する読者も多く、主人公のホールデンの考え方など、心に響くと感じている人も少なくなかった。
著者のサリンジャーは、気難しいというよりも、静かに暮らすことを望んでいる人間だった。ライ麦畑が売れたことで、郊外に住んでマスコミなどから距離を取る生活が可能になった。そのことについては、本が売れたことには感謝していた。郊外のコミュニティにおいてはふつうに人付き合いもするし、子供の世話もするいい父親だったようだ。執筆は主に夜にするらしく、子供たちは父親のタイプを打つ音で目覚める。そうして子供が起きてくると朝食を作った。結局亡くなるまで、隠遁生活をしている変人のように思われていたが、そのように静かに暮らしながら、最後まで表に出ては行かなかったようだ。
この本については、さらに不幸な事件がついて回る。ジョン・レノンが自宅前で射殺された事件では、犯人のチャップマンは警察が来るまで、ライ麦畑を読みながら待っていたとされる。あたかもこの本の影響を受けて犯行に及んだと示唆されるような、風評が広がっていった。さらにレーガン大統領を銃撃(殺人は未遂となる)したヒンクリーは、犯行に及んだ理由はこの本(ライ麦畑)に書いてある、と語ったとされる。もっともヒンクリーは、ジョディ・フォスターにストーカー行為などもしていた精神病で、彼女が出演した映画・タクシードライバ―の模倣をした、ということのようだ(※この映画では政治家を襲撃しようとする場面がある)。
ライ麦畑がそのような反抗を呼び起こす効果のある小説なのかというと、実のところそれはあり得る話ではない。反抗的な気持ちになり、実際にそれを夢想することと犯行に及ぶこととは、大きな乖離がある。そうしてこれを読んだ絶対的な多数派は、読んだからと言って犯行には及ばない。無関係だからだ。しかしながら犯人との関係において、たまたま犯人がこれを読んで共感を覚えるというのは、あって当然である。だからこそ多くの人に読まれる本だからである。
関係があると思いたい人々の方に問題があることで、しかし事件の影響はこれを書いた作家にはあったのだろうと思われる。本が売れ続けることで、隠遁生活をしても生活に困ることは無くなったのかもしれないが、ますます世間からは距離を置いた生活をするよりほかに、無くなってしまった可能性もある。いや、おそらくそのようなことだったのではあるまいか。
しかしながら、そのような興味をもってこの本を手に取る人は、今後も絶えないだろう。それがこの本に付随した、第二の文学性ということになるのだろうか。作品は、その作品そのものによって評価されるべきかもしれないが、それらに付随する出来事なども含めて、作品のそのものの価値にもつながっていく。人間の精神性の持つ癖のようなものは、その周辺にいるものが傷つくことも厭わずに、うごめいているのかもしれない。