カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

30年たっても名作は色あせない   パルプフィクション

2024-05-19 | 映画

パルプフィクション/クエンティン・タランティーノ監督

 これは久しぶりに観た。94年の映画だが、ビデオで観たはずだからその数年後だったのだろう。しかしそれでもやはり25年以上前には違いない。数々の映画賞をとったことでも有名だが、いわゆる名作映画の枠外ともいえる。確か当時ニューヨークタイムズの記事で、こんな映画が世に出る奇跡があるから映画を観るのがやめられなくなるのだ、と評されていた記憶があって、まさにその通りだと膝を打った覚えがある。映画賞以上に、それだけ人々の熱狂を買った超傑作なのである。そしてタランティーノは、今考えてみると、つまるところこの作品を超えるものは作りえていない。それなりの役者がいることは確かだが、それほどの金をかけることも無く、だべっている内容はくだらないの一言だが、しかしこれが面白い。中毒性があると言える。そうして強烈なギャグが炸裂する。強烈すぎて笑えないのだが……。さらにこの構成の妙である。後の映画は、このやり方をこぞって模倣することとなる。しかしながらこのチープでうさん臭くて完璧であるタランティーノ節を、再現するのは簡単ではない、という証明にしかならなかったのだが……。
 久しぶりに観て意外に思ったのは、今の映画の方がかえってえぐい表現が増えているかもしれない、と感じたことだ。当時はひどいマフィアがいたものだ、という一定のリアル感があったけれど、今となってみると、やっぱりパルプ的なチープさもあったのだな、という感じだろうか。タランティーノはギャグ感を出すために、あえて遠慮しているとさえ感じる。さらに肛門に隠し続けたという時計の逸話の部分は、もっと長い場面だとばかり思っていたが、案外あっさりしたものだった。僕はこれでクリストファー・ウォーケンの大ファンになったのだったが(彼のダンスは最高だ)、それくらい印象的で、実際に後のブッチ(ブルース・ウィリス)の行動のリアリティを支えている部分である。リアルだけどおかしく面白くて、下品な人間心理を実に巧妙に捉えている。そこに命を懸けるのか、という冗談が、きわめて抗いがたい人間性なのである。
 まあ他にもいろいろあるが、妙に説教臭いヤクザの世界だが、それでも死ぬときは死んでしまう。映画だからギャグだけど、神妙にしてたら生きてはいけない。他の人生だってきっとそうだろ、ってことなのかもしれない。まあ、そうでは無いのかもしれないけれど。
コメント
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