カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

時間の浪費を楽しむ   インフル病みのペトロフ家

2024-05-25 | 映画

インフル病みのペトロフ家/キリル・セレブレニコフ監督

 えらく評判だけはいい映画で、しかし、そんなに面白くないだろうとは予感させられる芸術作品であることは、そもそもの問題として見て取れていた。なので一度はマイリストから消去していたこともある。時間は無駄にはしたくない。そうであったのだが、やはり映画好きなら観ておくべきだという意見も聞かれ、そこまで言うのなら、ちょっとだけ観て、長尺なので途中で断念する訓練をしてもいいか、と思い、あえて時間のないときに断片だけを観たわけである。最初はやはり訳が分からないので取っつきにくかったが、図書館の後半あたりからなんだかおもしろくなってきて、三日に分けて観ることができた。
 インフルエンザの熱の所為なのか、よく分からないことが立て続けに起こる訳だが、要するに本人が苦しい中に幻想を見ているらしいことは、だんだんと分かる。だから辻褄が合わない唐突さで、次々に妙で不条理なことが連続していく。それらの断片が単に断続しているだけの話で、しかし最後は少しだけ繋がりのある種明かしもある訳だが、いわゆるたいした意味などはない。面白いかと言われれば、面白い訳が無いのだが、しかし途中はそれなりに盛り上がってみていたことも確かで、この断片のつながりが癖になるというか、変なものを観ている実感があって、凄いなあ、という感じだろうか。どうしてこうなってしまうのだろうというのは、要するに幻想だからなのだが、裏と表のようなものがあって、なるほどと思わせられたりも、一部はする。もっともぜんぶでは無くて、たんに分からなかっただけのことかもしれないが、それはそれで気にしなくてもいいと思う。気にしていたらとてもこの映画は観続けられない。だからちゃんと観る必要は無くて、ノッてきたら集中したらいいだけのことである。何しろ無駄に長いので、ずっと集中は無理だろう。難解というか、そういうところは確かにあるが、謎解きを楽しむものでもない。なんだか変だけど、どうしてもそうなっちゃうんだな、くらいに思っておけばいい。そうすると、このへんな人々が、もっと変に見えて愉快になるという感じになる。見返したくなる場面もあるので、中毒性もあるのかもしれない。こんな変なものをよく作ったもので、商業的にどうなのかは疑問だが、しかし一定の支持はあって当然だとも思う。つまりなんとも言いようが無いところが、この映画の魅力と言えて、だから観て見るより仕方ないという脱力感のあるお薦め方をするしかない。分かる人には分かる映画なので(実は分からないはずだが)、そういう人が自分で判断するよりないじゃないか。ただし必ず退屈するところもあるはずだと思うので、そういうのはすっ飛ばしてもかまわないから、お気に入りに場面だけ楽しめばいい。どのみちたいしたストーリーなどは存在してないのだから。
 しかしながらこれが良いと思うのは、いわゆるビョーキである。そうとしか言いようが無い。まともな人は、観ても時間の無駄である。そもそも映画なんて、大いなる時間の浪費なのである。
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