カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ソ連は材料になるのか   チャイルド44 森に消えた子供たち

2018-10-27 | 映画

チャイルド44 森に消えた子供たち/ダニエル・エスピノーサ監督

 楽園に殺人は存在しない、という建前のあるスターリン時代のソ連が舞台。しかしそれは建前なので、連続殺人事件が起こってしまうとどうなるのか、ということになる。何と事件を隠蔽しようとする体制側の方が正義となるので、捜査が進まなくなってしまうのだった。この事で都合がいいのは犯人の方で、次々に犠牲者が増えていくことになってしまう。馬鹿な国には馬鹿げた恐ろしさがついて回るのだという事になるだろう。ただでさえ餓死で多くの人が亡くなるような国にとって、建前の楽園の方が大切だという事なんだろう。
 そういう話のスジの中に、スパイ容疑や同性愛問題、さらに自分と妻との関係などの絡みがある。なかなか複雑なストーリーの中で、権力闘争や謎解きが展開されることになる。多少詰め込み過ぎかな、という感じもあった。しかしながらこれはロシヤ映画では無くハリウッドもので、派手なアクションもあるし、娯楽色は強いと思う。しかしながらロシヤでは上映禁止になったそうだけど。やっぱりいまだに建前は強いという事なんだろうか。
 さらにだけど、いくらソ連の軍服を着ている人が多いとはいえ、アメリカの俳優さんたちが英語を使って演技をしている訳で、本当の意味でソ連的な閉塞感や暗さのような感じは薄れているようにも思った。画面を暗くしてそれらしい雰囲気はかもし出してはいるものの、どこかやはり派手さがあるという感じだろうか。まあ最近の映画は、たとえハリウッドでなくてもハリウッド的になってしまっているけれど、本家の米国人を楽しませるためには、どうしてもそのような演出にならざるを得ないのだろう。またそうしないと、その他の国でも上映してもらえないのかもしれない。
 今となってはソ連の時代のロシヤは、かなりわからなくなっている問題かもしれない。確かにだいぶ変化したのだろう。しかしながらつい最近までは確かに存在していた国で、やはりこのような事件がたくさん起こったのではあるまいか。娯楽的なフィクションでありながら、このような設定が出来るような国というのは、確かにずいぶん減ったのかもしれない。もちろん紛争地などはたくさんあるにせよ、このような閉塞感を描くのであれば、後はもう北朝鮮くらいしか持ち出せないのかもしれない。そうすると西洋人には違和感があるので、やっぱりソ連にしようという事になってしまうのだろうか。
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