カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ハロウィン・田舎ではいまだに盛り上がってないと思うが

2018-10-29 | culture

 テレビを見ていると、渋谷のハロウィン騒ぎを連日取り上げている。過剰な騒ぎ方とゴミなどの問題などが関連して報じられ、おおむね批判的な視点が多いように思う。店などの都合でいうと商売的にはいいのかもしれないが、迷惑には違いないだろう。路上で無く店の中などで何かできないのだろうか。一種のカーニバル的なもので、そぞろ歩くだけの楽しみなんだろうか。酒は飲むのだろうけど。
 さらに以前はハロウィンという発音が多かったが、今年はハロウィーンとのばして発音するアナウンスが多い。どの時点で分岐した問題だろうか。誰か注意でもしたのか。
 個人的にハロウィンを知ったのは30数年前。留学生の多い学校だったので、留学生と一緒に一部仮装する学生がいた。パーティなどがあって、僕はバンドマンだから演奏したりしたのかもしれない。もっともマイナーな感じだったので、そんなに盛り上がりはしない。それくらい前だと、ほぼ日本社会はハロウィンを軽く無視していた。
 その頃聞いたのは、収穫祭などの関連行事もあるし、主にアメリカのみで子供の行事として発展したのだろうという事だった。大人も便乗して仮装して治乱騒ぎをするとも聞いた。あちらの人は仮装して夜の刺激を求めているのだろう、という解説をする人もいた。要するにヘンタイ祭りのような扱いをメディアはしていた。日本人でそんなことをするのは、だからちょっと変な人という感じだろう。
 そうして服部君射殺事件が起こった。フリーズという言葉が広く知られるようになり、アメリカ(特に南部)なんかで気軽にハロウィンに参加するのは危険なような雰囲気になる。
 結局廃れたものと思われていたが、近年になって若者の騒ぎとして復活した。映画のスパイダーマンなど、仮装するには関連のしやすいものが流行ったためかもしれない。ゾンビやお化けの仮装というのは、なりきる人達にとっては楽しいものかもしれない。
 クリスマスやバレンタインなどと同じような文化になったとも言われている。そうなのか。要するに米国化するグローバル(もしくは国際化)な問題なのだろう。さらにいうと単純化である。老人ホームでもやっているのかもしれない。大人が居なくなる社会という感じが、何とも悲しい情景である。
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よく分からない戦争体験   この世界の片隅に

2018-10-29 | 映画

この世界の片隅に/片渕須直監督

 まあ大変に話題になっていたので、いつかは観てみようとは思っていた。しかしながらなかなかDVDが回ってこない。都合待ち受け1位のまま半年以上繰り越されたのではなかったか。それだけ人気作という事だろうけど。もともと漫画原作があり、さらに実写のドラマもあるらしい。それらは未見だったが、ただし普通の戦争ドラマでは無い、というくらいの予備知識はあった。
 すずという女性の結婚と戦争体験をつづった物語。十代でもらわれるように結婚し、呉のまちで暮らすようになる。絵が好きでのほほんとした性格らしい。食糧難の時代なので、食べ物を工夫してこしらえる。出戻りの小姑が意地が悪く苦労させられる。姑は体が弱く寝ている。呉は軍港なので、激しい空襲に合うし、もちろん広島なので、近くに原爆も落ちるのである。
 いろいろあるが、もともと好きだった男とは結婚できず、結婚後一晩過ごす機会もあるが、特に性行はしていない様子だった。戦時中の悲惨な状況で、実際に大泣きするような事にもなるが、基本的には戦時中でも明るくひたむきに暮らしている様子を描いているのかもしれない。
 正直に感じたことは、なんだかよく分からないお話だった。さらにいうと、何を言いたいのか物語として不明な感じなのだ。戦争中でも楽しい日常があるのだ、という解説めいた話は聞いたことがあるが、そんなことは当たり前だろう。何しろ若いのだし、戦争も当時の人には青春である。人が死ぬから悲惨だが、そういう日常に暮らさなければならない人々は、さまざまな思いがあって当然だろう。被害者だからいつまでもどうだという話しかドラマ化しないから特異なものになるのかもしれないが、そうでは無いという事くらいは、誰だって知っていたことだろう。分かろうとしない人々を除いてはだが。
 確かにすずという女性は大変に魅力的である。とぼけた味のある、いわゆる天然ボケの人のようでもある。何か思想を持っている訳では無いが、性格がいいので他人にも好かれる。また特別にいじめられることも無いが、割に合わない境遇にもめげない力が備わっているようだ。深くは考えていないが、何も考えていない訳では無い。たくましくないが、そういうところが人間として強いとさえ感じさせられる。
 そういうものを観る作品ではあるらしい。考えるのではなく、その時間を楽しむものなのだろう。ただし、やはり人を選ぶかもしれない。結局僕には特に何もわからなかった。僕にはできないだろう生き方の人だし、そのようには物事を考えることも無いからだろう。そういえばこの監督のマイマイ新子も何か分からない作品だったな、と思い出した。こればっかりは感受性の足りない自分を恨むより無いのだろう。
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