テレビを見ていると、渋谷のハロウィン騒ぎを連日取り上げている。過剰な騒ぎ方とゴミなどの問題などが関連して報じられ、おおむね批判的な視点が多いように思う。店などの都合でいうと商売的にはいいのかもしれないが、迷惑には違いないだろう。路上で無く店の中などで何かできないのだろうか。一種のカーニバル的なもので、そぞろ歩くだけの楽しみなんだろうか。酒は飲むのだろうけど。
さらに以前はハロウィンという発音が多かったが、今年はハロウィーンとのばして発音するアナウンスが多い。どの時点で分岐した問題だろうか。誰か注意でもしたのか。
個人的にハロウィンを知ったのは30数年前。留学生の多い学校だったので、留学生と一緒に一部仮装する学生がいた。パーティなどがあって、僕はバンドマンだから演奏したりしたのかもしれない。もっともマイナーな感じだったので、そんなに盛り上がりはしない。それくらい前だと、ほぼ日本社会はハロウィンを軽く無視していた。
その頃聞いたのは、収穫祭などの関連行事もあるし、主にアメリカのみで子供の行事として発展したのだろうという事だった。大人も便乗して仮装して治乱騒ぎをするとも聞いた。あちらの人は仮装して夜の刺激を求めているのだろう、という解説をする人もいた。要するにヘンタイ祭りのような扱いをメディアはしていた。日本人でそんなことをするのは、だからちょっと変な人という感じだろう。
そうして服部君射殺事件が起こった。フリーズという言葉が広く知られるようになり、アメリカ(特に南部)なんかで気軽にハロウィンに参加するのは危険なような雰囲気になる。
結局廃れたものと思われていたが、近年になって若者の騒ぎとして復活した。映画のスパイダーマンなど、仮装するには関連のしやすいものが流行ったためかもしれない。ゾンビやお化けの仮装というのは、なりきる人達にとっては楽しいものかもしれない。
クリスマスやバレンタインなどと同じような文化になったとも言われている。そうなのか。要するに米国化するグローバル(もしくは国際化)な問題なのだろう。さらにいうと単純化である。老人ホームでもやっているのかもしれない。大人が居なくなる社会という感じが、何とも悲しい情景である。