カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

三平に子規。そして寛永寺

2018-10-09 | 散歩
 羽田着いた。





 ちょいと時間がありまして、どこ行くかな。



 ちょちょいと乗り換えて行きました。



 着いた。



 やって来たのは日暮里。でも谷中に行くわけでは無いのです。



 昼時なんで、まずは飯の問題を解決せねば。



 ちょっと迷ってたら駅からすぐに外れて店が少なくなってしまった。そこに定食屋さんが救ってくれました。
 システムが分からなかったんだけど、作り置きのおかずをとって(温め直してくれる)ご飯の量を伝えるというような感じでした。地元の人の食堂って感じでした。





 住宅街の中、ちょっと見落とすところでした。



 三平堂であります。



 まったく、どうもすいません。





 流行ってたのは僕の子供の頃のことで、あんまり記憶は無いんですけどね。ものすごく人気者だったってことは知ってる程度です。なんか何言ってんだかよく分からない人でしたね。



 書道博物館はパス。



 なんか普通の民家って感じの子規庵に来ました。



 漱石の友人ってことくらいしか知らないけど、俳句を書いたりしてたことくらいは知ってます。更にノボルという名前だったので、好きなベースボールにちなんで、野球(のぼーる)という雅号を用いていたとか。何故かそんなことくらいは知っている程度でんな。



 こんなところで寝起きして、そうしてたくさんの友人が遊びに来たらしい。まあ、実際は立て替えて再現した家らしいけど。



 庭にはへちまが垂れ下がってました。







 外に出るとラブホテル街。お仕事終えたらしい女性が一人で出てきて、目が合って気まずい感じでした。高級車のお迎えも来てました。



 この高架をやり過ごさなきゃいけないな。どこから昇るんだろう。



 階段上って線路わたります。





 周りは墓だろうな、というのは分かります。でも取りあえず前に進もう。



 地蔵さんだらけ。浄名院。





 細い路地のような道が、縦横に通ってます。



 銭湯を改築したというギャラリー。もとは川端康成なんかも通ってた銭湯だったそうだ。



 古い建物も残ってて、そういうものを求めて外国人がけっこう来てました(西洋系)。





 旧酒屋が資料館になってました(無料)。







 携帯の地図見たら、この塀の向こう芸大だったんだな。その先は上野公園なんだね。





 やって来たのは寛永寺。徳川吉宗など6人の将軍が眠っているんだとか。







 御紋もちゃんとあります。





 とにかく墓だらけでんな。今までたくさん死んだ人がいるんだな。子供のころどんどん人が死んで墓ばかり増えたら土地がなくなるんじゃないかと心配したことがあったのを思い出したよ。馬鹿だったな。ま、今も変わりませんが。





 墓の真ん前は中学校。いい環境でんな。

コメント
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