カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

偏りのある歴史を知る   世界史序説

2018-10-23 | 読書

世界史序説/岡本隆司著(ちくま新書)

 副題に「アジア史から一望する」とある。内容はまさにこの副題に尽きるかもしれない。世界史と言えば、キリスト教史と重なるところが多く、そのような世界基準のようなものがあって、どうしてもヨーロッパ的な考え方を中心とした記述のされ方に偏っている。しかしながら当然そのような視点のみで歴史を語るのは、偏りすぎた考えに過ぎない。何しろ完全にアジアの視点が抜けているからである。むしろ歴史はアジア的なものを考えなければ成り立たないものがあって、当然古いそのような基礎の後に、ヨーロッパ的な世界史が始まるとでも言えるのかもしれない。
 中国やモンゴル、インドといったアジアの歴史が古いことは当然だが、日本人の感覚からは中東から地中海近辺というのは、すでにアジア的な感じは無いかもしれない。しかしながら地中海の歴史というのは、実はアジア的な基礎が多分にあるのである。またイスラム文化というのは他の文化に対して寛容なところがあって、多くの文明と共存して繁栄してきたという事実がある。そのような土台があってこそ地中海の歴史が形作られ、そうしてやがて西洋の歴史の始まりとなっていく。
 また、その後ヨーロッパには中世という時代がやってくるが、アジアにはその中世が抜けているのだという指摘は面白い。アジアはそのまま変わらずに古代的に続いて行ったが、ヨーロッパは暗い中世を体験する。その後に一気に近代の坂道を駆け上るのである。
 この本ではないが、世界的に抜きんでて文化的に繁栄してきた中国が、何故そのまま産業革命を起こせなかったのか、という話を読んだことがある。謎ではあるが、十分にその力量がありながら、近代の爆発的な展開を見せる産業革命に後れを取った東アジアが、イニチアシブとることは出来なかった。結果的に西洋列強に蹂躙されてしまう不幸な体験を味わうことになるのだが、実は西洋であっても、先に強大になったポルトガル、スペイン、そしてオランダでは無く小国の英国が躍進してしまう。それは政治と軍事と経済の連携が、信用を基準にして膨張していける仕組みを、いち早く確立させた国だったからだという。
 過去の歴史から必ずしも未来を予測できるものでは無いが、今の世の中は過去からの連続で成り立ってはいるものの、ある時を境にして、大きく変わる可能性がある。そのようなダイナミックな変貌を過去に何度も体験しており、その新たなきっかけは、必ずどこかで生まれえるものであるように感じられる。そのような考え方を学ぶためにも、やはり広範な歴史のひも解き方は知っておいた方がいいのかもしれない。
 繰り返すが、やはり西洋史は偏っている。そのことを知るだけでも、今の世界がかなり愉快に見えてくるのではないだろうか。
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