カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

パッチとスカート

2014-12-17 | culture

 あんまり寒いとズボン下を穿く。いわゆる股引、パッチである。これが若い頃は気恥ずかしさもあって、やせ我慢していたようにも思う。少なくとも衣料品店で自分で買えない。母やつれあいに買ってもらって着用するわけだが、それも自らの意志というより、勧められて心配されて穿くということでなければならない。複雑な男心である。
 ということで最初は違和感もあるし気恥ずかしいが、当然これがあるとないとでは大違いで、寒い日には大変に助かる。トイレで少し戸惑うこともあるくらいで、慣れたらそんなに動きにも不自由を感じない。以前の木綿の股引と違って、最近はそれなりにフィット感も優れているように思うし、実に暖かい。広告でヒマラヤか何か山岳地帯でこれを着てポーズを決めているのを見たことがあるが、わざわざそんなことをさせられているモデルさんたちには大変に気の毒ではあるが、実際にそういうことになっても暖かいのだろうことは実感として分かる気がする。普通のズボンより暖かいということが、ズボンに隠れて普段は分からない。実に後ろめたく素晴らしい現象ではなかろうか。
 さてそういう状態で野外活動をしていると、相変わらず女子中学生や女子高校生、はたまた普通の女性もそうなんだが、短いスカートの人たちが平然と闊歩しておられるのを目にする。ここまで来ると驚異の世界というか、かなり異常性を帯びているという気がするんだが、見た目には比較的平気そうにしておられるような人も多い。いや、厳密には寒いはずで、一時の野外移動だからなんとかしのいでいるということなんじゃなかろうか。スポーツ漫画のような闘志や根性の隠された表現なのかもしれないとも思う。
 学校を卒業された一般の女性がそのようなファッションをされるということについては、特に意見は無い。事実それなりにかっこいい場合もあるし、自己表現なら勝手にやったらよろしい。問題は制服としてのスカートである。これは以前も書いたので繰り返しになるが、制服のスカートは、少なくとも冬場のものは、選択制にするか夏服冬服の移行時期に、スラックスというかズボンというかパンツというか、そういうものにすべきなのではないか。女だからスカートだという一律の取り決めは、日本の冬と女の子たちをなめ過ぎているように思えてならない。自分でやりたいなら問題は無いから、せめて選択制として、足を守ったり暖めたりすることが、何より健康的に思える。僕は男だから正直に言うと女性の足を見ることは精神保養になることも無いではないのだけれど、僕の精神保養の為に彼女らの足があるわけではなかろう。寒い日の野外に制服女子を見るのは、大人となった人間には不憫に思えてならない。是非とも社会運動として、この文化の改善を望むものである。
コメント
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