カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本当に勇気のある人間とは

2014-12-10 | 感涙記

 尋常でない仕事を残した完全主義者の手塚治虫だが、激しい嫉妬心をあらわにしたことでも有名である。次々に現れる新しい才能に嫉妬し、時にはその嫉妬ゆえに過当に批判し、人々を困惑させた。偉大な手塚の負の側面、ダークサイドとして語られることの多い手塚の性格であるし、手塚の生前には知る人ぞ知るという話であったため、死後しばらくたってぼつぼつとあらわれてきたこれらの逸話について、驚いた人も多かったのではなかろうか。明るい笑顔を絶やさず、しかしすさまじく忙しく仕事をこなした超人手塚と、そのイメージはあまりにもかけ離れていると感じる人も多いのかもしれない。また、世界に誇るマンガの神様としての手塚という、誰も異論を唱えることのない人物像に、影を落としていると感じる人もいるのかもしれない。
 しかしながら僕の感じる手塚像として、これはさらに手塚の人間的な偉大さの土台のような気がしてならない。激しい嫉妬心は、自分の自尊心の表れでもあろうし、さらに成長したいという願望でもあったろう。あくなき探究心と、そうして自分自身に対する素直な評価と葛藤、そうして誰よりも先んじて前を歩いていたいという焦燥感もあったであろう。そういう人間的な部分を持っているからこそ、本当に人間的なドラマを生み出すことが出来たわけだし、自分の殻を破る挑戦の繰り返しにも、自分自身を変革させうる柔軟性にもつながったのではないだろうか。
 さらに手塚が偉大なのは、嫉妬心に駆られて、心無い手紙などを書いてしまった後に、相手に詫びに出向いたり、内省することを書いたりしていることである。衝動的に抑えられないほどに感情を露出してしまった後に、開き直ることなく、そういう自分に向き合い、反省する勇気を持っていたということなのである。これこそが、普通の人間にはなかなかできない素晴らしさだという気がする。嫉妬心というのは誰でも抱く感情であるし、人々はそのために時折ひどく失敗もする。しかし内省するにおいて、そのことに素直に向き合えることは、あんがいに難しいことだったのではなかろうか。そういう自分と向き合う前に、逃げ出しくなる方が自然なのではないか。ましてや既に名声を手にしている立場の人間が、謝罪したりする行動までとれるものではない。子供っぽい感情と行動をとりながら、しかし理性的にも自分を眺める力を持っていたということが人間手塚の偉大なところで、そういうところが作品に反映されなかったはずは無いのである。手塚治虫の人間的な嫉妬心とその克服があったというのが、手塚の真に偉大な勇気の持ち主だった証であると思うのであった。
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