カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

作った人より馴染んだ人

2014-04-08 | 音楽

 佐村河内問題では他人の作った曲を自分で作ったというから問題なわけだが、最初から他人の曲なんだけど自分で演奏しましたとか、歌いましたというのであれば勝手が違う。著作権だとか使用料のようなものもあるようだけど、ごちゃごちゃいわんと歌ってしまうというのが業界的にありそうだ。さらに著作物の著作権とは違って、曲というのは何年までその権利があるのかもあやふやだ。クラッシック曲でバッハの子孫が著作権料で食っているという話は聞かない。比較的新しい概念の上に、現代でも取る人ととらない人というのが居るんではないか。まあ、そこのあたりは専門外だが、たとえば自分がシンガーソングライターで、最初は自分が歌って泣かず飛ばずで、他人が歌ったら大ヒット、というのもそれなりに複雑な気分になりそうな気もする。金が入ればそれなりに癒されようけれど、そんなことに頓着しない人ならなおさら報われないというのはありそうだ。さらに明らかにカバーなりリメイクなりのほうがいいというのがあって、そういうのはプライドが高ければさらに具合の悪いことになりはしないだろうか。実際にカバー曲のほうが明らかに有名で原曲が知られても居ないようなものは結構あるようで(もちろん聴く側の無知もあるが)、カバー曲のほうがその人の代名詞的なことになっていることも多いような気がする。もちろん曲というのは歌っているキャラクター(シンガー)だけのものではないのかもしれないが、そうなってくると、誰が作ったか問題というのは限りなくどうでもいいような気がしないではない。曲そのものには人格が無いわけだが、そのほうがしあわせな曲だって、感情的にはありそうなものである。もちろん、根本的にはパクリとは違うということはあるが、その境界線にある曲というのは相当数存在することはあるだろうし、誰でも人には影響を受けざるを得ないものである以上、これからも境界線にある曲というのは無くなりはしないだろう。結局はその曲の周辺にいる人が、どのように感じてその曲に向き合っているかということを、さらにその外側に居る人がどのようにピックアップして感情移入するのかということにもなるのかもしれない。
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